116.雪原
氷の城、最奥部。
静寂に包まれた巨大な玉座の間。
壁も、床も、天井も、すべてが氷で覆われていた。
青白い光が氷壁の内側を走り、室内を冷たく照らしている。
その最奥部。
氷で造られた玉座に、一人の男がふんぞり返っていた。
氷の竜王、ヘル。
その傍らには、側近のスリュムが控えていた。
「なあ……スリュム……」
ヘルが気の抜けた声で呼びかける。
「……なんだ? 馬鹿面しやがって」
スリュムは呆れたように答えた。
「いや……前に言ってた軍の奴ら……来なくね?」
「……あ?」
ヘルの言葉に、スリュムが顔を上げる。
「……あぁ、確かに」
思い返せば、侵入してきた軍の人間を逃がしてから、しばらく経っていた。
ヘルは腕を組み、うんうんと頷く。
「やっぱり俺らに恐れてビビってるんだって!!」
そして、何かを思いついたように顔を輝かせた。
「あー、やっぱり俺らの方から動いてやるべきなんじゃねーの?」
「……いや、違うな」
スリュムが即座に否定した。
「……あ?」
ヘルが眉をひそめる。
スリュムは腕を組み、冷静な口調で続けた。
「おそらく、軍の人間の中に相当頭の切れる奴がいるな」
「……なにぃ?」
「俺たちの居場所を知られた以上、正面から突っ込んでくるとは限らねぇ。何かしら策を練ってるはずだ」
スリュムは口元をわずかに吊り上げた。
「近いうちに攻めてくるのは間違いないと思うぜ?」
「ほぉ……」
ヘルは玉座に深く腰掛け直した。
そして、ニヤリと笑う。
「なんか、もし来たら楽しめそうだな」
「くかははっ! そうだな、ヘル!」
「ふはははははっ!!」
二人の笑い声が、氷の城に響き渡った。
まるで、これから始まる戦いなど恐れていないかのように。
いや、彼らにとっては、ようやく退屈が終わるだけなのかもしれなかった。
***
北の国、雪道。
一面の銀世界。
視界の先まで雪原が広がり、吹きつける風が容赦なく隊員たちの体温を奪っていく。
ザクッ、ザクッ、ザクッ。
無数の足音が、深い雪を踏みしめる音となって響いていた。
総勢五百六十名。
竜征軍の隊員たちが、氷の竜王の待つ城を目指して進軍していた。
全員が分厚い防寒着を身にまとい、背中には大きな荷物を背負っている。
しかし、それでも寒さは防ぎきれない。
白い息が絶え間なく吐き出され、隊員たちの頬や鼻は寒さで赤く染まっていた。
「さ……寒いっ!!」
その中で、イフが情けない声を上げた。
何枚も上着を重ね着しているにもかかわらず、唇は小刻みに震えている。
「黙って歩けよ、馬鹿野郎」
隣を歩くラクが、呆れた顔で言い放った。
「だ、だって……!」
「だってじゃねぇよ。まだ目的地にも着いてねぇだろうが」
「うぅ……」
イフは肩をすくめ、首を縮めた。
吐き出した息が白く染まり、すぐに風に流されていく。
この寒さの中、あと何日歩かなければならないのか。
そう考えるだけで、気が遠くなりそうだった。
「ちょっといいかい?」
そのとき、イフの背後から男の声がした。
「……ん?」
イフとラクが同時に振り向く。
そこに立っていたのは、第二部隊隊長のキランだった。
「……君がラク……だね?」
「あぁ、そうだ。お前はたしか、第二部隊の……」
「あぁ。キランという。よろしく」
そう言って、キランが右手を差し出した。
ラクはその手を握り返す。
「ラク。君の活躍はサブから聞いたよ。時の竜王をたった一人で倒したんだって?」
「あぁ、そうだ」
ラクはあっさりと答えた。
「氷の竜王討伐戦に参加してくれて、非常に嬉しいよ」
「……ん? お前が作戦を決行したのか?」
ラクが首を傾げる。
「あぁ。責任者はサブだが、氷の竜王の居場所を特定したのは我々の班員だ」
「……ほぉ、なるほど」
ラクは納得したように頷いた。
なるほど、ただ人数を集めて攻め込むだけの作戦ではないらしい。
敵の居場所を突き止め、討伐のための道筋をつけた人間がいる。
その一人が、目の前の男なのだ。
「そんな君が参加してくれるなんて、心強すぎるよ」
「……あぁ。サブとぶっ殺すよ」
ラクはいつもの調子で答えた。
キランは思わず苦笑する。
「ははっ。ありがとう。僕は戦績の数なら負けないが、何分、能力が戦闘向きじゃないからね」
「そうなのか? 第二部隊の隊長だから、てっきりクソ強ぇのかと」
「うん。だが、必ず役に立つ」
キランは迷いなく言い切った。
その口調には、自分の能力が戦闘向きではないことを理解したうえで、それでも果たすべき役割があるという自信が感じられた。
「そうか……。お互い頑張るか」
ラクが短く答える。
「あぁ。……必ず奴を倒そう」
キランの言葉に、ラクは静かに頷いた。
「………………」
その横で、イフは二人の会話を黙って聞いていた。
竜王の居場所を突き止めた者。
数々の戦いを経験してきた者。
それぞれが自分の役割を理解し、この作戦に参加している。
自分もまた、その一人だ。
イフは一度、俯いた。
防寒着の袖を握りしめる。
寒さで震える手。
まだ、竜王との戦いを前にして不安がないわけではない。
それでも。
イフはゆっくりと顔を上げた。
目の前には、どこまでも続く雪道。
その先には、氷の竜王が待っている。
(俺も……頑張らなきゃっ!)
イフは胸の内でそう誓い、再び一歩を踏み出した。
ザクッ。
その足音は、仲間たちの足音に紛れて消えていった。




