19.サブとラクの出会い①
そろそろ、肌寒さを感じる季節。
イフとダラーが出会ってから、八ヶ月が経とうとしていた。
その夜。
イフが寝静まった家の居間では、ダラーとプティが二人で過ごしていた。
プティは本を読みながら、酒を一口飲むダラーに声をかけた。
「寒くなってきましたね、ダラーさん」
「ん? あぁ、そだねー」
ダラーは本から目を離さず、気の抜けた返事をする。
「イフくん、暖かい服を買ってあげなきゃ」
プティは、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば、ダラーさん」
「……ん?」
「最近、やけに楽しそうですよね」
「……楽しそう?」
ダラーがようやく顔を上げた。
「はい。前はずっと、つまんなそうにしてましたから」
プティは迷いなく頷いた。
「……えぇ? そうだっけか?」
「そうですよ! それはもう!」
プティは少し身を乗り出し、嬉しそうに続けた。
「イフくんと出会ってからですかね。大きな声で笑うことが増えた気がしますよ?」
「変わんねぇって、絶対!」
ダラーは慌てて否定した。
「いえいえ! 変わりました!」
プティはクスクスと笑う。
「そりゃ、下品な笑い方は変わりませんけど……なんていうか、無理に笑わなくなったというか」
「プティちゃん、何言ってんのよっ! 俺ぁ、ずーっと変わんないって!」
ダラーは酒を煽りながら、わざとらしく声を張り上げた。
しかし、その視線はどこか落ち着かない。
「……ふふっ」
プティはそんなダラーを見て、微笑んだ。
「イフくん、可愛いですもんね」
「思ったことねぇよ! あのクソガキ!」
「本当ですかぁ?」
「本当だっつーの!」
「知ってます? あの子、この前寝言で言ってたんですよ?」
「……あ?」
プティは悪戯っぽく笑った。
「『ダラーの野郎〜、酒癖ぇ〜』って」
「…………」
一瞬、ダラーの動きが止まった。
「……あのクソガキィッ!!」
ダラーは勢いよく立ち上がった。
「今度、俺を抱えながら街十周させてやろうかっ!!」
「ふふふっ!」
プティは声を上げて笑った。
そんな二人の声が、静かな家に響いていく。
やがてプティは、そっと隣の部屋へ目を向けた。
そこには、布団にくるまり、幸せそうに眠るイフの姿があった。
「……ふふっ」
プティは優しく微笑む。
ダラーも、そんなイフの寝顔をちらりと見た。
「……ったく。世話の焼けるガキだぜ」
口ではそう言いながらも、その表情はどこか穏やかだった。
イフと出会う前のダラーが、どんな顔をして笑っていたのか。
プティは知っている。
だからこそ、今のダラーを見ると、嬉しくなるのだった。
こうして今夜も、二人は小さな幸せに包まれていた。
***
一方、とある東の国の都市。
街の大通りを、一台のバイクが軽快に走り抜けていた。
運転しているのは、ラク・ヴィリーブ。
鼻歌を歌いながら、ずいぶんと機嫌がよさそうな男だった。
ラクは一ヶ月ほど前、ある謎の竜人から能力を授かっていた。
そして今、その能力を自在に使いこなしていた。
「〜〜♪」
ラクは鼻歌を歌いながら、赤信号を無視して交差点へと突っ込んでいく。
その瞬間。
パァーーーーーーッ!!!
けたたましいクラクションが鳴り響いた。
巨大なトラックが、すぐ目の前まで迫っていた。
「……ん?」
ラクはゆっくりと顔を向ける。
トラックとの距離は、もうほとんどない。
普通の人間なら、避けることすらできないだろう。
しかし。
ラクは不敵に笑った。
「だあああぁぁっ!!!」
叫び声が、街に響き渡る。
次の瞬間。
ドゴォォォンッ!!!
まるで巨大な鉄球でも叩きつけられたかのように、トラックの車体が大きく凹んだ。
同時に、凄まじい衝撃波が周囲へと広がっていく。
ガタガタと揺れる標識。
ビリビリと震える窓枠。
そして――
パリィィンッ!!
