25.銃
ダラーとイフが出会ってから、十ヶ月が経った。
朝から吹きつける風は冷たく、吐く息は白く染まる。
庭の地面には、夜のうちに降りた霜が薄く残っていた。
そんな寒空の下。
「おらあああ!! クソガキ!!どうした!そんなもんかあ!!」
「うおおおおっ!!」
イフとダラーは、地面に転がるような勢いで取っ組み合っていた。
イフはダラーの腕を掴み、必死に身体を押し込む。
以前なら、力任せに押し返されるだけで簡単に転がされていた。
しかし、今は違う。
ダラーが押し込んでくる力を受け流し、足を踏ん張る。
「……っ!!」
歯を食いしばり、どうにか体勢を保った。
「おっ?」
ダラーがわずかに目を見開いた。
その一瞬。
イフは身体をひねり、ダラーの腕を引いた。
「うおおおっ!!」
だが――。
「甘えんだよ!!」
ダラーは逆にイフの腕を掴み、そのまま身体を持ち上げるように投げ飛ばした。
ドサッ!!
「ぐえっ!!」
イフは背中から地面に転がった。
「……いってえ……」
「ははっ! 今のは悪くなかったぞ!」
ダラーは豪快に笑った。
「ほ、本当!?」
イフは地面に寝転がったまま顔を上げた。
「おう。十ヶ月前のお前なら、今のでとっくに泣いてたな!」
「な、泣いてないよ!!」
「じゃあ、もう一回やるか?」
「……っ!!」
イフは慌てて起き上がった。
「や、やる!!」
「よっしゃあ!!」
二人は再び向かい合った。
イフの身体は、十ヶ月前と比べてずいぶんとたくましくなっていた。
腕も、脚も、以前より筋肉がついている。
それでも、ダラーとの実力差は大きい。
何度挑んでも、簡単には勝たせてもらえなかった。
それでもイフは、決して諦めなかった。
そして――。
「……よし。今日はここまでだ」
「えっ!?」
ダラーが突然、修行を切り上げた。
「もう終わり?」
「昼飯前だろうが。腹減ったんだよ」
「……ダラー、さっきからずっと腹減ったって言ってるよ」
「うるせえ! 育ち盛りなんだよ!」
「ダラーが!?」
「てめえ……!」
ダラーが拳を握りしめる。
イフは慌てて距離を取った。
「じょ、冗談だよ!!」
「待てやクソガキ!!」
そんなやり取りをしたあと、ダラーはふと思い出したように顔を上げた。
「あー……そうだ」
「ん?」
「ちょっと待ってろ」
そう言い残し、ダラーは家の中へと入っていった。
「……?」
イフは首を傾げた。
いつもなら、昼飯を食うために真っ先に家へ向かうダラーが、何かを探し始めている。
いったい何をするつもりなのだろう。
イフは首を傾げながら、戻ってくるのを待った。
やがて。
「……おう、待たせたな」
ダラーが戻ってきた。
その手には、一丁の銃が握られていた。
「……?」
イフは、ダラーの手元をじっと見つめた。
黒く、硬そうな金属の塊。
銃身は鈍い光を放ち、引き金や握り手には使い込まれた跡が残っていた。
「……それ、なに?」
ダラーは銃を軽く持ち上げた。
「銃だ」
「……じゅう?」
「ああ」
ダラーはイフの前にしゃがみ込んだ。
「お前もいつか竜人と戦うだろ?」
「……うん」
「だったら、こいつの扱いも覚えなきゃならねえ」
ダラーは銃を見つめた。
「竜人を相手にするなら、銃は必要不可欠だ。人間の拳だけじゃ、どうにもならねえ相手もいる」
イフは黙って聞いていた。
これまでの修行は、走ること、食べること、身体を鍛えること。
そして、ダラーと何度も殴り合うことだった。
だが、目の前にあるものは違う。
自分の拳ではない。
それなのに、使い方次第で相手を倒せる。
「……触ってみるか?」
「……いいの!?」
イフの目が輝いた。
「ああ。ほら」
ダラーは銃を差し出した。
イフは両手で受け取った。
「……っ!」
思わず、腕に力が入る。
想像していたよりも、ずっと重かった。
金属の冷たさが手のひらに伝わってくる。
銃口の先は、思っていたよりも長い。
引き金に指をかけようとしたところで、ダラーが声を上げた。
「おい、待て」
「……え?」
「むやみに引き金に触るな。撃つつもりがねえときは、指をかけるな」
ダラーの声は、いつになく真剣だった。
「銃口も、人に向けるな。撃つとき以外は、常に気をつけろ。こいつは遊び道具じゃねえ」
イフは慌てて指を離した。
「……う、うん」
ダラーは頷いた。
「よし。じゃあ、まずは構えてみろ」
イフは銃を両手で握り直した。
腕を伸ばし、銃口を前へ向ける。
だが、重さに腕が震え、狙いが定まらない。
「……お、重い……」
「ははっ! そりゃそうだろうが!」
ダラーは笑った。
「自分の身体を鍛えるのとは、また別の話だ。銃は持てりゃいいってもんじゃねえ。狙って、撃って、当てる。それができなきゃ意味がねえ」
「……うん」
イフは銃を見つめた。
自分の拳なら、何度でも振るえる。
けれど、この銃は違う。
