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イフリート  作者: 野口プレシオサウルス太郎
第4章 キリ・フラッシュ
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117.目



「…………っ!!」


イフが勢いよく目を覚ました。


「……っえ!?」


反射的に上半身を起こす。


「え!? 俺……寝てた!?」


慌てて周囲を見回した。


見慣れない木の壁。

古びた家具。

そして、目の前で揺らめく暖炉の炎。


パチ、パチッ。


薪の爆ぜる音が、静かな室内に響いていた。


「……え? ……ここは?」


「お! イフっ! 目ぇ覚ましたか!」


声のした方へ振り向く。


そこにはエーズがいた。


「エーズっ! ここは!?」


「あぁ、休憩地点だってよ」


「休憩地点!?」


イフは思わず声を上げた。


確か、自分は仲間たちと一緒に雪道を歩いていたはずだ。


容赦なく吹きつける風。

足を取られる深い雪。

何枚も上着を着込んでいるのに、身体の芯まで凍りつきそうな寒さ。


それでも、皆が歩いているから、自分も歩き続けていた。


なのに――。


そこから先の記憶が、曖昧だった。


「うん。調査隊員が拠点にしてた小さな村らしい」


「……そうなのか」


イフは改めて室内を見回した。


壁の隙間からは冷たい空気が入り込んでいるものの、外に比べればずっとましだった。


暖炉の炎が、冷え切った身体をゆっくりと温めてくれている。


「氷の被害が比較的少なめで、乾いた木も何本かあったから暖炉をつけられたぜ!」


エーズが笑いながら言った。


「……そっか」


イフも小さく頷いた。


けれど、すぐに表情が曇った。


「……おれ、寝てたのか?」


「…………うん」


エーズの返事は、先ほどよりも少し歯切れが悪かった。


「寒すぎて倒れたんだと思う」


「……そ、そうか」


イフは自分の手を見つめた。


指先を動かしてみる。


動く。


けれど、まだ身体には妙なだるさが残っていた。


自分では、歩けているつもりだった。


寒いのも、きついのも、みんな同じだと思っていた。


だから、少しくらい無理をしても大丈夫だと。


そう思っていたのに。


「…………」


イフは唇を噛んだ。


倒れた。


自分だけが。


仲間たちが前に進んでいる中で、自分は意識を失っていた。


その事実が、じわじわと胸の奥に広がっていく。


情けなかった。


恥ずかしかった。


何より、悔しかった。


この作戦に参加すると決めたのは自分だ。


竜王を倒すために、ここまで来たのも自分の意思だ。


それなのに、目的地にすら辿り着いていない段階で、こんなことになってしまった。


(……俺、何やってんだよ)


胸の中で呟いた言葉は、誰にも聞こえなかった。


そのときだった。




――ガチャ。


扉が開いた。


冷たい風が吹き込み、暖炉の炎が大きく揺れた。


「……サブ!」


入ってきたのはサブだった。


「あぁ、イフ。起きたか」


サブはイフの姿を確認すると、静かに声をかけた。


「サブ、ごめん! 俺……倒れたって」


イフは慌てて頭を下げた。


謝らなければならないと思った。


自分が倒れたせいで、仲間たちに余計な手間をかけさせた。


誰かが自分を運んでくれたのかもしれない。


誰かが自分のために足を止めたのかもしれない。


そう考えると、申し訳なさで胸が苦しくなった。


けれど。


「………………」


サブは何も答えなかった。


「………………」


イフも顔を上げられなかった。


静寂。


暖炉の薪が、パチリと音を立てる。


イフはサブの反応を待った。


叱られるのだろうか。


無理をするなと言われるのだろうか。


それなら、きちんと謝ろう。


そう思いながら、イフは俯いたまま拳を握りしめていた。


やがて、サブが口を開いた。


「イフ……。お前、やっぱりこの任務から降りよう」


「……え!?」


イフが顔を上げた。


一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


任務から降りる。


つまり、自分だけここで引き返せということだ。


「……ここに来るまで、結構な数の奴らが倒れた。今、そいつらをここで暖めてる」


サブは淡々と説明した。


「……そ、そうなの!?」


「あぁ。結構やばい」


サブの表情は変わらなかった。


けれど、その声には余計な感情を挟む余地がなかった。


ここまでの道のりでさえ、隊員たちは次々と倒れている。


五百六十名もの人間が参加した作戦。


その大人数を率いて、全員を目的地まで送り届けることがどれほど難しいのか。


サブは、誰よりも現実を見ていた。


「……ここからさらに歩いて、氷の城に到着する」


サブが言葉を区切った。


「お前には、やっぱりキツイだろう」


「…………っ!!」


イフの胸が、ぎゅっと締めつけられた。


反論したかった。


俺だって行ける。


俺だって戦える。


そう言いたかった。


けれど、言葉が出てこなかった。


実際に倒れたのは自分だった。


仲間たちと同じ道を歩いていたはずなのに、身体がついていかなかった。


それが現実だった。


サブの言葉を否定できない自分が、何よりも悔しかった。


「…………」


イフは俯いた。


視界の端で、暖炉の炎が揺れている。


暖かい。


ここにいれば、身体を休めることができる。


このまま任務から降りれば、少なくとも、これ以上無理をする必要はない。


頭では、それが正しい選択なのかもしれないと理解していた。


けれど。


(……それで、いいのか?)


