103.戦争を止めるために
北の国のとある場所。
かつて人々が暮らしていたその国は、今や見る影もなかった。
氷の竜王が率いる軍勢によって、国土は壊滅。
街は凍りつき、建物は分厚い氷に覆われ、かつて人々が行き交っていた道も、今では雪と氷に埋め尽くされていた。
風が吹き抜けるたび、白い雪が舞い上がる。
そこには、人の営みを感じさせるものは何ひとつ残っていなかった。
そして――
北の国を壊滅させた氷の竜王は、現在もなお、その行方をくらませていた。
竜征軍は竜王の所在を突き止めるため、これまで何人もの隊員を調査に派遣していた。
しかし、広大な雪原と険しい山々が広がる北の国で、その足取りを掴むことは容易ではなかった。
「……はあ……はあ……寒い……」
白い息を吐きながら、一人の隊員が雪道を歩いていた。
調査の途中、仲間とはぐれてしまったのだ。
どこを見渡しても、広がるのは雪と氷ばかり。
自分がどこにいるのかさえ、次第にわからなくなっていく。
「……はあ……はあ……どこだ……ここは……」
隊員は凍える身体を引きずりながら、目の前にそびえる峠を越えていく。
そして――
「…………っ!!」
その足が、ぴたりと止まった。
視線の先。
雪に覆われた山々の向こうに、それはあった。
巨大な氷の城。
自然にできた氷の洞窟などとは明らかに違う。
まるで誰かが意図的に築き上げたかのような、異様な存在感を放っていた。
「……なんだ、これはっ!」
隊員は目を見開いた。
城の周囲には、近づくことさえためらわせるような不気味な雰囲気が漂っている。
ただの廃墟ではない。
そう直感させる何かが、そこにはあった。
「あ……あそこに……!」
隊員は城を見つめたまま、息を呑んだ。
確証はない。
だが、これまで調査を続けてきた隊員としての勘が告げていた。
――間違いない。
あそこに、氷の竜王がいる。
***
竜征軍本部。
室内には、いつもと変わらない穏やかな時間が流れていた。
机に向かって資料を整理するサブ。
その隣では、キリも黙々と作業を進めている。
そんな二人のもとへ、イフが元気よく声をかけた。
「サブ! 次の竜王、倒しに行こう!」
「……お前なぁ」
サブは手元の資料から目を離さず、呆れたようにため息をついた。
「……え?」
「そんなポンポンと行けるわけないだろう……」
「えぇ!? そうなの!?」
イフは驚いたように目を丸くする。
サブはようやく顔を上げ、説明を始めた。
「当たり前だ。十年以上も竜人と人間の戦いが続いているんだぞ。それなのに、今まで倒せた竜王はたった三人だ」
「……えっ!?」
イフは思わず声を漏らした。
しかし、次の瞬間には表情を引き締める。
「……じゃあ、なおさら倒しに行かなきゃ!」
「……竜王がどこにいるか、わかるのか?」
サブが冷静に問いかけた。
「……っ! ……わからない!」
「……だろうな」
即答だった。
イフは気まずそうに視線をそらす。
サブは小さく息を吐き、手元の資料に目を落とした。
「前回の時の竜王に関しては、奴がわかりやすく動いてくれたから居場所を特定できた」
「……うん!」
「だが、ほかの竜王の居場所は、現在進行形で調査中だ」
「……あ! じゃあ、居場所がわかったら!」
「わかったら、こちらから動くことになるな」
「……なるほど! じゃあ探そう!」
「簡単に言うな」
サブは呆れた顔をすると、イフの頭を軽く叩いた。
「……痛っ!」
「竜王がそう簡単に見つかると思うな。現に今、お前よりも頭のいい奴らが調査しているんだ」
「……あ、そうなんだ」
イフは頭をさすりながら、素直に納得した。
隣で作業を続けていたキリは、そんなイフを横目で見ている。
サブは話を続けた。
「それに、竜王どもは戦争を起こしたっきり、あまり動きが活発じゃない」
「……そうなの?」
「ああ。例えば、光の竜王だ」
サブは資料を机に置いた。
「奴は大規模な戦争を起こして以来、ほとんど動きを見せていない。あまりにも長い間、姿を現さないもんだから、死亡説まで出ているくらいだ」
