33.イフとサブの出会い②
見つめ合うイフとサブ。
「………………」
部屋は静寂に包まれていた。
(……やらかした)
サブは心の中で呟いた。
(俺としたことが……。なんだこいつ。間抜けそうな顔しやがって……)
サブは小さく息を吐くと、イフの肩を両手でポンッと叩いた。
「……お前は何も聞かなかったな」
「…………え? 聞いてたけど」
「………………」
(……なんだこのガキ。空気も読めねえのか?)
サブは一瞬、考え込んだ。
(いや……待てよ?)
(そもそも、なんでこいつがダラーさんの家にいるんだ?)
(……まさか、ダラーさんが雇ったスパイか何かか? あの間抜けそうな顔で、実はとんでもないやり手だったり……)
サブは改めてイフの顔を観察した。
「………………」
やはり、どう見ても間抜けそうな顔だった。
(………………)
少しでもそんなことを考えてしまった自分が、なんだか悔しくなった。
「……気づかなかったよ。お前、影が薄いとか言われたことある?」
「えぇ……ないかな……」
「…………そうか」
二人は再び見つめ合った。
やがて、サブがふっと笑った。
「まあ……あれだ。今の話は聞かなかったことにしてくれよ」
「え? あ、うん」
イフは素直に頷いた。
そして、何かを思い出したように顔を上げる。
「だ、ダラー! 仕事辞めんの!?」
「………………」
サブは悟った。
(……こいつ、想像以上に手強いな)
(本物の間抜けってやつか……。馬鹿は嫌いじゃないが、本物は苦手なんだよ……話が通じねえから……)
サブが口を開こうとした、その時だった。
「おお! 辞めるぜ! 言ってなかったな!」
ダラーがあっけらかんと言い放った。
「まじかよ!? どうすんのさ!」
イフは身を乗り出した。
「竜人との戦いも! 俺との戦いも……!」
「…………ん?」
サブの眉がピクリと動いた。
(……俺との戦い?)
何か引っかかるものを感じながらも、サブはひとまず黙っていた。
「大丈夫だって! 軍がなんとかするし! 軍には俺くらい強いやつも増えてきたらしいぜ!」
ダラーは近くにあった酒瓶を手に取ると、栓を開けた。
「……知らんけど!」
グイッ。
豪快に酒を飲み干す。
「……えぇ!? そうなのか!?」
イフは目を丸くした。
「…………はぁ」
サブは小さくため息をついた。
そして、二人の会話に割って入る。
「……あの、少しいいですか? ダラーさん」
「ん? どした、サブ? まだなんかあんのか?」
「……いや、少し気になったんですが」
サブは隣に立つイフを指さした。
「こいつ、誰なんです?」
「あ、俺、イフだよ! イフ・フォーエバー!」
イフは元気よく答えた。
「………………」
サブはイフをじっと見つめた。
(……見たところ、十七、八歳くらいか)
(礼儀を知らないわけじゃなさそうだが……初対面の相手に敬語も使わないとはな)
そんなことを考えていると、ダラーが口を開いた。
「んー……えぇっと、そうだな……」
ダラーは顎をポリポリとかきながら、少し考え込んだ。
そして、何かを思いついたように言った。
「こいつ……イフは俺の弟子だ」
「……!?」
サブの目が見開かれた。
「で、弟子!?」
「弟子って……! あんた、弟子とか取るんですか!?」
「たまにはそういうことがあってもいいだろ……」
「……どういうことだよ」
サブは思わず小さく呟いた。
幸い、ダラーには聞こえていないようだった。
「サブさんだな! よろしく、サブさん!」
イフは満面の笑みで手を差し出した。
「……ん? あぁ……よろしく」
サブは少し戸惑いながらも、その手を握った。
二人が握手を交わす。
その様子を眺めていたダラーは、しばらく顎髭をいじっていた。
そして、何かを閃いたように顔を上げた。
「……なあ、サブ」
「……はい?」
「こいつ、お前のところで雇ってくんない?」
「………………!?」
サブは一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……や、雇う!? 雇うって、こいつを!?」