近くの建物の窓ガラスが、次々と砕け散った。
トラックは大きく車体を歪ませながら、ようやく停止した。
一方、ラクは何事もなかったかのようにバイクを走らせていく。
「っしゃあ! 最高だぜ!」
ラクが手に入れた能力。
それは、『音』。
声を自在に操り、音そのものを武器にする能力だった。
鋭く研ぎ澄ました音波は、まるでドリルのように対象を切り裂く。
ただ大声を放つだけでも、爆発が起きたかのような衝撃を周囲へと叩きつけることができる。
さらに、音を吸収することで、相手の聴覚を奪うことさえ可能だった。
使い方次第で、いくらでも応用が利く。
そしてラクは、その能力を短期間で自分のものにしていた。
もともと喧嘩慣れしていたラクにとって、この力はあまりにも都合がよかった。
力があれば、誰にも逆らわれない。
金があれば、欲しいものは大抵手に入る。
そう考えたラクは、仲間たちとともにバイクで銀行を襲撃した。
音の刃で立ちはだかる人間を切り裂き、爆音波で金庫を破壊する。
そして、大量の金を手に入れた。
「ハハハッ! こんな簡単に金が手に入るなんてよ!」
ラクは笑った。
自分の力に、疑いなどなかった。
この能力は、本当に無敵なのではないか。
そう思えるほどに、すべてが思い通りだった。
もっと能力を磨けば、さらに強くなれる。
もっと応用を考えれば、今以上に何でもできるようになる。
ラクの頭の中には、そんな考えが次々と浮かんでいた。
そのときだった。
ポケットの中から、電子音が鳴り響いた。
ピピピッ、ピピピッ。
「……ん?」
ラクはバイクを走らせながら、携帯電話を取り出した。
画面に表示されていた名前を見て、表情が変わる。
『ハナ』
ラクはすぐに仲間たちへ声をかけた。
「……おい、お前ら! 先に行っててくれ!」
「おうよ! ラク!」
仲間たちはそう答えると、バイクを走らせていった。
ラクは道の端にバイクを止め、電話に出た。
「……もしもし?」
『あっ、らっくん? ハナだよ!』
電話の向こうから、明るい少女の声が聞こえてきた。
ラクの顔が、自然とほころぶ。
「あははっ! 元気か、ハナ?」
『聞いてよ、らっくん! 昨日ね、病院の外でお散歩してたらね! 先生が慌てて来てね!』
ハナは楽しそうに話し始めた。
『術後だから、あんまり動いちゃダメでしょって怒られちゃったんだ!』
「あははっ! そりゃ駄目だろう、ハナ!」
『えへへっ!』
ハナ。
それは、ラクのたった一人の妹だった。
以前、ラクと付き合っていた女たちが、ラクへの恨みからハナを襲撃したことがあった。
ハナは激しいリンチを受け、全治半年の大怪我を負ってしまった。
その知らせを聞いたラクは、怒り狂った。
ハナを傷つけた女たちを、二度と逆らえないほど徹底的に叩きのめした。
それ以来、ハナは入院生活を送っていた。
けれど、そんな目に遭っても、ハナはラクのことが大好きだった。
そしてラクもまた、ハナを何よりも大切に思っていた。
『へへへっ!』
「あはははっ!」
電話越しに、二人の笑い声が重なる。
その声を聞いている間だけは、ラクの心も穏やかだった。
ラクは誰よりも、ハナの完治を願っていた。
一日でも早く元気になってほしい。
また以前のように笑ってほしい。
そして、これまで我慢させてきた分まで、楽しい思いをさせてやりたい。
