13.食え
翌朝。
窓から差し込む朝日が、部屋の中を明るく照らしていた。
食卓には、焼きたてのパンとスープ、それからいくつもの料理が並んでいる。
イフは椅子に座りながら、目の前の食事をじっと見つめていた。
「よし、イフ」
向かいに座るダラーが口を開いた。
「今日からお前を死ぬほど鍛えるぞ」
「……はい!」
イフは背筋を伸ばし、力強く返事をした。
昨日、自分は決めたのだ。
強くなる。
もう二度と、大切な人を失わないために。
誰かに守られるだけの人間で終わらないために。
「よしっ! 分かったなら、まず食え!」
「は、はい!」
イフは目の前のパンにかぶりついた。
昨日までの自分とは違う。
今日から、自分は変わるのだ。
そう胸に刻みながら、イフは夢中で食事を口に運んだ。
⸻
「た、食べました!」
食卓に並んでいた料理を綺麗に平らげたイフは、勢いよく顔を上げた。
「おお、よく食ったな! ……って、早えな、おい」
ダラーは空になった皿を見て、少し驚いた顔をした。
「も、もう始まります!?」
「おう! 始めるか!」
「……はい!」
イフは拳を握りしめた。
ついに修行が始まる。
どんなに厳しいことでも耐えてみせる。
そう意気込んでいたイフだったが――。
「さあ! 勉強会だ!」
「…………え?」
ダラーの隣には、いつの間にかプティが座っていた。
「……え? プティ?」
「何だ、その顔は」
ダラーが眉をひそめる。
「いや、あの……。強くなるための修行みたいなものが始まるんじゃ……」
「だから、そのための勉強だっつってんだろ!」
「えぇ……」
思わず肩を落とすイフ。
そんなイフを見て、ダラーは大きなため息をついた。
「お前、何も分かってねえなぁ……」
ダラーは腕を組み、イフをまっすぐ見つめた。
「クソガキ! 相手のことを何も知らねえまま戦場に出たら、どうなると思う?」
イフは少し考え、答えた。
「…………ま、負ける?」
「違う。死ぬ」
即答だった。
イフの表情から、わずかに笑みが消えた。
「強さってのは、腕っぷしだけじゃねえ。相手を知ることも、自分が置かれてる状況を理解することも、全部強さのうちだ」
ダラーはそう言って、隣に座るプティに目を向けた。
「竜人との歴史や、力の仕組み。そういうことは全部プティに任せる。俺との本格的な修行は、その後だ」
「……はいはい。任されました」
プティは苦笑しながら、一冊の本を机の上に置いた。
「そう言って、教えるのが面倒なだけでしょ」
「だははっ! バレたか!」
「……もう」
プティは小さく息をつくと、イフに優しく微笑みかけた。
「それじゃあ、イフくん。今日は、この世界の歴史から勉強しましょうか」
「……はい!」
イフは本を開いた。
そこには、自分が今まで知らなかった世界が広がっていた。
かつて、人間と龍が共存していた時代。
互いに助け合いながら暮らしていた人間と龍が、やがて争うようになった歴史。
そして、人間に力を与える龍と、その力を受け継いだ竜人たちの存在。
プティは一つひとつ、丁寧に説明してくれた。
イフは分からない言葉があれば尋ね、時には何度も聞き返しながら、必死にその話を聞いた。
自分が生きてきた世界は、思っていたよりもずっと広かった。
そして、自分はその世界について、何も知らなかったのだ。
強くなるためには、知らなければならないことが山ほどある。
イフは本を握りしめ、改めてそう思った。
⸻
その夜。
勉強で疲れ果てたイフは、ベッドの上でぐっすりと眠っていた。
居間では、ダラーが酒を飲みながら本を読んでいる。
その向かいに座ったプティが、静かに口を開いた。
「……イフくん、ぐっすり寝ましたよ。ダラーさん」
「ん? ……ああ、そうか」
ダラーは本から目を離さず、気のない返事をした。
「……私、まだ引っかかっていることがあるんです」
「ん?」
「やっぱり、あの子はまだ子供です。竜人と戦うのは、私たちの仕事ですから」
プティは眠っているイフの方へ目を向けた。
「あの子には、竜人なんて恐れる必要のない、もっと静かな場所で暮らしてほしい。普通の子供として、幸せに生きてほしいんです」
ダラーは本を閉じ、少しだけ笑った。
「……ははっ。昨日のこと、覚えてねえのかよ」
「……はい」
プティは小さく頷いた。
「あの子の目は、ほかの子供たちとは違いました」