構えるだけでも、思うようにいかなかった。
それでも。
「……俺、これも使えるようになる」
イフは銃を握りしめた。
ダラーは、その横顔を見てニヤリと笑った。
「おう。そうこなくっちゃな」
ダラーは庭の奥へ歩いていった。
そこには、古い木の板が立てかけられていた。
「よし。まずはあれを狙え」
「……あれ?」
「そうだ。いきなり人間相手に撃つわけにもいかねえだろ」
ダラーはイフの隣に立ち、銃の扱い方を教え始めた。
安全を確認し、狙いを定め、引き金を引く。
言葉で聞けば簡単だった。
だが、実際にやってみると難しい。
イフは両手で銃を構え、木の板を狙った。
「……っ」
腕が震える。
銃口がわずかに左右へ揺れる。
「焦んな。息を整えろ」
ダラーの声が聞こえた。
イフは一度、深く息を吸った。
そして、ゆっくりと吐いた。
狙いを定める。
引き金に指をかける。
「……撃て」
ダラーの声と同時に、イフは引き金を引いた。
――バァンッ!!
耳をつんざく轟音が、庭に響き渡った。
「うわっ!?」
腕に強烈な衝撃が走る。
銃口が跳ね上がり、イフは思わず身体をよろめかせた。
次の瞬間。
少し離れた場所に立てかけられていた木の板に、弾痕が刻まれた。
「……え?」
イフは目を見開いた。
自分の拳では、こんなことはできない。
どれだけ強く殴っても、これほど離れた場所に、一瞬で穴を開けることなどできない。
「……す、すげえ……」
思わず声が漏れた。
「だろ?」
ダラーは得意げに笑った。
「これが銃だ。使い方を覚えりゃ、身体の小せえ人間でも、遠くの敵を倒せる」
イフは銃を見つめた。
その目には、驚きと興奮が入り混じっていた。
「……俺も、竜人倒せるかな?」
ダラーはすぐには答えなかった。
ただ、イフの手元にある銃を見つめた。
「……さあな」
「えっ?」
「銃を持っただけで強くなれるなら、誰も苦労しねえよ」
ダラーはイフの肩を軽く叩いた。
「大事なのは、こいつをどう使うかだ」
イフは小さく頷いた。
そのときだった。
「……よし」
ダラーが突然、イフの前に立った。
「次だ」
「……次?」
ダラーは腕を組み、ニヤリと笑った。
「俺に向かって撃て」
「…………え?」
イフの顔から、笑みが消えた。
「……い、今、なんて?」
イフは聞き返した。
ダラーは、さっきと同じ調子で答えた。
「俺に向かって撃てっつったんだよ」
「む、無理だよ!!」
イフは慌てて銃を下ろしかけた。
「何言ってんの!? 危ないよ!!」
「危ねえからやるんだろうが」
「そ、そんなの修行じゃないよ!!」
ダラーは黙ってイフを見つめた。
その表情から、さっきまでのふざけた様子が消えていた。
「……イフ」
「……っ」
「お前がこれから戦う相手は、人間じゃねえ」
ダラーは静かに言った。
「竜人だ」
イフは銃を握る手に力を込めた。
「竜人は全員、能力を持ってる。人間にはできねえことを、当たり前みてえにやってくる」
ダラーは自分の手のひらを見つめた。
「銃弾を防ぐ奴もいる。身体の動きが人間とは比べものにならねえ奴もいる。能力の種類によっちゃ、銃を撃つ暇すら与えてもらえねえ」
「…………」
「それでも、お前は戦うんだろ?」
イフは顔を上げた。
「……うん」
「だったら、知っとけ」
ダラーは真っすぐにイフを見つめた。
「銃を持っただけで勝てると思うな。相手は、お前の常識が通用しねえ連中だ」
イフは黙り込んだ。
ダラーは両手を広げた。
「ほら。撃て」
「……っ!」
イフの手が震えた。
銃口の先には、ダラーが立っている。
自分を奴隷の境遇から救い出してくれた人。
食事を与えてくれた人。
毎日のように怒鳴りながら、自分を鍛えてくれた人。
そのダラーに、銃を向けている。
「…やっぱり……できないよ」
イフは小さく呟いた。
「……ダラーを撃つなんて」
「……そうか」
ダラーは目を伏せた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「じゃあ、お前はどうやって大切なもんを守るんだ?」
「……っ」
「敵が目の前にいる。そいつがお前の仲間を殺そうとしてる。お前には銃がある。だが、撃つことをためらったらどうなる?」
ダラーの声が、冷たい空気の中に響いた。
「……守れねえかもしれねえぞ」
イフは唇を噛んだ。
分かっている。
ダラーの言っていることは、間違っていない。
自分は強くなりたい。
竜人と戦えるようになりたい。
誰かを守れる人間になりたい。
けれど――。
「…………」
イフは銃を握り直した。
震える腕を、必死に持ち上げる。
銃口がダラーへ向く。
「……ダラー…………」
「ああ」
「……本当に、いいの?」
ダラーはニヤリと笑った。
「誰に向かって言ってんだ。さっさと撃て」
イフは目を閉じた。
そして――。
引き金を引いた。
――バァンッ!!