そんなことを考えながら、ラクは口を開いた。
「そういえば、ハナっ!」
『どしたの? らっくん!』
「行きたいところは決まったか? あと一ヶ月くらいで退院だろ? バイクでどこへでも連れてってやるぜ!」
『あっ! そうだったね!』
ハナは少し考え込むように黙った。
『んー……まだ決まってないや!』
「あははっ! 早く決めとけよな!」
ラクは楽しそうに笑った。
そのときだった。
『……そういえば、らっくん』
「ん?」
『もう、悪さとかしてない?』
「…………」
ラクの笑顔が、わずかに固まった。
「……あ、あはは! 何言ってんだよ!それは約束しただろ?」
『……そ、そうだけど……』
電話の向こうから、少し不安そうな声が返ってきた。
『いや、その……また怖い人たちと一緒にいないか、心配で……』
「…………」
ラクは言葉に詰まった。
ついさっきまで、銀行を襲い、金を奪い、仲間たちと笑っていた。
今だって、仲間たちは自分を待っている。
それなのに。
ハナの声を聞いていると、どうしても嘘をつくことに抵抗を感じてしまう。
音を自在に操るようになったからだろうか。
声のわずかな震えまで、以前より敏感に感じ取ってしまう気がした。
ハナは、怖がっている。
また自分が傷つくことを。
そして、自分の大好きな兄が、危険な世界に戻ってしまうことを。
「……そ、そうだよな」
ラクは小さく息を吐いた。
「もうヤンキーじみたことはしてないよ! 約束する! 今も仕事で忙しいんだぜ?」
――嘘だった。
口にした瞬間、胸の奥がキュッと締めつけられた。
『……そっか』
ハナの声が、少しだけ明るくなった。
『あっ! 仕事中だった!? ご、ごめん! そうだよね! えらいね、らっくん!』
「……あははっ!」
ラクは、無理やり笑った。
「そうだよ! お前は退院したら、早く学校に行かないとなっ! 学費は俺に安心して任せとけ!」
『……ありがとね、らっくん!』
「ああ! じゃあなっ!」
『うん! じゃあね!』
電話が切れた。
ラクはしばらく、携帯電話を見つめていた。
やがて。
「……ふぅ」
小さく、ため息をついた。
ハナのために金を稼ぐ。
それ自体は、間違っていないはずだった。
ハナが元気になるために。
ハナが学校へ戻るために。
ハナがこれから先、何不自由なく暮らせるように。
そのためなら、自分は何だってできる。
そう思っていた。
けれど。
『もう、悪さとかしてない?』
さっきの声が、耳から離れなかった。
「…………」
ラクは携帯電話をポケットにしまった。
そして、何事もなかったかのようにバイクへとまたがる。
エンジンをかける。
大きな音が、静かな道路に響き渡った。
「……よし」
ラクは再び走り出した。
考えるのをやめるように、アクセルを強く握りしめた。
「お熱いね? 妹さんかい?」
突然、背後から声がした。
「……あ?」
ラクはバイクを止め、振り返った。
そこには、一人の男が立っていた。
サブ・ストレート。
「……誰だ? お前」
ラクは男を睨みつけた。
見覚えはない。
少なくとも、仲間の一人ではなかった。
サブは気にする様子もなく、軽い調子で口を開いた。
「サブ・ストレートだ。お前はラクだっけか?」
「……っ!」
ラクの表情が変わった。
なぜ、自分の名前を知っている?
