24.キリという少女
竜征軍本拠地。
サブ、ラク、プティの三人は、本部の入り口へと急いでいた。
「……それで、その子は今どこに?」
サブが歩きながら尋ねた。
「応接室で休んでもらってるよ。かなり疲れているみたいだったから……」
プティは心配そうに答えた。
「北の国から、一人でここまで来たのか?」
「うん……。そうらしい……。
それも、ボロボロの格好でね」
サブは黙り込んだ。
北の国。
その名を聞くたびに、胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
やがて三人は、一つの部屋の前で足を止めた。
「……この子だよ」
プティが静かに扉を開けた。
部屋の隅。
そこに、一人の少女が座っていた。
年齢は十歳ほどだろうか。
黒く長い髪は乱れ、身にまとった服はあちこちが破れ、泥や汚れにまみれていた。
小さな身体は、ひどく疲れ切っているように見えた。
けれど、三人が最初に目を奪われたのは、その姿ではなかった。
少女の瞳だった。
何かを失ってしまったかのような、深い寂しさ。
まるで、もう二度と戻れない場所を見つめているような目だった。
「……こんにちは」
サブはなるべく穏やかな声で話しかけた。
少女はゆっくりと顔を上げた。
「……」
「俺はサブ。ここは竜征軍の本部だ。もう大丈夫だから、安心してくれ」
少女はしばらくサブの顔を見つめていた。
やがて、小さく口を開く。
「……ここは、人間を助けてくれる場所ですか?」
その声は、かすれていた。
サブは一瞬だけ言葉に詰まった。
そして、まっすぐに少女を見つめ返した。
「ああ。少なくとも、俺はそのつもりだ」
少女は俯いた。
その小さな肩が、かすかに震えた。
「……よかった」
それだけ呟くと、少女は再び口を閉ざした。
サブは隣にいたプティへ目を向けた。
プティもまた、少女を心配そうに見つめていた。
「……名前を聞いてもいいか?」
サブが尋ねる。
少女は少しだけ顔を上げた。
「……キリ」
「キリか」
サブはその名を繰り返した。
「俺たちに、何があったのか教えてくれるか?」
キリはしばらく黙っていた。
そして、震える唇を開いた。
「……北の国は」
一度、言葉が途切れる。
「……もう、ありません」
その場の空気が凍りついた。
サブは椅子に腰を下ろし、キリの話に耳を傾けていた。
ラクもいつになく真剣な表情で、壁際に立っている。
プティはキリのために温かい飲み物を用意し、そっとテーブルへ置いた。
キリはカップを両手で包み込んだ。
「……ある日、竜人たちが来ました」
小さな声だった。
「大勢の竜人が来て……」
キリはカップの中を見つめた。
「街も、家も、人も……全部、凍っていきました」
サブの眉間に皺が寄る。
「……竜王の名は?」
「……ヘル」
その名を聞き、サブの表情が変わった。
「……ヘル…………ねえ。」
サブは低く呟いた。
キリは小さく頷いた。
「ヘルは……たくさんの竜人を連れていました」
「何人くらいだ?」
ラクが尋ねる。
「……分かりません。でも、百人くらいはいたと思います」
「百人……!?」
ラクが思わず声を上げた。
竜人が百人。
それだけでも十分に脅威だ。
しかし、キリの話はそれだけでは終わらなかった。
「みんな……氷を使っていました」
「……全員が?」
サブが聞き返す。
「はい。ヘルが、自分の力をみんなに分け与えたんだって……」
サブは黙り込んだ。
竜王が自らの能力を分け与え、それを持つ軍団を形成している。
もしそれが事実なら、単なる竜人の集団とはわけが違う。
個々の能力がどれほどの強さなのかは分からない。
だが、百人もの氷の能力者が組織的に動けば、一つの国を壊滅させることさえ可能なのかもしれない。
「……それで、今そいつらはどこにいる?」
サブが尋ねた。
キリは首を横に振った。
「……分かりません」
「分からない?」
キリはカップを握る手に力を込めた。
「でも……聞こえたんです」
「何が?」
「……次の国も、全部凍らせるって」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
北の国だけでは終わらない。
ヘルは次の国を狙っている。
そして、百人もの氷の能力者を率い、密かに次の侵攻を企てている。
サブは深く息を吐いた。
「……まずいな」
普段は落ち着いているサブの声にも、わずかな緊張が混じっていた。
「すぐに上へ報告する。部隊を動かせるかどうかも含めて、対策を考えないと……」
「待てよ」
ラクが口を挟んだ。
「百人だぞ。しかも全員が氷の能力持ち。下手に動けば、こっちまで全滅しかねねえ」
「……分かってる」
サブは資料もないまま、頭の中で状況を整理していた。
ヘルの居場所は分からない。
軍団の規模は大きい。
そして、次の標的となる国も特定できていない。
今すぐ動くべきか。
それとも、情報を集めてから対策を立てるべきか。
どちらにしても、時間はなかった。
そのときだった。
「……あれ?」
プティが小さく声を上げた。
「キリちゃん……手が……」
三人の視線が、一斉にキリへと向いた。
キリの両手。
その指先から、白い冷気がゆっくりと立ち上っていた。
テーブルの表面に、薄い霜が広がっていく。
カップの縁が凍りつき、湯気が消えた。
キリは自分の手を見つめた。
指先から漏れ出す冷気。
それは間違いなく、氷の能力だった。
「……おいおい」
ラクが目を見開く。
サブもまた、言葉を失っていた。
キリ自身が、氷の能力を持っている。
北の国から逃げてきた、十歳の少女が。
「キリ……その力は、いつから使えるんだ?」
サブが慎重に尋ねた。
「……分かりません」
キリは首を横に振った。
「気づいたら……こうなっていて……」
自分でも、何が起きているのか分かっていない。
その表情は、恐怖と困惑に満ちていた。
サブはキリの手を見つめた。
ヘルが能力を分け与えた軍団。
北の国から逃げてきた少女。
そして、彼女自身も持っている氷の力。
偶然なのか。
それとも――。
サブは、胸の中に生まれた疑問を口にはしなかった。
今はまだ、何も分からない。
「……大丈夫だ」
サブはキリに向き直った。
「その力が何なのか、これから一緒に調べていこう」
キリは不安そうにサブを見つめた。
「……私も、ここにいていいんですか?」
「もちろんだ」
サブは迷わず答えた。
「行くところがないんだろ?」
キリは小さく頷いた。
「なら、しばらく俺が預かる。生活のことも、能力のことも、心配しなくていい」
「……ありがとうございます」
キリは深く頭を下げた。
その瞳には、まだ消えない寂しさが残っていた。
失ったものは、きっと戻らない。
それでも。
この日、キリは新しい居場所を得た。
そしてサブは、まだ誰も知らない謎を抱えた少女を預かることになったのだった。




