20.サブとラクの出会い②
イフが目を覚ました。
まだ少し眠気の残る目をこすりながら、いつものように居間へと向かう。
そこには、ソファで大きないびきをかくダラーと、テーブルに突っ伏して眠るプティの姿があった。
「……?」
イフは二人を交互に見つめた。
テーブルの上には、何本もの酒瓶が転がっている。
昨夜は二人で、遅くまで酒を飲んでいたのだろうか。
そんなことを考えながら、イフは二人の寝顔を眺めた。
ダラーはいつも通り、豪快ないびきをかいている。
プティはというと、テーブルに頬をくっつけたまま、気持ちよさそうに眠っていた。
「……ふふっ」
思わず、小さな笑みがこぼれた。
なんだか、嬉しかった。
自分の知らないところでも、この二人はこうして一緒に過ごしている。
そんな当たり前の光景が、イフには少しだけ特別に思えた。
ここは、自分の帰ってくる場所なのだ。
そう思いながら、イフはそっと二人を起こさないように玄関へ向かった。
今日も日課のランニングが待っている。
扉を開けると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。
イフは小さく息を吸い込み、走り出した。
***
一方、その頃。
「…………」
ラクは目を覚ました。
しかし、何も見えなかった。
視界は真っ暗。
口も塞がれているのか、声を出すことすらできない。
耳も何かで覆われているらしく、周囲の音がひどく遠く感じられた。
(……真っ暗だ)
(……ここは、どこだ?)
必死に状況を理解しようとする。
だが、頭がうまく働かない。
何が起きたのか。
自分はなぜ、こんな状態になっているのか。
そして、ようやく。
ラクは、意識を失う前の出来事を思い出した。
(……そうだ! あの男だ!)
(名前は確か……サブ!)
あいつに会って、それから……。
「お、お目覚めかい。シスコンギャング」
聞き覚えのある声がした。
間違いない。
あの男、サブだ。
耳を塞がれているせいか、声はいつもよりくぐもって聞こえる。
それでも、ラクには分かった。
「お! すげえな!」
サブが感心したような声を上げる。
「目も耳も口も塞いでんのに、俺が誰だか分かるのか! その能力、耳がとんでもなく良くなるんだな!」
「…………」
ラクの思考が、一瞬停止した。
(……は?)
こいつは、何を言っている?
自分は何も喋っていない。
能力を使ったわけでもない。
それなのに、どうして。
(……俺の能力を、当てやがった?)
背筋に、ぞくりとしたものが走った。
先ほど対峙したときから、只者ではないと思っていた。
だが、こいつは一体、何者なのだ。
その瞬間。
身体に巻きつけられていた包帯が、するすると解かれていった。
「……っ!」
突然、光が差し込む。
「……眩しっ!」
思わず目を細めるラク。
続いて口を塞いでいた包帯も外され、ようやく自由に息ができるようになった。
「はっ……! はぁっ……!」
荒い呼吸を繰り返す。
目の前には、先ほど対峙した男――サブが立っていた。
「いやぁ、悪い悪い! そんな怒んなって! もう解いたからさ! ほらっ!」
サブは悪びれもせず、ひらひらと手を振った。
ラクは自分の身体を見下ろした。
頭から足先まで、全身が包帯でぐるぐる巻きにされている。
目も耳も口も、すべて塞がれていたのだろう。
「てめぇ……! ここはどこだ! さっさと離せゴラァ!」
「まあまあ、落ち着けって」
サブは、さも当然のように答えた。
「ここは……空だな!」
「……そ、空?」
「うん。飛行機の中だな!」
「…………は?」
ラクは言葉を失った。
窓の外を見れば、どこまでも広がる空。
そして、自分の身体を拘束する包帯。
状況が、ようやく繋がった。
「……捕まったのか?」
「うん。逮捕した」
「…………そうか」
ラクは、静かに目を伏せた。
怒鳴る気力すら、少しずつ失われていく。
もう逃げられない。
そう悟ったのかもしれない。
ふと、ラクは自分の身体に巻かれた包帯を見つめた。
「……音の斬撃で、拘束を切るのか?」
「……っ!」
サブの表情が、一瞬だけ止まった。
(……エスパーか、こいつは)
ラクはそう思った。
サブは小さく息を吐くと、先ほどまでの軽い表情を少しだけ引き締めた。
「……やめといたほうがいいぜ」
「…………」
「もし抵抗するなら、俺がそのまま奈落の下まで落とすからな」
「…………」
何を言っているのか、ラクにはよく分からなかった。
だが、不思議と冗談には聞こえなかった。
こいつは、言ったことを本当に実行する。
ラクはそう感じた。
抵抗することも、逃げることも。
今の自分には、できそうになかった。
***
「まあ、そんな怖い顔すんなって!」
サブは再び、いつもの調子に戻った。
「お前の素性、徹底的に調べたぜ!」
「……何?」
「お前が寝てる間にな! お前の仲間をとっ捕まえて、全部吐き出してもらったよ!」
「…………」
「ははっ! 驚いたぜ! まさか俺の推理が100%ビンゴだったとはな!」
サブは得意げに笑いながら、指を折っていく。
「ラク・ヴィリーブ。15歳、身長178センチ……おっ、俺と同じくらいだな!」
「…………」
「1月10日生まれのAB型で……」
「もういいよ。分かったよ」
ラクが、呆れたように遮った。
「あ、そう?」
サブはあっさり引き下がった。