銀行を襲ったことか。
それとも、別の何かか。
一瞬で考えを巡らせたラクは、警戒しながら問いかけた。
「……なんの用だ?」
すると、サブは少しだけ眉をひそめた。
「……歳は俺が一個上だぜ? 敬語使えよ」
「…………」
「…………」
二人の間に、妙な沈黙が流れた。
ラクは思わず言葉を失った。
何なんだ、この男は。
しかし、サブの表情からは、ふざけているのか、本気なのかさえ読み取れなかった。
サブはそんなラクを眺めながら、ふと口を開いた。
「見たところ……妹の学費や治療費のために、その若さで悪さばっかりして金を稼いでるって感じかな」
「……っ!?」
ラクの目が見開かれた。
図星だった。
「……なんで、お前……」
「よくないぜぇ。若ぇときから悪さばっかりしてると、後になって後悔するらしいぜ?」
サブは、まるで世間話でもするような口調で続けた。
「電話の内容を聞く限り、妹もひどい目に遭って、それでも妹に嘘をついて金を稼いでるっぽいな!」
「…………」
ラクは黙り込んだ。
頭の中で、さまざまな考えが駆け巡る。
こいつは何者だ。
どうして、そこまで知っている。
そして。
サブは、そんなラクの疑念を見透かしたように笑った。
「……その『音』の能力。どこで拾った?」
「…………っ!」
空気が変わった。
ラクの背筋に、冷たいものが走った。
こいつは、自分の能力を知っている。
能力を手に入れたことは、誰にも話していないはずだった。
仲間たちにすら、詳しいことは教えていない。
それなのに、目の前の男は当然のように言い当ててみせた。
「……お前、何者だ?」
ラクが低い声で問いかける。
サブは肩をすくめた。
「音の竜人は、俺がぶっ倒した」
「……っ!!」
ラクの脳裏に、あの日の光景がよみがえった。
血だらけの顔。
複雑骨折した左腕と脚。
全身がボロボロになりながらも、最後まで足掻こうとした竜人。
ラクは、竜人から能力を譲り受けた。
だが、そのときの竜人は、すでに満身創痍だった。
「ただね……あの野郎、自分で音の爆弾を当てて、どっかに飛んで逃げやがってな」
サブは面倒くさそうに頭を掻いた。
「ずっと探してたんだが……」
そして、ラクをまっすぐ見つめた。
「マジでどうやって手に入れた? なぁ、らっくん」
「…………」
ラクの表情から、笑みが消えた。
こいつは、あの竜人と戦ったことがある。
しかも、倒したと言っている。
あの竜人が、どれほど恐ろしい存在だったか。
ラク自身が、よく知っていた。
その能力を授かった自分でさえ、今では誰にも負ける気がしなかった。
だが。
目の前の男は、その竜人を倒したという。
「…………」
ラクは、静かに息を吸った。
そして、理解した。
『 こ い つ は ヤ バ い 』
次の瞬間。
ラクの身体から、緊張が消えた。
いや、正確には――戦うための準備が、整った。
目を凝らす。
周囲の空気を探る。
いつでも音の刃を放てるよう、意識を集中させた。
爆音波で周囲を吹き飛ばす準備もできている。
あとは、相手の動きを見極めるだけ。
ラクはサブとの間合いを測った。
一歩。
二歩。
いや、まだ遠い。
先手を取れるか。
それとも、相手の出方を待つべきか。
ほんの一瞬の間に、ラクはあらゆる可能性を考えた。
そして――
フッ。
「…………あ?」
視界が、暗くなった。
何が起きたのか分からなかった。
目の前にいたはずのサブの姿が、消えている。
いや。
違う。
ラクは、身体を動かそうとした。
しかし、動かない。
手も、脚も。
何かがおかしい。
「……っ!?」
ラクは、ようやく気づいた。
自分の身体全てが、地面に埋まっていた。
頭までもが、地面に深く埋め込まれていた。
一体、何をされた?
いつ、攻撃された?
そもそも、サブは動いたのか?
何一つ分からなかった。
ラクは、さっきまで戦闘態勢に入っていたはずだった。
音の刃を放つ準備もできていた。
それなのに。
能力を使う暇すらなかった。
「……はぁ」
頭上から、呆れたようなため息が聞こえた。
サブだった。
サブは地面に埋まったラクを見下ろしながら、面倒くさそうに呟いた。
「竜人の力を宿した人間だけど……」
そして、少しだけ表情を変えた。
「やってることがそれなら、お前も竜人だなっ」
ラクは、何も答えられなかった。
何が起きたのかも分からない。
どうすれば、この男に勝てるのかも分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
自分は今まで、強くなったつもりでいた。
手に入れた能力に浮かれ、何でもできると思っていた。
だが――
自分の知らない世界は、まだまだ広い。
そして、目の前にいる男は。
その世界の、ほんの一端なのかもしれなかった。
ラクの意識は、そこで一旦途切れた。
この回、
書いてて楽しかった……。
ようやく戦闘描写を書けました。
一瞬だったけど




