14.サブという男
数日が経った。
イフはようやく、この新しい居場所での生活に慣れ始めていた。
朝食の時間。
テーブルに並んだパンを頬張りながら、イフは向かいに座るダラーに尋ねた。
「だ、ダラー? プティは今日いないの?」
「あ? 聞いてねぇのか? 今日は仕事だってよ。いつまでもてめえの世話ばっかりしてられねぇからな」
「……ふーん」
イフはパンを食べる手を止めずに、ふと疑問を口にした。
「ダラーは仕事しないの?」
「……は?」
ダラーの動きが止まった。
一瞬、何を言われたのかわからないといった顔をする。
「お、おれぁ今、忙しいんだよ!」
慌ててそう言うと、ダラーは新聞を広げた。
「……ふーん」
イフは新聞の向こうにいるダラーを、疑いの目でじっと見つめる。
薄々気づいてはいた。
だが、どうやらダラーは、自分が想像していた以上にだらしない男らしい。
その視線に気づいたダラーは、無言でパンをもう一つ手に取ると、イフの口にねじ込んだ。
「分かったらもっと食え、クソガキ!」
「ぐえぇ! もう食えないって!」
「食え! 強くなりたいんだろ!? だったら食えっ!」
「く、くそぉ……!」
悔しそうに顔をしかめながらも、イフは渋々パンにかじりついた。
そんなイフを見て、ダラーは満足げに頷く。
少し前まで、イフはこんなふうに誰かと口喧嘩をすることさえなかった。
怒鳴られれば怯え、逆らえば殴られる。
それが当たり前だった。
けれど今は、目の前の男に文句を言い、時には言い返すことだってできる。
まだ、心の底から安心できるわけではない。
それでも。
イフは少しずつ、この場所で生きることに慣れてきていた。
⸻
一方。
ここは『竜征軍』の本拠地。
竜征軍。
それは、世界各地で人々を脅かす竜人を討伐するために組織された、竜人討伐隊である。
その一室で、プティは仕事に取り組んでいた。
「……プティさん」
背後から声をかけられ、プティが振り返る。
「あっ、サブくん!」
そこに立っていたのは、一人の少年だった。
サブ・ストレート。
この時、16歳。
まだ少年と呼べる年齢でありながら、その眼差しには年齢に似合わぬ落ち着きがあった。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ! 元気にやってるよ!」
「そうですか。それはよかったです」
穏やかな笑みを浮かべたサブは、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば聞きましたよ。ダラーさんと一緒に、奴隷国の解放に成功したんですって?」
「ああ……。まあ、ほとんどダラーさんがやってたんだけどねぇ」
プティは苦笑いを浮かべた。
「竜人はどんな奴でした?」
「なんか、ドロドロした奴だったよ。銃も効かなくて、少し手こずったけど……最後はダラーさんが一発でぶっ飛ばしちゃって」
「あはは……」
「それで、その竜人も捕獲しておこうと思ったんだけどね。能力が軍の戦力になるかもしれないから」
「なるほど」
サブは頷いた。
「龍から人間に能力が渡るように、竜人からも能力を継承することはできますからね」
「そうそう。ただ……」
プティは、どこか恥ずかしそうに頬をかいた。
「ダラーさんったら、『こんなドロドロした力、誰が継承したがるんだよ! いらねぇだろー!』って言って、そのままぶっ飛ばしちゃって……」
「ははっ。ダラーさんらしいですね」
サブは思わず笑った。
「でしょ? 結局、奴隷国について詳しいことは分からずじまい。政府には、とりあえず解放できましたって報告しておいたよ」
「政府からは何か言われました?」
「いや、特には」
「……え?」
サブの表情が、わずかに変わった。
プティは肩をすくめる。
「被害に遭った国が小さかったからね。どうやら、10年くらい前から奴隷国になっていたみたいなんだけど……」
「10年も?」
「うん。それだけ長い間、被害が出ていたのに、今まで誰も気づかなかった。だからなのか、世界政府もあまり重要視していないみたい」
「……そうですか」
サブは静かに相槌を打った。
先ほどまで浮かべていた笑みは、いつの間にか消えていた。
ほんの小さな国で起きた出来事。
だからといって、そこで暮らす人々の苦しみまで小さくなるわけではない。
サブは何かを考えるように、しばらく黙っていた。
そんな彼の様子を察したのか、プティは明るい声を上げた。
「そ、そういえば! 私も聞いたよ! サブくん、すごく頑張ってるんだって!?」
「……え?」
突然話題を変えられ、サブは少し目を見開いた。
「竜王の一人と戦ったんでしょ?」
「ああ……はい。結局、逃げられてしまいましたが」
「すごいよ、サブくん! 11人の竜王の一人でしょ!? しかも、サブくんは能力を持っていないのに!」
「は、はい……。まあ」
サブは少し照れくさそうに視線をそらした。
「能力もなしに竜王を追い詰めるなんて、本当にすごいよ……」
プティは感心したように彼を見つめた。
「人類最後の希望は、もうサブくんで決まりかな♪」
「ははっ……。俺はまだまだですよ」
サブは小さく笑った。
けれど、すぐにその表情を引き締める。
「それでも、あと一歩のところまでは追い詰めました。次こそは必ず、仕留めてみせます」
その言葉には、確かな自信と決意が込められていた。
「ふふっ。頑張って!」
「はい。ありがとうございます」
プティとサブは、しばらく笑顔で見つめ合った。