「…………」
ラクは深く息を吐いた。
そして、諦めたように呟く。
「……参った。ガチでお前には勝てる気がしねぇ」
「ははっ! 潔いいな、随分と!」
サブは楽しそうに笑った。
ラクは何も答えなかった。
しばらくして、ぽつりと尋ねる。
「……俺は、どこに行くんだ?」
サブはラクを見つめた。
その顔から、先ほどまでのふざけた笑みが少しだけ消える。
ラクの表情は、どこか寂しげだった。
「……妹は無事だよな?」
「…………」
「というか……無事だとしても、もう会えないよな?」
サブは答えなかった。
その沈黙が、ラクには何よりも雄弁に感じられた。
ラクは視線を落とし、自分の手を見つめる。
「……人は殺してないし……死刑はないだろ?」
自分に言い聞かせるように、言葉を続けた。
「どれくらい俺は留置されるんだ?」
「あははっ……当然だよな! これだけ能力で悪さしちまったんだ」
乾いた笑いが、機内に響く。
「……あ、ひょっとして能力解明のために解剖とかされんのか……?」
ラクは冗談めかして言った。
だが、その声にいつもの威勢はなかった。
サブは黙って聞いていた。
ラクは笑っている。
けれど、その目は笑っていなかった。
「…………」
「…………」
二人の間に、静かな時間が流れた。
やがて、サブが口を開いた。
「……お前、俺ん所来るか?」
「……は?」
ラクは顔を上げた。
何を言われたのか、理解できなかった。
サブは構わず続ける。
「……妹に嘘までついて、妹の治療費や学費を、悪さしてまで稼いでたんだってな」
「…………」
ラクはサブを見つめた。
その目には、まだ警戒の色が残っている。
「……てめぇ、何が言いたいんだよ」
「……俺が見込んだって言ってんだよ」
サブは、まっすぐにラクを見据えた。
「『竜征軍』に入れ。俺の部隊に来い」
「…………」
ラクは言葉を失った。
犯罪者である自分に、軍に入れと言っている。
いったい、何を考えているのか。
そんなラクの疑問などお構いなしに、サブは続けた。
「……拒否権はない!」
「……はぁ?」
「当たり前だろ、このシスコンギャング野郎」
サブはニヤリと笑った。
「お前は犯罪者だぜ? 別に拒否っても構わないが……龍の力を手にしたギャングの犯罪者だ。これから何されるか、俺も知らねぇぞ」
「…………」
冗談めいた口調だった。
だが、言っていることは冗談ではない。
ラクは黙ってサブを見つめた。
自分が何をしたのかは、分かっている。
能力を使って悪事を働いた。
その力を、間違ったことに使ってきた。
その結果が、今なのだ。
しばらくして、サブが再び口を開いた。
「……軍で成果を出せば、妹の治療費も学費も、俺が保証してやるよ」
「……は、はぁ!?」
ラクの目が見開かれた。
「お前、何言ってんっ……!」
「その代わり、大好きな故郷にはしばらく帰れねぇな」
「…………」
「……まあ、たまに帰っても別にいいが」
サブは肩をすくめた。
「悪さは、これで本当に終わりにしろ」
そして、少しだけ声を落とした。
「……お前の妹も、それがお望みだろう」
「……っ!」
その瞬間。
ラクの脳裏に、ある光景が蘇った。
妹との電話。
携帯電話の向こうから聞こえてきた、あの声。
『もう、悪さとかしてない?』
心配そうな声だった。
ラクを疑っているわけではない。
ただ、兄のことが心配で仕方なかったのだ。
それなのに。
『約束する! 今も仕事で忙しいんだぜ?』
自分は、そう答えた。
何事もないように。
妹を安心させるために。
――嘘をついた。
「…………」
ラクは、俯いた。
今まで、自分なりに必死だった。
妹を助けたかった。
治療費を稼ぎたかった。
少しでも、あいつに不自由のない生活をさせてやりたかった。
そのためなら、何だってするつもりだった。
だが。
本当に、これでよかったのだろうか。
妹が望んでいたのは、こんなことだったのだろうか。
「…………」
ラクは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前には、相変わらずニヤニヤと笑っているサブがいた。
ふざけた男だ。
何を考えているのか分からない。
自分のことを、どこまで見透かしているのかも分からない。
それでも。
こいつの言葉は、不思議と嘘には聞こえなかった。
ラクは、しばらくサブを見つめていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……成果っつーのは……」
「……ん? 何?」
ラクは一度、咳払いをした。
もう一度、サブの目を見つめる。
「成果っつーのは、何をすればいいんだ?」
その目には、先ほどまでの諦めはなかった。
代わりに宿っていたのは、覚悟だった。
サブは一瞬だけ目を丸くした。
そして。
「ははっ!」
豪快に笑った。
「簡単だよ!」
サブは、拳を握りしめる。
「竜人をぶっ倒しまくればいい!」
「……!」
ラクの口元が、わずかに緩んだ。
サブもまた、ニヤリと笑い返す。
二人は、しばらく見つめ合った。
言葉を交わす必要はなかった。
互いに、もう分かっていた。
ラク・ヴィリーブ。
この日、彼は新たな道を歩み始める。
その先に待つものが何なのか。
まだ、誰にも分からない。
ただ一つ確かなことがある。
――二人の意見は、合致した。ーー