ダラーが、わずかに驚いた顔でプティを見る。
「……お、おう。分かってんじゃねえか」
「あの子の目には、どこか優しさがありました」
「ははっ、優しさねぇ……」
「ただ単純に、竜人を憎んでいる目ではなかったんです」
プティは穏やかな声で続けた。
「あの子が言っていたように、誰かを救いたい。そんな思いが伝わってくる目でした」
ダラーは黙って酒を口に運んだ。
プティはそんな彼を見て、ふっと微笑んだ。
「ダラーさん。出会ったときから、あの子がそういう子だって分かっていたんですね! さすがダラーさん!」
「だははっ! ようやく俺の偉大さが分かったか!」
「ほかの仕事も、そんなふうに頑張ってくれたらいいんですけど」
「……プティちゃん、一言余計♡」
「余計なことを言ったつもりはありませんよ?」
「……ごめんて」
ダラーは気まずそうに目をそらした。
少しの沈黙のあと、プティが再び口を開いた。
「……昨日のことといえば、ダラーさん」
「……ん?」
「あの子、ラーという名前を口にしていましたよね」
「……ああ。それな」
「イフくんのお母さんを殺したのは、ラーなのでしょうか」
ダラーの表情から、笑みが消えた。
「……会話の内容から考えると、恐らくな」
「まさか、ラーと接触していたなんて……」
プティは驚きを隠せない様子だった。
「そもそも、ラーは奴隷を作るような男ではありません。あの子の国を支配していたのも、別の竜人だったはずです」
「ああ……。わざわざ来たんだろうな」
ダラーはグラスを見つめた。
「竜人の頂点に立つ男が、わざわざ御足労かけてな」
「ダラーさん……」
しばらくの沈黙。
やがてダラーは、ほんの少しだけ笑った。
「あいつが殺したいのは、俺だろぉ……」
その声は、いつもの豪快なものとは違っていた。
プティは何も答えなかった。
ただ、眠っているイフのことを思いながら、静かに目を伏せた。
⸻
翌朝。
「食え」
「…………え?」
イフの目の前には、昨日の倍以上はあろうかという料理が並んでいた。
肉、野菜、パン、スープ。
食卓いっぱいに並べられた料理を前に、イフは目を丸くした。
「こ、これ……全部ですか?」
「当たり前だろ」
「いや、でも……」
「強くなりたきゃ、死ぬほど食え!」
「ええっ!?」
ダラーは豪快に笑った。
「てめえ、自分の身体を見たことあんのか! ガッリガリじゃねえかっ!!」
ダラーはイフの服をめくり、その細い腹をバンッと叩いた。
「ぐえっ!」
「身体ができてねえ奴は、強くなんかなれるわけねえんだよ! 強くなりたきゃ食え! 食って食って、また食えっ!」
「で、でも……こんなに食べたこと……」
イフの言葉が途切れた。
目の前に並ぶ、たくさんの料理。
自分のために用意された食事。
好きなだけ食べていいと言われること。
奴隷だった頃には、考えたこともなかった。
あの頃は、明日も食べられるという保証すらなかった。
それなのに今、自分の目の前には、こんなにもたくさんの食事がある。
イフはしばらく料理を見つめたあと、小さく手を合わせた。
「……いただきます」
そして、そっとパンを口に運んだ。
「…………おいしい」
思わず、言葉がこぼれた。
プティが嬉しそうに微笑む。
「よかった。いっぱい食べてね」
その言葉を聞いたイフは、少しだけ俯いた。
温かい。
料理も。
この場所も。
そして、自分を気にかけてくれる人がいることも。
イフは顔を上げた。
「……はい!」
再びパンを口に運ぶ。
今度は、さっきよりも大きな一口だった。
「おっ! いい食いっぷりじゃねえか!」
ダラーは満足そうに頷いた。
「その調子だ! 食え、食え!」
「……もう、お腹いっぱいです」
「まだいける! 食え!」
「む、無理です……!」
「男だろうが! 根性見せろ!」
「む、無理なものは無理ですってばぁ!」
「だははははっ!」
食卓に、笑い声が響いた。
イフはお腹を押さえながら、困ったように笑った。
昨日まで、自分は一人だった。
失うことを恐れ、誰かを守れなかった自分を責めていた。
けれど今は、目の前に笑ってくれる人たちがいる。
まだ、自分は何もできない。
強くもないし、知識だって足りない。
それでも。
ここから始めればいい。
イフは目の前の料理を見つめ、もう一度、小さく笑った。




