32.イフとサブの出会い①
カジノ。
煌びやかなシャンデリアが天井を照らし、店内には大勢の客たちの歓声が響いていた。
ルーレットの回る音。
チップのぶつかり合う音。
そして、勝者を称える歓声と、敗者の悔しげな呻き声。
欲望と金が渦巻くその場所で、一人の男がブラックジャックのテーブルに座っていた。
ラク・ヴィリーブ。
25歳。
目の前には、積み上げられた大量のチップ。
その山を囲むように、数人の客たちが男の手元を見つめていた。
ディーラーが、慣れた手つきでトランプを配る。
パサッ。
パサッ。
静かな音が、テーブルの上に響いた。
ラクは目の前のカードを見つめることなく、耳を澄ませていた。
カードが配られる音。
そのわずかな違い。
ディーラーの指先の動き。
そして――。
「……スタンドっ!」
ラクは、迷いなくそう告げた。
ディーラーの手が止まる。
やがて、テーブルの上のカードが一枚ずつ開かれていった。
その結果を目にした瞬間。
「おおおぉ!!」
周囲の客たちが、一斉にどよめいた。
「す、すげぇ! あの男! もう14連勝だぞ!」
「マジかよ……! いったいいくら勝ってんだ!?」
驚きの声が飛び交う。
その中心にいるラクはというと――。
「あははっ!」
まるで大したことではないと言わんばかりに笑いながら、テーブルの上のチップを手元へと引き寄せていた。
(このディーラー……。癖が強いおかげでわかりやすいぜっ!)
ラクは心の中でほくそ笑む。
彼は、配られるカードの音を鮮明に聞き分けていた。
そのわずかな違いから、カードの情報を読み取る。
そして、その能力を存分に活かし、カジノで大勝ちを続けていたのだ。
目の前に積み上がっていくチップ。
周囲から向けられる驚きの視線。
それらを眺めながら、ラクは満足げに口元を緩めた。
「……ふっ。たまにはサブの野郎に飯でも奢ってやるか……!」
鼻で笑い、そう呟くラク。
どうやら今日の勝利は、自分一人の懐を潤すだけでは終わらないらしい。
***
一方、その頃。
イフとダラーの家では――。
「……郵便かな?」
インターホンが鳴ったので、イフが玄関の方へと顔を向けた。
そして、玄関へ向かおうとした、その時だった。
ガチャッ。
扉が開いた。
「…………?」
イフは、目の前に立つ男を見上げた。
見覚えのない顔。
いや、少なくともイフには、誰なのかさっぱりわからなかった。
「……えっと…………どちら様で?」
困惑した様子で尋ねるイフ。
すると、居間のほうから声がした。
「……サブ?」
ダラーが、男の顔を見て呟いた。
「……あ! ダラーの知ってる人?」
イフが振り返る。
その男――サブ・ストレートは、イフの問いかけには答えず、ズカズカと家の中へ入ってきた。
「……お久しぶりです。ダラーさん」
「ああ! 久しぶりっ!」
ダラーは、いつも通りの調子で手を上げた。
だが。
「…………」
サブの表情が、みるみる険しくなっていく。
そして、彼はそっと鼻をつまんだ。
「…………ダラーさん。風呂、入ってます?」
「お前までイフみたいなことを!」
ダラーは、すかさずイフのほうを指差した。
「えっ!? 俺!?」
突然話を振られ、イフが声を上げる。
サブは一瞬だけイフに視線を向けた。
そして、再びダラーへと目を戻す。
「…………」
数秒の沈黙。
「…………まあいいです」
どうやら、これ以上追及しても仕方がないと判断したらしい。
サブは小さく息を吐くと、話を切り替えた。
「それより、ダラーさん。あれはなんなんですか?」
「……んあ?」
ダラーは、何のことだかわかっていない様子で首を傾げた。
サブの眉間に、深いしわが刻まれる。
「『なんのこと?』とか言わせないですよ」
そう言うと、サブは懐から一枚の紙を取り出し、ダラーの目の前に突きつけた。
「……ん? なにこれ?」
ダラーは腹をボリボリと掻きながら、紙を覗き込んだ。
「とぼけるのも大概にしてくださいよ」
サブは苛立ちを隠すことなく、紙のある部分を指差した。
「……んん?」
ダラーが、その指先を目で追う。
そして。
そこに書かれていた文字を見た瞬間――。