銃声が、庭を切り裂いた。
銃口から白い煙が立ち上る。
放たれた弾丸は、一直線にダラーへと向かっていった。
その瞬間。
ダラーの右手が、わずかに動いた。
ボッ。
手のひらに、小さな炎が灯る。
次の瞬間、炎は一気に膨れ上がった。
ゴオオオオッ!!
燃え盛る炎が、ダラーの前方を覆い尽くす。
迫り来る弾丸が、炎の中へ飛び込んだ。
キィンッ――!
金属が焼けるような、甲高い音が響いた。
炎の中で弾丸が赤く染まり、火花が散る。
熱によって弾丸は変形し、勢いを失っていく。
そして――。
カランッ。
焼けた金属片が、ダラーの足元に転がった。
炎が消えた。
そこには、先ほどと変わらず立っているダラーの姿があった。
「…………」
イフは、呆然と立ち尽くしていた。
何が起きたのか、すぐには理解できなかった。
自分が撃った。
確かに、銃弾はダラーに向かって飛んでいった。
それなのに、ダラーには傷一つついていない。
「……な、何……今の……」
ダラーは手のひらを軽く振った。
「……これが能力だ」
イフは目を見開いた。
ダラーの手から、ほんの少しだけ煙が立ち上っていた。
「俺たち人間には、銃がある。だが、竜人には能力がある」
ダラーはイフを見つめた。
「銃だけで勝てると思うな。竜人は全員、何かしらの能力を持ってやがる」
「…………」
「銃を撃つ前にやられることだってある。撃った弾を防がれることだってある」
ダラーは自分の手を握りしめた。
「だからこそ、身体を鍛える。頭を使う。相手の能力を知る。そして、どんな状況でも生き残れるようにする」
イフは銃を見下ろした。
さっきまで、これさえあれば竜人と戦えるのではないかと思っていた。
けれど、違った。
銃は強い。
だが、銃を持つだけでは勝てない。
自分には、まだ知らないことが山ほどある。
「……ダラー」
「ん?」
「……俺、もっと強くなる」
ダラーは一瞬だけ目を丸くした。
そして、いつものように豪快に笑った。
「ははっ! 当たり前だろうが!!」
ダラーはイフの頭を乱暴に撫でた。
「そのために、俺が鍛えてんだよ!」
「ちょっ、やめてよ!!」
「うるせえ! 昼飯にすんぞ!」
「……あっ! そうだった!」
イフは慌てて銃を下ろした。
ダラーが歩き出す。
イフはその背中を追いながら、もう一度だけ銃を見つめた。
その重みは、先ほどと変わらない。
けれど、イフには少し違って感じられた。
銃は、ただ強くなるための道具ではない。
使い方を間違えれば、誰かの命を奪う。
そして、どれほど強力な武器を持っていても、それだけでは守れないものがある。
イフは銃をしっかりと握りしめた。
いつか、本当に戦う日が来る。
そのとき、自分は何を守れるのだろう。
まだ答えは分からなかった。
ただ一つ、確かなことがあった。
もっと強くならなければならない。
イフは、ダラーの背中を追いかけた。
***
昼。
食卓には、温かいスープと焼きたてのパンと魚料理が並んでいた。
「……で、今日は何を教わったの?」
プティが尋ねた。
イフはパンを頬張りながら答えた。
「銃!!」
「銃?」
「ああ。こいつも、そろそろ覚えさせねえとな」
ダラーはスープを飲みながら答えた。
「竜人と戦うなら、いずれ必要になる」
プティは少しだけ表情を曇らせた。
「……そうだね」
イフは二人の顔を見比べた。
「……?」
「どうした、イフ」
「ううん。なんでもない」
イフは再びパンにかじりついた。
まだ知らないことばかりだ。
それでも、少しずつ学んでいけばいい。
そう思いながら、イフは温かい食事を口に運んだ。
***
一方、竜征軍本拠地。
サブは、テーブルの向かいに座る少女を見つめていた。
「……ほら、食えよ」
キリの前には、温かいスープとパンが置かれていた。
しかし、キリは黙ったまま、目の前の食事を見つめている。
「……いらない」
小さな声だった。
「……そっか」
サブはそれ以上、何も言わなかった。