胸の奥から、何かが込み上げてきた。


ここで引き返したら。


この先、仲間たちが命懸けで戦うことになったら。


自分は何を思うのだろう。


ただ、皆の無事を祈って待つのだろうか。


それとも、自分も一緒に行けばよかったと後悔するのだろうか。


イフには、わからなかった。


ただひとつだけ、はっきりしていることがあった。


このまま何もせずに引き返す自分を、きっと許せない。


イフはゆっくりと顔を上げた。


「……サブ」


「……ん?」


サブが視線を向ける。


イフは一度、息を吸った。


まだ身体は重い。


寒さで倒れたばかりだ。


それでも、今ここで伝えなければならないと思った。


「頼む。俺、行きたい。行かせてくれ」


「……………………」


サブは黙ってイフを見つめた。


イフは視線を逸らさなかった。


「ここで俺……動かなかったら、駄目な気がするんだ」


声が少し震えた。


何をすればいいのか、具体的な答えがあるわけではなかった。


自分がいれば、必ず作戦が成功する。


そんな自信があるわけでもない。


それでも、今の自分にできることがあるのなら、ここで諦めたくなかった。


何もできないまま、ただ仲間たちに守られているだけの自分ではいたくなかった。


「俺っ!! ……絶対この作戦で役に立ってみせる!」


イフは拳を握りしめた。


言葉にすることで、自分自身にも言い聞かせていた。


怖くないわけではない。


自分が倒れたことだって、なかったことにはできない。


それでも、進みたい。


その気持ちだけは、嘘ではなかった。


「この先っ! 俺が死んでも、ほっといてくれて構わないっ! ……それでも俺、行きたいっ!!」


言い終えた瞬間、イフは荒く息を吐いた。


自分でも無茶なことを言っているのはわかっていた。


死んでも構わないなんて、本当は簡単に口にしていい言葉ではない。


それでも、それくらいの覚悟があることを伝えたかった。


自分の命を軽く考えているわけではない。


ただ、危険だからという理由だけで、ここで諦めたくなかった。


「…………」


「…………」


二人の間に、再び沈黙が落ちた。


サブはイフを見つめていた。


その目に浮かんでいるのは、恐怖ではなかった。


弱音でもなかった。


身体が限界を迎えてなお、ここに残りたいと訴える意志だった。


サブには、それがわかった。


だからこそ、簡単には答えられなかった。


ここで許可を出せば、イフを危険な戦場へ連れていくことになる。


かといって、無理やり引き返させれば、本人の意思を踏みにじることになる。


どちらが正しいのか。


そんなことは、サブにも簡単には決められなかった。


やがて、サブは小さく息を吐いた。


「…………勝手にしろ」


「……っ!!」


イフの目が見開かれた。


一瞬、信じられないという顔をしたあと、表情がぱっと明るくなる。


「ありがとうっ!! ……サブ!!」


その声には、安堵と喜びが入り混じっていた。


サブは何も答えなかった。


ただ踵を返し、扉へと向かう。


「………………」


イフはその背中を見つめていた。


何か、もう一言伝えたかった。


けれど、感謝の言葉を口にしたあとでは、それ以上何も言えなかった。



――ガチャ。


サブが扉を開ける。


外から冷たい風が吹き込み、暖炉の炎が大きく揺れた。


そして、サブは小屋を出ていった。


扉が閉まる。


「………………」


サブは、すぐには歩き出さなかった。


静かに顔を上げる。


灰色の曇天。


絶え間なく降り続ける雪。


空と大地の境界すら曖昧になるほど、辺り一面が白く染まっていた。


サブはしばらく、その空を見つめていた。


先ほどのイフの顔が、脳裏に浮かぶ。


あれほど必死に、自分の意思を訴えてきた。


自分が何を言われても、きっとイフは諦めなかっただろう。


そう思えるほど、あの目には強い意志があった。


サブはゆっくりと目を閉じた。


「…………」


何を思っているのか。


その答えを口にすることはなかった。


ただ、冷たい雪が肩に降り積もっていく。


それでもサブは、しばらくその場を動かなかった。





***





別の小屋。


暖炉の前に、キリが座っていた。


パチ、パチッ。


薪の爆ぜる音だけが、静かな室内に響いている。


「………………」


キリは黙って、炎を見つめ続けていた。


揺れる炎の向こうに、何かを見ているようでもあった。


けれど、その視線はどこか遠い。


膝の上に置かれた両手。


その指先が、ほんのわずかに震えていた。


寒さのせいだろうか。


暖炉のすぐそばにいるというのに、指先の震えは止まらなかった。


キリは自分の手に目を落とした。


指を握り込む。


それでも、わずかな震えは残っていた。


「…………」


唇を結び、再び炎へと視線を戻す。


何かを考えているようで、何も考えたくないようでもあった。


やがて、キリが小さく口を開いた。


「…………馬鹿だ……」


ぽつりと落ちた言葉は、暖炉の音に紛れて消えていった。


キリはそれ以上、何も言わなかった。


ただ、揺れる炎を見つめ続けていた。

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