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イフリート  作者: 野口プレシオサウルス太郎
第4章 キリ・フラッシュ
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118.決戦



どれほど歩いただろうか。


もう、イフには分からなかった。


目の前に広がるのは、どこまでも続く白銀の世界。


吹きつける風が頬を刺し、露出した肌から容赦なく体温を奪っていく。


一歩、また一歩。


深い雪に足を取られながら、イフは必死に前へ進んでいた。


「……はぁ……はぁ……」


息が切れる。


肺の奥が冷たい空気で痛み、呼吸をするたびに喉がひりついた。


足も、腕も、身体のあちこちが重い。


休みたい。


少しだけでいい。


そう思うたびに、イフは歯を食いしばって足を動かした。


前を歩くサブの背中。


今のイフに見えているのは、それだけだった。


「…………」


サブは黙って歩き続けていた。


いつもと変わらない背中。


けれど、よく見ると、その呼吸はわずかに荒くなっていた。


サブもまた、疲れているのだ。


当たり前だ。


これだけの距離を歩き続けて、疲れない人間などいるはずがない。


それでもサブは立ち止まらなかった。


だからこそ、イフも止まるわけにはいかなかった。


「…………サブ……」


かすれた声で名前を呼ぶ。


その直後だった。


サブが、ぴたりと足を止めた。


「……痛っ!」


イフは前を見ておらず、その背中に額をぶつけてしまった。


「いってぇ……」


額を押さえながら顔を上げる。


「……え? サブ? どうしたの?」


サブは答えなかった。


ただ、じっと前方を見つめていた。


その横顔に、わずかな緊張が走っている。


「………イフ。……着いたぞ」


「……え?」


サブがゆっくりと前方を指さした。


イフはその指先を追うように、顔を上げた。


そして――。


「…………っ!」


言葉を失った。


そこには。


巨大な氷の城がそびえ立っていた。


青白く輝く氷壁。


空へ向かって突き出した無数の尖塔。


まるで大地そのものが凍りつき、そのまま城へと姿を変えたかのようだった。


周囲の雪原とは明らかに異なる、異様な存在感。


城の奥は深い影に覆われ、外からでは内部の様子をうかがうことすらできない。


あそこにいる。


氷の竜王が。


イフは息を呑んだ。


長い道のりだった。


何度も足が止まりそうになった。


それでも、ここまで歩いてきた。


そして今、ついに敵の本拠地を目の前にしている。


「…………」


イフは無意識に拳を握りしめた。


疲労は消えていない。


恐怖だってある。


それでも、もう引き返すつもりはなかった。





***





氷の城付近。


竜征軍の一同は、城を見渡せる丘の陰に身を潜めていた。


雪に覆われた斜面から、城の全貌をうかがう。


その巨大さは、近くで見ると想像以上だった。


「……思ったよりでけぇな」


サブが城を見上げながら呟いた。


その視線は、城の入口から尖塔の先まで、慎重に動いている。


正面から攻め込むにしても、どこから侵入するにしても、まずは敵の状況を把握しなければならない。


「もう攻めるか?」


ラクが尋ねた。


「いや、待て。状況を確認する」


サブは即座に答えた。


焦って動けば、敵の思うつぼになる可能性がある。


ここまでの道のりで、すでに隊員たちは疲弊している。


無駄な戦闘は避けなければならない。


サブは隣に立つ男へ視線を向けた。


「……キラン。ここに来るまで、どれだけの人間が離脱した?」


第二部隊隊長、キラン・E・ケメンディ。


彼は手元の記録を確認すると、静かに答えた。


「……約二百名が離脱した。残る隊員は三百五十一名だ」


「ははっ。思ったより痛いな」


サブが苦笑する。


五百六十名で出発した部隊。


そのうち、約二百名がここまでの道のりで離脱した。


敵と戦う前から、これだけの人数が戦力から外れている。


しかも、残っている隊員たちも疲労している。


決して楽観できる状況ではなかった。


「あぁ、そうだな」


キランも城を見つめた。


その表情に笑みはない。


「キラン……。敵の数は何人くらいかな?」


サブが尋ねた。


「今、調べてみる」


キランはそう言うと、ゆっくりと人差し指を眉間に当てた。


「……ん? 何やってんだ?」


ラクが不思議そうにサブを見る。


「あぁ、キランの能力だ」


サブが答えた。


第二部隊隊長。


キラン・E・ケメンディ。


能力は――テレパシー。


半径三キロメートル以内にいる人間の思想を読み取ることができる。

対象の人数に制限はない。

さらに、集中すれば、自分の言葉を相手の脳へ直接届けることも可能だ。

ただし、こちらから語りかけられるのは、自分が知っている人間に限られる。


「へぇ……。結構便利だな」


ラクが感心したように呟いた。


「ははっ。ありがとう、ラク。嬉しいよ」


キランは笑った。


もっとも、その目はすでに閉じられていた。


意識を城へと向け、周囲にいる人間の思考を探っているのだ。