無理に食べさせるつもりも、無理に話を聞き出すつもりもなかった。
ただ、食事を用意して、同じ場所に座る。
それだけだった。
サブはスープを口に運んだ。
キリもまた、しばらく黙っていた。
やがて、ほんの少しだけパンに手を伸ばす。
サブは気づいていたが、何も言わなかった。
その小さな変化を、わざわざ言葉にする必要はないと思ったからだ。
食事が終わる頃、サブは椅子から立ち上がった。
「……食べたくなったら、また用意するからな」
キリは答えなかった。
サブは小さく息を吐き、部屋を出た。
廊下を歩きながら、ふと足を止める。
「……難しいな」
子供の面倒を見るなんて、今まで考えたこともなかった。
ましてや、何を考えているのか分からない少女だ。
それでも、放っておくわけにはいかなかった。
サブは頭を掻きながら、再び歩き出した。
***
数日後。
竜征軍本拠地、会議室。
サブは上層部の人間たちを前に、北の国について報告していた。
「……以上が、北の国から来た少女の証言です」
机の上には、報告書が置かれていた。
北の国は壊滅。
その国を支配した竜王、ヘルの存在。
そして、百人規模にも及ぶ氷の能力者たち。
竜征軍にとって、決して無視できる情報ではなかった。
「……つまり、ヘルは自分の能力を他の竜人に分け与えたということか」
上層部の一人が口を開いた。
「はい。少女の証言が正しければ、全員が氷の能力を持っている可能性があります」
「……厄介だな」
別の男が腕を組んだ。
「だが、現時点では敵の正確な位置も、次の標的も分かっていない」
「それは……」
「こちらから大規模な部隊を動かせば、別の場所で隙が生まれる可能性もある」
サブは黙って聞いていた。
言っていることは分かる。
敵の居場所が分からない以上、無闇に動くことが危険なのも理解できる。
だが。
「……では、どうするんですか?」
サブは顔を上げた。
「次の国が襲われるまで、何もしないんですか?」
会議室が静まり返った。
上層部の男は、淡々と答えた。
「現時点では、情報収集を優先する。大規模な軍の派遣は見送る」
「……っ」
サブは拳を握りしめた。
「北の国は、もう滅びたんですよ」
声が低くなる。
「そこに住んでいた人たちは、何も悪いことをしていない。ただ暮らしていただけです」
誰も口を挟まなかった。
「それなのに、次の国も襲われるかもしれない。百人もの氷の能力者が、今もどこかにいるんです」
サブは上層部を見渡した。
「それでも、動かないんですか?」
「サブ隊長」
上層部の男が静かに言った。
「君はまだ若いね…。感情だけで軍は動かせないんだよ」
「…………」
「我々には、他の国々を守る責任もある。敵の位置も分からないまま部隊を動かし、無駄に兵を失うわけにはいかない」
サブは唇を噛んだ。
理解できる。
だが、納得できない。
目の前にいる人間たちは、北の国で何が起きたのかを知らないわけではない。
それでも、動かないと決めたのだ。
「……分かりました」
サブは静かに頭を下げた。
これ以上、ここで言葉を重ねても決定は変わらない。
サブは会議室を後にした。
扉が閉まる。
廊下には、誰もいなかった。
サブは足を止め、壁に拳を押し当てた。
「……くそっ」
声を押し殺す。
北の国は滅びた。
そして、次にどこが襲われるのかも分からない。
自分は竜征軍の隊長だ。
人々を守るために戦う立場にいる。
それなのに、今は何もできない。
「……何のために、俺は……」
言葉が途切れた。
しばらくして、サブは拳を下ろした。
ここで立ち止まっているわけにはいかない。
上層部が動かないのなら、自分にできることを探すしかない。
サブは顔を上げた。
その目には、先ほどまでの迷いとは違う色が宿っていた。
北の国の惨劇を、二度と繰り返させない。
そのために何ができるのか。
サブは、静かに歩き出した。
ここなんかすげぇ書いてて楽しかった記憶あります。




