第11章 覚悟(3)
「……鉄殻蜥蜴の胸殻……? なぜ、アオがこんなものを……」
シンは床へ転がった欠片を見つめ、低く呟く。背後から、ラドの沈んだ声が返った。
「……地下のモグラ野郎が、情報を探る対価としてそれを要求しやがったんだよ」
その言葉を聞いた途端、シンの内側で抑え込んでいた感情が一気に沸点へと達した。弾かれたように立ち上がり、ラドの胸倉を容赦なく掴み上げる。
「あの化け物の住処に一人で行かせたのか!? ここじゃあいつはまともに魔法も使えないんだぞ! なぜ止めなかった!!」
怒号が狭い部屋へ響き渡る中、ラドは抵抗する素振りも見せず、シンの激昂した瞳を真正面から真っ直ぐに見据えた。
「止めたさ。だがアイツは引かなかった」
ラドの眉間に深い皺が刻まれ、声音が低く変わる。
「この街の連中だって、最初はみんな“ヴァルガンドを変えてやる”って息巻いてた。……だが、噛みついた奴から順番に潰されていった。……アイツはまだ、諦めてねぇ目をしてたよ。『あの子が苦しんでるのに、何もせずに待っていることなんてできない』ってな。……ツレが部屋に引きこもって使い物にならねぇから、あいつは自分一人でやるしかなかったんだろ」
容赦なく叩きつけられた正論の重みに、シンの身体が凍りついた。
胸倉を掴んでいた指先から力が抜け、行き場を失った両手が脇へ垂れる。アオがそこまで自分を追い詰め、命を懸けて暗闇へ足を踏み入れていたというのに、自分はただ部屋の隅で膝を抱え、立ち止まっていた。その紛れもない事実に真っ向から打ちのめされ、シンは反論の言葉を紡ぐこともできず、ただ暗い足元へと深く俯くしかなかった。
ラドが短く息を吐き、張り詰めていた空気を弛めるように声を落とした。
「……とりあえず、こいつを休ませてやんな。水と布を置いとくぞ」
それだけ言い残すと、ラドは重い足音を響かせながら工房の奥へと姿を消した。
一人残されたシンは重たい視線を上げ、傍らへ置かれた器へ手を伸ばした。布をぬるま湯へ浸して固く絞り、アオの頬や首筋にこびりついた泥と血の跡を丁寧に拭い始める。
布が汚れを吸い取るたび、その下に隠されていた無数の擦り傷が露わになる。乾いて黒ずんだ血の跡は服の内側まで深く染み込み、何度布を濯いでも、水面には薄く赤が広がっていく。
己の不甲斐なさがこの少年をここまで追い詰めた。その思いが胸の奥を鋭く抉り、シンはきつく奥歯を噛み締め、視線を落とした。握りしめた布地に爪が深く食い込み、強張った指先がわずかに震えた。
汚れた衣服を静かに脱がせ、傷へ触れないよう慎重に清潔な服へ着替えさせる。壊れ物を扱うような手つきで身体を支えながら、シンはアオをベッドへと横たえた。
空っぽになって立ち止まっていた自分に代わり、命を投げ出すような無茶を強行した少年の、未だに浅く震える寝顔をじっと見つめる。シンはベッドの傍らに腰を下ろすと、浅く上下する寝息を静かに見守り続けた。
◇──◇──◇
薄暗い部屋の中で、アオは弾かれたように目を開いた。
荒い呼吸のまま上半身を起こし、血の気の引いた顔で周囲を見回す。見慣れない天井と作業場の薄暗い灯りに、アオの瞳が大きく揺れる。視界の端にシンの姿を捉えたアオは、そこでようやく、自分の手に握っていたはずの胸殻がないことに気づいた。
「胸殻は……っ!? 僕……っ、どれぐらい寝てました!?」
上擦った声を上げながら身を乗り出したアオを、傍にいたシンが咄嗟に押し留める。
「落ち着け、まだ三時間だ。胸殻ならそこにある」
シンが視線を向けた先の卓上には、薄い布の上に鉄殻蜥蜴の胸殻が置かれ、作業灯の明かりを鈍く反射していた。それを目にしたアオの肩からわずかに力が抜ける。しかしすぐに呼吸が乱れ、浅い息だけが忙しなく繰り返される。
「三時間も……っ! 早く行かなきゃ……! フィリアが……っ!」
アオはシンの手を振り払い、無理やり寝台から降りようとする。床へ足を着いた途端、力の抜けた膝が大きく揺らぎ、その身体が傾いた。崩れ落ちる前にシンが腕を掴んで引き寄せ、その肩を支えた。
「……っ、離してくださ──」
掠れた声が途切れる。肩を押さえられたまま、なお身を捩るアオを見下ろし、シンは低く息を吐いた。
「……わかった。俺も行く。だから暴れるな」
その声に、アオの身体からわずかに力が抜ける。
シンは卓上へ視線を向けると、薄い布の上へ置かれていた鉄殻蜥蜴の胸殻を手に取った。砕けた外殻の縁へ一瞬だけ目を落とし、それをアオの胸元へ押し付けるように渡す。
「持てるな」
アオが胸殻を抱え込むのを確認すると、シンは腕へ力を込め直した。肩を貸すように身体を引き寄せると、熱を持った呼吸がすぐ隣で浅く乱れ続ける。アオの指先へ力が入るたび、その肩は小さく震えていた。
工房の奥では、一連の様子を眺めていたラドが工具を置き、椅子からゆっくりと立ち上がる。
「……行くのか」
低く漏れた声とともに、ラドは乱雑に髪を掻き上げた。
「ったく、どいつもこいつも世話が焼ける。……モグラ野郎は偏屈だからな。お前らだけじゃ門前払いされるかもしれねぇ。俺もついてってやるよ」
呆れるような口調とは裏腹に、ラドは既に扉に向かって歩き出していた。
アオはシンに体重を預けながら、もつれる足を引きずるようにラドの背中を追う。蒸気管の唸る通路へ、三人分の足音が乾いた反響を繰り返していた。