『辞任』
「…………」
一瞬の沈黙。
「あぁーーー! それね! うん、そう!」
ダラーは、伸び放題の髭をいじりながら、あっけらかんと答えた。
「そういや、まだ言ってなかったな!」
「…………マジで言ってるんですか?」
サブの声が、低くなる。
「……大マジだよ!」
対するダラーは、まったく悪びれる様子もなかった。
「俺は仕事から解放されて! ハッピーライフを満喫するんだっ!」
「…………」
サブは、ゆっくりと頭を抱えた。
そして、勢いよく顔を上げる。
「いや、マジで……! あんた、人類最後の希望って人々から言われてるんですよね!?」
怒りを露わにするサブ。
「最近、活動もせずに! 本部にも顔を出さないで……! これ見てわざわざプティさんに住所を聞いて、慌てて飛び出してきましたよ!」
「…………」
ダラーは、頭を掻きながら黙って話を聞いていた。
サブの言葉は止まらない。
「……あんたがもっと早く! 戦いの前線に来てればっ! 人類はもっと早く救済されたかもしれないのに!」
声を荒らげるサブ。
その表情には、怒りだけではない、やり場のない感情が滲んでいた。
しかし。
ダラーは、そんなサブを静かに見つめていた。
そして、ぽつりと口を開いた。
「……前にも言ったじゃねぇか…………サブ」
その声は、いつものふざけた調子とは違っていた。
どこか寂しげで。
どこか、遠いものを見つめているような声だった。
サブは、はっとした。
何かを思い出したように、表情から怒りが消えていく。
「…………失礼。今のは口が滑りました」
サブは目を伏せ、静かに謝罪した。
「いいや。全然怒ってないよ……」
ダラーは、いつものように軽く笑った。
けれど、その表情には、ほんのわずかな寂しさが残っていた。
二人は、しばらく黙って見つめ合った。
やがて、サブが再び口を開く。
「……いや、辞めるっていうのは良いんですよ。個人の自由ですしね……」
「……おう」
「しかし!」
サブは、手に持っていた紙を軽く振った。
「辞任は公表しません。それを伝えに来ました」
「……んえ?」
ダラーが、間の抜けた声を上げる。
「当たり前です。仮にもあんたは、人類最後の希望と人々から言われてきた。人々からしたら、本当の救世主……いや、頼みの綱なんです」
「救世主の方が……カッコイイなぁ」
ダラーは口を尖らせた。
「そこじゃないです!」
即座にサブが突っ込む。
「そんな人が辞めるなんて言ったら、人類は何を思うでしょう……。不安に思う人もいれば、恐れる人も多いでしょう」
「んー……確かに」
ダラーは、ようやく少しだけ真面目な顔になった。
「慌てて、この紙が出回る前に回収しましたよ。軍の人間にも知られないようにね……」
「ええ……マジ?」
ダラーは、驚いたように目を丸くした。
「辞めるのは結構です。ただ、このことを知るのは、俺とあんたと一部の上層部だけです」
サブは念を押すように言った。
そして、少し声を落とす。
「竜人からの被害状況は少なくなりつつありますが、いつまた竜王が迫ってくるのかわかりません……。くれぐれもご内密にお願いし――」
そこで、サブの言葉が止まった。
「…………?」
何かがおかしい。
先ほどまで自分の話を聞いていたはずのダラーが、なぜかこちらを見ていない。
その視線は、サブの肩越し。
自分の後ろへと向けられていた。
「……聞いてるんですか? ダラーさん……」
サブは、呆れたような表情を浮かべた。
「……いやあ、ご内密……にねぇ…………」
ダラーは、歯切れの悪い返事をした。
「……?」
サブは眉をひそめた。
そして、ようやく気づく。
ダラーの視線が、自分の背後に向けられていることに。
ふと、サブが振り返った。
そこには――。
驚いた表情で、二人を見つめるイフの姿があった。
「…………」
サブとイフ。
二人の視線が、真正面からぶつかる。
そして。
「……ダラー、辞めんの!?」
イフの声が、家の中に響いた。
サブは、言葉を失った。
「…………」
「…………」
二人は、しばらくの間、見つめ合ったままだった。