「……え? 死んだの?」
「説だって……」
「……説か!」
「ああ」
「…………説って?」
「………………」
サブの動きが止まった。
キリも手元の資料から顔を上げ、イフを見た。
そして――
「…………ばか」
ぽつりと呟いた。
「いや、だからよ……」
サブはこめかみを押さえながら、改めて説明する。
「『死んだんじゃねぇか』って言われるくらい、ずっと動いてないってことだ」
「そういうことか!」
「……ああ」
サブは疲れたように返事をした。
そして、少しだけ表情を引き締める。
「だが、光の竜王は慎重な奴だ」
「……うん」
イフも、今度は真剣な表情で耳を傾けた。
「……奴が次に動く時は、また戦争を起こす時だと、俺は考えている」
「……戦争!?」
イフの声が室内に響いた。
「ああ」
サブは静かに頷く。
「あれほどの戦争を引き起こした強者だ。次に動く時は、確実に人類を支配しようとするだろう」
「…………まじか」
イフの表情から、先ほどまでの軽い調子が消えた。
先ほどまで、竜王を倒すことに意気込んでいた。
だが、サブの話を聞けば聞くほど、自分たちが相手にしている存在の大きさが伝わってくる。
竜王は、ただ強い敵というだけではない。
たった一人の行動が、人類全体の未来を左右しかねない存在なのだ。
室内に沈黙が落ちた。
やがて、サブが口を開く。
「だからこそ、その戦争が起きる前に、俺たちは一人でも多くの竜人を倒す必要がある」
サブは机の上の資料に目を落とした。
「少しでも戦力を削る。そして、あわよくば……戦争そのものを起こさせない」
「……っ!」
イフは息を呑んだ。
サブの言葉には、いつもの冷静さだけではないものが滲んでいた。
次の戦争が起きれば、何が失われるのか。
どれほどの人間が犠牲になるのか。
それを、サブは誰よりも現実的に考えているのだ。
「そのためにも、俺たちは竜王どもの所在を調査している」
サブはそう言って、再び資料に目を落とした。
イフは黙ったまま、その背中を見つめていた。
先ほどまでの勢いは、もうなかった。
自分は、竜王を倒すことしか考えていなかった。
強くなって、敵を倒す。
そうすれば人々を守れるのだと、どこか単純に考えていた。
だが、それだけでは足りない。
敵がどこにいるのか。
なぜ戦争が起きるのか。
そして、どうすれば戦争そのものを防げるのか。
考えなければならないことは、いくらでもある。
「…………」
イフは自分の拳を見つめた。
この拳で、何人の人間を救えるのだろう。
自分が強くなれば、本当に戦争を止められるのだろうか。
答えは、まだわからない。
それでも――
「……俺、何もわかってなかったんだな」
イフがぽつりと呟いた。
サブは顔を上げ、イフに目を向ける。
「……何だ、急に」
「……いや」
イフは小さく首を振った。
「俺、竜王を倒せばいいんだって、そればっかり考えてた。でも……戦争を止めるために、みんながいろいろ考えて動いてるんだなって」
少し照れくさそうに笑いながら、イフは続けた。
「……俺も、もっと考えなきゃな」
サブはしばらくイフを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……最初からそうしろ」
「えへへ……」
イフは頭をかいた。
「……まあ、いい」
サブは手元の資料をまとめると、イフへと視線を向けた。
「ちょうどいい。お前にも、そろそろ働いてもらうことになりそうだ」
「……え?」
イフが顔を上げる。
「それって……!」
サブは意味深にイフを見つめた。
「次の仕事だ」
「……っ!!」
イフの目が、再び輝いた。
今度はただ敵を倒すためではない。
戦争を止めるために。
そして、その先にいる人々を守るために。
イフは静かに拳を握りしめた。
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