40.岩の竜人③
まだ、状況を理解しきれていなかったイフ。
そのすぐそばを、もう一体の岩の竜人がゆっくりと通り過ぎていく。
向かった先には、先ほどまで眠っていたイーシスの姿があった。
「ごめん……。イーシス。ちょっと散歩してた」
「散歩? もう! 起こしてよ、イーワイ君!」
もう一体の岩の竜人。
その名は、イーワイ・ドデカス。
イーシス・デッカンの友達だった。
二人は、何事もなかったかのように会話を続けている。
その光景を見つめながら、イフは声を振り絞った。
「…………くっ、くそっ!」
(マジかよ……!)
(もう一体いるなんて聞いてないよ!!)
全身が痛む。
呼吸をするだけでも、身体の奥が軋むようだった。
それでも。
(まだだ……っ!)
(まだ戦えるっ!!)
イフは必死に頭を回転させた。
(あいつら……きっと、もう俺が倒れたと思い込んでる!!)
(その隙に隠れて……弱点を探るんだ!)
そう考え、イフは身体を動かそうとした。
「…………うぐっ!」
背中に激痛が走る。
(……痛いっ!!)
(叩き込まれたせいで、背中が割れるように痛い……!!)
歯を食いしばり、なんとか顔を上げる。
もう一度、二人の竜人を見た。
イーシスとイーワイは、仲良く会話を続けている。
こちらには、まるで興味がない様子だった。
(まだ……俺に気づいていない)
(よし……! まだ動けるっ!)
――その瞬間。
グインッ!!
二人の顔が、同時にイフの方を向いた。
「……起きてるね、イーシス」
「起きてるな、イーワイ君」
「………………」
「………………」
ズシン。
ズシン。
二人は、ゆっくりとイフの方へ歩き始めた。
「……ごめん。倒し損ねたよっ」
「大丈夫だ。こいつ、あんまり強くないし。俺がぶっ倒すよ……」
そう言って、イーシスが大きな腕を伸ばす。
「うわぁっ!!」
イーシスはイフの足を掴むと、そのまま軽々と持ち上げた。
視界が反転する。
逆さ吊りにされたイフの頭から、血が滴り落ちた。
「……っ! くそっ!」
「はははっ! 動けてないじゃないか」
イーシスは笑いながら、 イフの足を掴んだまま――
ドゴオッ!!
地面へ叩きつけた。
「…………がっ!!」
衝撃が全身を駆け抜ける。
それでも、イーシスは手を離さなかった。
再びイフを持ち上げる。
「…………ぐうぅ……」
「…………あれ? まだ生きてる」
ドゴオッ!!
また、地面に叩きつけられる。
「………………うぅ……」
「……え? マジかよ……。こいつ、ほんとに人間?」
ドゴオッ!!
「…………ごへっ!!」
イフの口から血が吐き出された。
「……まだ生きてる! すげえ! 体力あるね!」
イーワイは感心したように呟いた。
まるで、珍しい生き物でも観察しているかのようだった。
ドゴオッ!!
ドゴオッ!!
ドゴオッ!!
教会内に、何度も何度も鈍い音が響き渡る。
そのたびに、イフの身体が激しく跳ねた。
それでも、イーシスは足を掴んだ手を離さなかった。
***
何回、叩きつけたのか。
イーシスもイーワイも、もう数えてはいなかった。
ただ、イフの息はまだあった。
「………………はぁ……はぁ……」
顔は腫れ上がり、全身は血にまみれていた。
呼吸は浅く、今にも途切れてしまいそうだった。
それでも、意識だけは残っていた。
「……すごいけど……しぶといだけだね」
「そうだね……イーシス!」
「……うん」
興味を失ったように話すと、イーシスはイフの足を放した。
そして、面倒くさそうに身体を振り回す。
バキバキッ!!
ガラガッシャァン!!