「そう!」
ダラーは迷いなく頷いた。
「軍でこいつを鍛え上げてくれや。……お前、隊長だろ? お前の班に入れてやってくれよ」
「…………!」
その言葉を聞いた瞬間、イフの目が大きく見開かれた。
「働くって……! それって、もしかして……!」
イフは息を吸い込んだ。
そして、勢いよく叫んだ。
「……『竜征軍』で働くってこと!?」
「まじか!! すげえ! やったあああ!!」
イフは飛び上がって喜んだ。
「まだ何も決まってないだろ!!」
サブの怒鳴り声が響く。
「…………あ、そっか」
イフはピタリと動きを止めた。
「………………」
サブは深く息を吐き、ダラーへと向き直った。
「ダラーさん……。実は、うちの班には既に新しい隊員を入れたばかりでしてね……」
「…………ん?」
ダラーは鼻をほじりながら首を傾げた。
「……いやあ、大丈夫だよ、サブちゃん。こいつ、案外使えるかもしれないぜ?」
「……使えるって……」
サブは呆れたように呟き、イフへ視線を向けた。
そこには、期待に満ちた目で自分を見つめるイフの姿があった。
サブはゆっくりと視線を下ろし、イフの身体を観察した。
(……筋肉は、そこそこついている)
(体力もありそうだ)
(……ただ)
もう一度、イフの顔を見た。
(…………馬鹿そうだ)
サブは無言でダラーに視線を戻した。
「ダラーさん。自分の班は、俺を含めて四人しかいないんですよ」
「……え? 少なくね?」
「…………僕が、見込みのあるやつしか入れていないんです」
「……うわぁ。お前っぽいな……」
「はい。強くて、役に立つ。そして、簡単には死なない奴しか入れていません」
「………………」
「………………」
その言葉に、イフもダラーも黙り込んだ。
サブは二人の反応を気にすることなく、静かに続けた。
「ダラーさん……。あんたが一番わかっているはずです」
その声から、先ほどまでの呆れた調子が消えていた。
「戦場は甘くない。生半可な気持ちで戦えば、必ず死ぬ。相手は竜人ですからね」
「……そうだな」
ダラーは酒瓶を置き、短く答えた。
サブは一度、目を伏せた。
「……俺は、死んでいく仲間を何人も見てきました」
その声は、いつになく静かだった。
「ダラーさんなら、その気持ちもわかるはずです」
ダラーは何も言わなかった。
「恐怖で怯える奴もいました。何もかも諦めたような顔をする奴もいた。入隊したことを後悔する奴だっていました」
サブはイフへと視線を向けた。
「……初対面で失礼なのは承知していますが」
一拍置いて、言い放つ。
「こいつは馬鹿そうだ。張り切って、何も考えずに突撃するようなタイプでしょう」
「…………っ」
イフは小さく唇を噛んだ。
「軽い気持ちで軍には入れません。ましてや、俺の班ならなおさらです」
サブの表情に迷いはなかった。
「……命を預かる以上、俺には隊員を選ぶ責任があります」
部屋に静寂が戻った。
ダラーは頭をかきながら、ぽつりと言った。
「……だけどよ」
サブが顔を上げる。
「……俺の弟子ってやつだぜ?」
その表情には、どこか誇らしさが滲んでいた。
「……はい。そこは、さすがに驚きましたが……」
サブはイフへ視線を向けた。
そして、もう一度ダラーを見た。
「…………はっきり言います」
一切の遠慮もなく、サブは告げた。
「見込みゼロです」
「だはははははっ!! 言うねぇ、サブちゃん!」
ダラーが豪快に笑った。
「…………っ!」
イフは目を見開いた。
そして、ゆっくりと視線を落とした。
(……そっか)
(俺って、まだまだなのかな……)
自分の手を見つめる。
ダラーと出会ってから、何度も倒れ、何度も立ち上がってきた。
走って、食べて、身体を鍛えて。
銃の扱いも、体術も、少しずつ覚えてきた。
それでも、まだ足りない。
(もっと頑張らなきゃ……)
イフは拳をぎゅっと握りしめた。
(……一人で竜人を倒せるくらいになれば、軍に入って戦えるのかな……)
悔しかった。
けれど、それ以上に、自分の未熟さが歯がゆかった。