そして、ふと思い出したようにサブが尋ねた。
「そういえば……プティさん。ダラーさんは今、どちらに?」
「あの人は……」
プティの笑顔が引きつった。
「……今、遊んでるんじゃないかな?」
「……またですか?」
「う……うん。分かんないけど……」
プティは困ったように笑った。
そして、ふと数日前の会話を思い出す。
⸻
「プティちゃん。イフのことは秘密にしといてくれ」
「えぇ? べ、別に構わないですが……どうしてですか?」
「んー……」
ダラーは腕を組み、しばらく考え込んだ。
それを見たプティは、呆れたように口を開く。
「ダラーさんのことですから! イフくんを育てるのをいい口実にして、サボりまくるつもりなんじゃないですか?」
「俺ってそんなにイメージ悪い?」
「はい! 少なくとも私は大嫌いです!」
「……プティちゃん……」
ダラーは露骨に悲しそうな顔をした。
「んー……」
それでもしばらく考えたあと、ようやく口を開く。
「いや、これがマジで、特別な理由はないんだよね」
「えぇ……?」
プティは疑いの目を向けた。
「ほ、本当ですか……?」
「いや、結構大マジ」
ダラーは真剣な顔で頷いた。
そして、少しだけ遠くを見るような目をした。
「最初はさ、秘密にしておいて……最後の最後に『実は秘密兵器がいるんだぜ!』って、めちゃくちゃ強くなったイフを登場させたら、カッコイイかなって思ってたんだけど……」
「は、はあ……」
プティは困惑した。
何を言っているのだろう、この男は。
ダラーはしばらく黙り込んだ。
そして。
「……あのクソガキ」
「……?」
「あんまり強くなんないかも……」
「……えぇ!?」
プティは思わず声を上げた。
「あのダラーさんが直々に鍛え上げるんですよ!? 今までだって、優秀な人を育て上げたことがあるじゃないですか!」
「いや、ほんとにな!」
ダラーはなぜか誇らしげに頷いた。
「ただ……マジで強くなるイメージが湧かねぇんだよなぁ……。あいつ、8歳とか9歳くらいだろ? にしては運動能力も全然ねぇし、頭も結構バカだし……」
「馬鹿なのはダラーさんもじゃないですか」
「プティちゃん……遠慮って知ってる……?」
二人はしばらく見つめ合った。
「とにかく! まだ秘密にしといてほしいんだよ。特にサブちゃんとかには! あいつ、真面目すぎるし!」
「えぇ……。まあ、別に構いませんけど……。どうなっても知りませんよ?」
「おう! 頼んだぜ!」
ダラーは軽い調子で手を振った。
⸻
ダラーとの会話を思い出したプティは、心の中でため息をついた。
イフ・フォーエバー。
ダラーに拾われた、まだ幼い少年。
彼の存在を、サブに打ち明けることはできなかった。
「……遊んでる、ですか」
サブはプティをじっと見つめた。
「またですか?」
「う……うん。まあ、そうみたい……」
「プティさん」
「は、はいっ!」
「俺に、何か隠してますか?」
「えぇ!? い、いやいや! そんなことは!」
プティは慌てて手を振った。
――なんでこの子は、こんなに鋭いのだろう。
思わず、そんなことを考えてしまう。
サブ・ストレート。
かつてダラーが戦場で活躍していた頃、彼のすぐそばで戦っていた男である。
ダラーは、サブのことが少し苦手だった。
一方のサブは、ダラーを心から尊敬していた。
そして、この時サブは16歳。
子供とは思えないほどの冷静さと実力、そして鋭い観察眼を持ち合わせていた。
「……聞きましたよ」
サブが口を開いた。
「あの人、人類最後の希望なんて呼ばれてるんですよね」
「う、うん。そうみたいだね……」
「……」
サブは小さく息を吐いた。
「軍の総司令官としての責任は、あるんでしょうか」
「あはは……。たぶん、ない……」
「たまに仕事をしたと思えば、また酒でも飲んでるんですかね……。今回の奴隷国解放だって、ただの気まぐれだったのでしょうか」
「まあ……私が本当に怒ったときは、ちゃんと言うことを聞くんだよ? 今回だってそうだし」
「ははっ。じゃあ、もっと怒っておいてください」
「えへへ……」
プティは困ったように笑った。
サブはそんな彼女を見て、少しだけ表情を和らげる。
「まあ……ダラーさんがあまり姿を見せないことには、何か秘密があるんでしょうね」
「うっ……!」
「ですが、今は聞かないでおきます。何か事情がありそうですし」
「や、やっぱり鋭い……!」
プティは心の中で頭を抱えた。
この少年に隠し事をするのは、どうにも難しい。
「とにかく、俺も頑張ります。プティさんからも、ダラーさんにさっさと仕事をするよう伝えておいてください」
「はははっ! うん、分かった!」
「お願いします。それでは、プティさん」
「うん! 頑張ってね!」
サブは一礼すると、その場を後にした。
その背中を見送りながら、プティは小さく呟いた。
「……ダラーさん。ほんとにどうするつもりなんだろう……」
⸻
一方、その頃。
ダラーの家では。
「……誰か噂してるな。鼻がムズムズする」
ダラーは鼻をこすりながら、呑気に呟いた。
「仕事しないからじゃないかな!」
イフが即座に言い返す。
「……てめぇ」
ダラーはゆっくりとイフを見つめた。
そして、ニヤリと笑った。
「言うようになったな、クソガキ!」
「えっ?」
「もっと食え! 太れ!」
「ぐえぇぇぇぇ!!」
今日もまた、ダラーの家にはイフの叫び声が響いていた。
ちなみにサブくん。2人目の主人公みたいな感じです。