イフの身体が窓を突き破った。
ガラスの破片が宙を舞い、イフはそのまま教会の外へ放り出される。
「……ふぅ。さて、そろそろ次の街へ出ようか」
イーシスは何事もなかったかのように踵を返した。
「そうしようか、イーシス!」
「イーワイ君……。今度は僕が寝てても、散歩に出るときは教えてね?」
「ああ、ごめんイーシス! 起こしちゃまずいって思ってさ! 次からは起こすよ!」
「はははっ! 怒ってないよ、イーワイ君」
「え? ほんとに?」
二人は、ゆっくりと会話を続けながら歩いていく。
まるで、最初から何もなかったかのように。
――すると。
「……………………待てよ」
「……!?」
二人の足が止まった。
ゆっくりと振り返る。
パキン。
パキン。
ガラスの破片を踏みしめる音が、静かな教会のに響いた。
そこには。
まだ、イフが立っていた。
身体を震わせ、血を流しながら。
それでも、両足で地面を踏みしめていた。
「……ええ? マジ?」
「……あいつ、しぶといね。イーシス君!」
「しぶといっていうか、しつこいっていうか……」
イーシスは呆れたように呟き、イフの方へ歩き出した。
ズシン。
ズシン。
一歩ずつ。
巨大な足音が、イフに近づいてくる。
「…………君……ほんとに殺すよ?」
イーシスは歩きながら、静かに言った。
イフはゆっくりと顔を上げる。
視界はぼやけていた。
身体はもう、とっくに限界を超えている。
それでも。
その顔を見た瞬間。
イフの脳裏に、ある男との日々が蘇った。
♢
それは、イフが十四歳の頃。
稽古を終えたばかりのイフは、肩で息をしていた。
「知ってるか! クソガキっ!」
「…………なんだよ、ダラー……」
息切れするイフを気にすることもなく、ダラーはいつもの調子で話し始めた。
「…………煽りってやつを知っているか!?」
「煽り? どうしたの? 急に……」
「煽りっつーのはな! ……時に強力な武器になるんだぞっ! クソガキっ!」
「……え? どういうこと?」
ダラーは、ニヤリと笑った。
「だははっ! 言葉の通りだっ!」
「自分が強いって自覚してる奴ほど、煽りってのはめちゃくちゃ効くんだっ!」
「……へえ、そうなの?」
「ちなみに、本当に強い奴にはあんまし意味がねえがなっ!」
ダラーはイフの肩をバンッと叩いた。
「どれ! 試しに煽ってみろ!」
当時のイフには、何を言っているのかよくわからなかった。
それでも、少し考えてから口を開いた。
「ダラーのアホ! オタンコナスっ!」
ダラーは大きく頷いた。
「そうそう! その調子だ! もっと続けろ!」
「んー……酒ヤクザ! ギャンカスっ!」
「うんうん……」
ダラーは笑いながら頷いている。
「臭いっ! キモイっ! ウザい! 嫌われものっ!」
「………………」
ピタリ。
ダラーの動きが止まった。
「無精髭っ! エロゴリラっ!」
「…………ごめんって…………もういいよ……」
「……え?」
ダラーはイフの肩を、ポンポンと両手で叩いた。
その顔は。
イフが今まで見たこともないほど、悲しそうだった。
♢
ズシン。
ズシン。
イーシスが近づいてくる。
その足音を聞きながら、イフはダラーとの日々を思い出していた。
……くだらない日々だった。
くだらなくて。
騒がしくて。
どうしようもなく、楽しい日々だった。
イフの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……………………ぶつ……」
「……え? なんか言った?」
イーシスが足を止めた。
イフが銃を拾う。
イフは俯いたまま、何も答えない。
「………………」
「………………」
やがて。
イフが、もう一度口を開いた。
「…………デカブツ……って言ったんだよ…………」
「…………ん?」
イフはゆっくりと顔を上げた。
そして、人差し指で自分の頭をポンポンと叩く。
「聞こえなかったか?」
口元には、笑みが浮かんでいた。
「頭まで岩で出来てるのかな!」
その声は。
不思議なくらい、明るかった。
「………………あ?」
イーシスの表情が変わった。
「もう一度言ってやるよ!」
イフは、銃を構えた。
「かかってこいよ、デカブツっ!!!」
「俺がぶっ倒してやるよ、カス野郎っ!!」
ピキッ。
そんな音が、イーシスの頭から聞こえた気がした。
その表情を見れば、誰にでもわかった。
――激怒している。
「殺してやる、小僧」
イーシスは両腕を大きく広げた。
先ほどまでの鈍重な動きが嘘のように、その巨体が一気に加速する。
地面を蹴り、イフへと襲いかかった。
「………………」
イフは、銃を構えたまま動かない。
迫り来る巨体。
振り下ろされる腕。
それでも、銃口だけはぶれなかった。
(…………いけるっ!)
イフは引き金を引いた。
バァァンッ!!
銃声が、辺り一帯に響き渡る。
放たれた弾丸は――
イーシスの『左目』に命中した。