そんなイフを見つめながら、ダラーが口を開いた。
「……イフは、俺が一から育てたんだ」
「……?」
サブが顔を上げる。
ダラーは少しだけ目を細めた。
「ぶっちゃけさ……イフには言ってなかったんだが」
ダラーは一度、イフへと視線を向けた。
「……お前が見込みゼロって言うのも、わかるんだよ」
「……はい」
サブは静かに頷いた。
イフは少し驚いたように顔を上げた。
自分の師匠にまで、そう言われるとは思っていなかったのだろう。
「最初は、ガリガリのガキだった」
ダラーは懐かしむように笑った。
「まともに身体も動かせねえし、体力だって全然なかった」
「………………」
「それが、徐々に……本当に徐々に強くなってな」
ダラーはイフを見た。
「銃の使い方も覚えた。体術だって、ずいぶん上達した」
その声には、確かな実感がこもっていた。
「……ただ、竜人と戦うってなったら、まだまだだ」
「…………」
「ぶっちゃけ、マジの大マジで……今のお前じゃ、サブの班に入っても役には立たねえと思う」
「……うぅ」
イフは複雑そうな顔をした。
師匠にまで言われてしまった。
やはり、自分はまだ弱いのだ。
けれど。
「………………」
ダラーの表情が、ふっと変わった。
いつものように笑っているわけでもない。
酒を飲んで、適当なことを言っているわけでもない。
真剣だった。
イフは、そんなダラーの顔を初めて見た。
「……頼むよ、サブ」
ダラーはサブをまっすぐに見つめた。
「こいつは、いつか絶対に役に立つ」
「………………!」
サブの目が見開かれた。
ダラーは続けた。
「それがどういう理由なのか、俺にも全部はわからねえ」
「…………」
「けどよ……俺は、そう思ってる」
ダラーは再びイフへ視線を向けた。
そして、ふっと笑った。
「……それに、こいつぁ優しいからな!」
「………………」
サブは何も答えなかった。
「てめぇは真面目だからな。気持ちはわかる」
ダラーはサブの肩を軽く叩いた。
「けどよ、こいつから学べることだって、きっとあるぜ」
「……はぁ」
サブは困ったように息を吐いた。
いつものダラーなら、適当なことを言って笑い飛ばすところだ。
だが、今の目は違った。
冗談を言っているわけではない。
イフの実力を過大評価しているわけでもない。
それでも、ダラーは信じていた。
この少年が、いつか何かを成し遂げることを。
その理由を、サブはまだ知らない。
ただ一つ、確かなことがあった。
ダラーは嘘をついていない。
その目には、揺るぎない確信……とまではいかない、かすかな光が宿っていた。
まるで、まだ誰にも見えていない未来に、希望を見出しているかのようだった。
「………………」
サブは黙り込んだ。
腕を組み、目を伏せる。
考えた。
自分の班に入れるべきか。
この少年に、命を懸ける覚悟があるのか。
本当に、いつか役に立つのか。
答えは出ない。
けれど、いつまでも考えているわけにもいかなかった。
やがて、サブはゆっくりと顔を上げた。
「…………イフ、だっけか」
「……え!? う、うん!」
イフは慌てて返事をした。
サブは短く告げた。
「……準備しろ。ついてこい」
「…………え?」
イフは目を丸くした。
「ええ!? ……え!? もう!?」
「……五分やる! 早く準備しろ!」
「は、はい!!」
イフは慌てて自分の部屋へと駆け出した。
その背中を見送りながら、ダラーが腹を抱えて笑った。
「だははははははっ!! さすがサブ! 行動派だなぁ!」
「……うるさいですよ、ダラーさん」
サブは呆れたように答えた。
だが、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
こうして、イフは竜征軍への第一歩を踏み出すことになる。
この日、イフはサブ・ストレートと出会った。
まだ、この出会いがどれほど大きな意味を持つことになるのか、二人は知らない。
ただ一つ。
この出会いが、いつか二人にとって、かけがえのないものになることだけは、間違いなかった。