「ただ、僕の能力は戦闘向きじゃない……。ここに残って、精一杯君たちをサポートするよ」


そう言って、キランはさらに集中した。


「…………」


「…………」


サブとラク、そして周囲の隊長たちは、静かにキランを見守っていた。


今、ここで敵の情報をどれだけ得られるか。


それによって、この先の戦いが大きく変わる。


キランの能力は、直接敵を倒すためのものではない。


しかし、敵の位置や思考を把握できれば、無用な奇襲を防ぎ、味方の動きを有利にできる。


この作戦において、極めて重要な能力だった。


「…………」


キランの眉間に、わずかに力が入った。


周囲にいる人間の思考が、次々と意識に流れ込んでくる。


断片的な言葉。


まとまりのない感情。


いくつもの思考が重なり合う中から、必要な情報を拾い上げていく。


そして――。


「……なるほどっ」


キランが目を開けた。


「……どうだった?」


サブがすぐさま尋ねた。


キランは落ち着いた口調で答えた。


「敵の数は二百三十人だ」


「……多いな」


サブが短く呟いた。


事前の予測を上回る人数。


決して、無視できる差ではない。


「そして、竜王は最奥部にいるな」


「…………」


サブは黙って頷いた。


ここまでは想定の範囲内だ。


問題は、その先だった。


キランの表情が、わずかに曇った。


「……そして……なんだ? これは」


「……ん?」


ラクが眉をひそめる。


キランは再び意識を集中させるように、目を細めた。


「何かいる……」


「…………何か?」


「あぁ。竜王とはまた別で……大きな奴がいる」


「……なんだそれは」


サブの表情が険しくなった。


竜王とは別の存在。


しかも、大きな奴。


キランが何を読み取ったのか、まだはっきりとは分からない。


だが、少なくとも、城の中には竜王以外にも警戒すべき何かがいる。


「…………待て」


キランが小さく呟いた。


その表情から、先ほどまでの余裕が消えた。


「…………」


「……どうした?」


サブが尋ねる。


キランはすぐには答えなかった。


読み取った思考の中に、気になるものがあったのだ。


敵は何を考えている?


こちらの存在に気づいているのか。


それとも、まだ侵入を察知していないのか。


キランは意識をさらに深く向けた。


そして――。


「……今、竜王の思想を覗いた」


「……ほぉ」


サブが目を細める。


キランは、わずかに息を呑んだ。


「…………奴らは、僕たちに気づいている」


「なんだと!?」


ラクが思わず声を上げた。


周囲の隊長たちにも緊張が走る。


すでに敵に察知されていた。


ならば、こちらがどれほど慎重に動こうと、奇襲が成立しない可能性がある。


「……いや、正確には」


キランが言葉を継いだ。


「もうすぐ来るのは分かっていて、今か今かと待っているな」


「…………」


サブはしばらく黙っていた。


そして、城を見据えたまま口を開く。


「……なるほど。やっぱり、侵入した隊員をわざわざ逃がしてやって……俺らをおびき寄せたってところか」


冷静な声だった。


敵の行動をひとつずつつなぎ合わせ、状況を整理していく。


もし、敵がこちらをおびき寄せるために動いていたのなら。


この城そのものが、巨大な罠である可能性もある。


「あぁ……おそらくそうだ」


キランが答えた。


その瞬間だった。




――ズシンッ!!


地面が揺れた。


「…………っ!?」


足元から伝わる衝撃に、隊員たちが一斉に顔を上げる。


――ズシンッ!!


再び、重い音が響いた。


雪の積もった地面が、かすかに震えている。


風の音とは違う。


何かが歩いている。


しかも、尋常ではない大きさの何かが。


「……なんだ?」


サブが呟いた。


一同が、ゆっくりと氷の城へ視線を向ける。


そして――。


「…………っ!?」


「……うおぉ、こんなんいるのかよ」


目の前の光景に、ラクでさえ思わず声を漏らした。


城の前。


白い雪煙を巻き上げながら、巨大な影が姿を現していた。


その身体は、頭から足元まで、分厚い氷に覆われている。


人間に似た形をしている。


だが、その大きさは人間の比ではなかった。


太い腕。


巨大な脚。


そして、雪原を見下ろすようにそびえ立つ巨体。


まるで、氷山の一部がそのまま人の形を得たかのようだった。


――ズシンッ!!


巨人が一歩、足を踏み出す。


その衝撃が、雪原を伝って丘の上にまで届いた。


隊員たちは息を呑んだ。


竜王とは別に存在する、大きな何か。


キランが読み取ったのは、これだったのか。


「…………」


サブは巨人を見据えたまま、黙っていた。


敵はこちらの接近を知っている。


そして、城の前には、あの巨人が待ち構えている。


もはや、ただの討伐作戦ではない。


最初から、敵の手のひらの上だった可能性がある。


冷たい風が、丘の上を吹き抜けた。


誰も、すぐには動かなかった。


目の前にそびえる氷の巨人。


その向こうには、氷の竜王が待っている。


決戦は、もう始まろうとしていた。

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