第11章 覚悟(2)
暗い部屋の片隅で、シンは壁に背を預けたまま、伏せた視線を床の影へと落としていた。頭の中では、自身の愛刀が精霊のマナを喰らう古代遺物であったという残酷な事実が、波のように押し寄せては胸を抉っていく。
それを知らずに使い続けていたことへの嫌悪、ヴァルガンドの襲撃によって無惨に破壊されたセレストルの街並み、そしてアオの故郷からの追放。
すべてを失い、フィリアもギアブレードもヴァルガンドに奪われ、最後の希望であった馴染みの武具職人という道すら目の前で完全に絶たれた。押し寄せる苛立ちと焦燥は行き場をなくして内側へ燻り続ける。
シンは奥歯を強く噛み締め、膝を抱え込む腕に額を押し付けた。握り締めた指先に力が入り、行き場のない無力感だけが胸の奥に沈んでいく。
『おい、大丈夫か!?』
扉の向こうから張り詰めた怒鳴り声が響き、弾かれるようにシンは顔を上げた。いつの間にか姿の見えなくなっていたアオの顔が脳裏をよぎり、胸の奥を嫌な感覚が掠める。シンは身体を投げ出すように立ち上がると、その勢いのまま金属扉へ駆け出した。
開いた視界の先では、ラドがその場へしゃがみ込み、険しい表情のまま床を見つめていた。その足元へ横たわる人影は泥と血で汚れ、衣服の色も判然としない。
しかし、傷だらけの身体の下から零れる桃色の髪を見た瞬間、シンの足が動きを止めた。喉の奥が引き攣り、激しく打ち鳴らされていた心臓の音が遠く霞んでいく。血溜まりに伏した痛々しい身体は見慣れた姿とはあまりにもかけ離れていたが、見間違えようがなかった。
──アオだ。
視界の端が大きく揺れる。胸の奥へ沈みかけていた不安が一気に押し寄せ、息を吸うことすら忘れたまま、シンは震える唇を開いた。
「……アオ……っ!!」
震える声を絞り出しながら、シンはアオの傍らへ崩れ込むように膝をつき、そのまま床へ両手をついて身を乗り出した。
「おい、しっかりしろ……!」
呼びかけに応じるようにアオの青白い唇がかすかに動き、喉の奥から掠れた息が漏れる。その様子を見ていたラドが舌打ち混じりに立ち上がった。
「傷が酷ぇ、湯持ってくる!」
ラドの足音が背後へ遠ざかる中、シンの視線はアオの腕へと釘付けになっていた。
袖を破いて巻き付けられた布は血を吸い切り、赤黒く変色している。滲み出た血は乾きかけた部分と新しい部分がまだらに混じり、布地ごと皮膚へ貼り付いていた。
耳の奥で心臓が暴れる。シンは唾を飲み込み、震える指先を伸ばしてその布の端を摘み上げた。固まった血を剥がすようにゆっくりと持ち上げると、皮膚が引き攣れる嫌な感触とともに、アオの顔が苦痛に歪んだ。
「うぅ゛……っ!」
アオの身体が強張り、苦痛を押し殺した呻きが漏れる。
シンは息を呑み、反射的に手を離した。行き場を失った指先が宙で止まり、開いたままの手が微かに震える。伸ばしかけた手は何度も宙を彷徨い、視線だけが傷口とアオの顔を往復していた。
そこへ荒い足音が近付き、ラドが並々と湯を張った桶を抱えて戻ってきた。
「熱すぎねぇようにはした! 無理に剥がすな、湿らせろ!」
シンは震える手で差し出された桶へ布を浸すと、たっぷりと湯を含ませ、アオの腕へと当てがった。固まっていた赤黒い塊が湯に溶けて滲み出し、傷口に張り付いていた布がゆっくりと皮膚から浮き上がっていく。
剥がれ落ちた布の下から露わになったのは、爪に深く抉られ、肉が左右へ赤黒く開ききった痛々しい裂傷だった。
「……っ」
シンは思わず顔を歪め、吸い込んだ息が胸の奥で止まった。動揺を振り払うように上着の内ポケットへ手を差し入れると、緑色の液体が揺れる小さな薬瓶を掴み出した。
硝子の栓に指をかけたものの、指先が上手く噛み合わず、瓶口の上で何度も滑る。ようやく栓が抜けると、シンは震える手元を固定しながら、剥き出しの傷口へその薬液を慎重に垂らしていった。
緑色の雫が裂傷の内側へと染み込んでいくと、傷の奥から淡い光が滲み始める。脈打つような明滅が裂けた肉の縁をなぞり、離れていた断面を少しずつ引き寄せていく。シンは息を止めたまま、その変化を凝視し続けた。光が傷の奥で弱まり始める頃には、アオの呼吸も徐々に落ち着きを取り戻していた。
「無事……みてぇだな。……ったくヒヤヒヤさせやがるぜ」
ラドが深く息を吐き出し、強張らせていた肩の力を抜く。しかし、シンは未だ歯を食いしばったまま、床を押さえつける拳を小刻みに震わせていた。
ふと、アオの手元へ視線が落ちる。アオの右手は血に塗れたまま、何かを守るように固く閉じられていた。シンが指先へ手を添え一本ずつ慎重に開いていくと、固まっていた指の隙間から、金属質の欠片が鈍い音を立てて床へ転がり落ちた。
「……鉄殻蜥蜴の胸殻……? なぜ、アオがこんなものを……」




