第11章 覚悟(1)
赤い蒸気管を辿って通路を戻りながら、アオは大きく息を吐き出した。勢いのまま引き受けてしまったものの、この土地では大気中のマナが極端に薄く、いつものように魔法を使うことはできない。鉄殻蜥蜴と戦う手段も浮かばないまま、重たい不安だけが胸の奥へ沈んでいく。
蒸気の白煙を抜け、薄暗い工房へ戻ると、工具を握っていたラドが顔を上げた。
「よぅ、どうだった」
「あの人に、地下坑道にいる鉄殻蜥蜴の胸殻を持って来いって言われました。でも、僕、ここでは魔法が使えなくて……」
ラドの眉間へ深い皺が刻まれる。
「鉄殻蜥蜴ねぇ……。無理だな、諦めな」
素っ気なく返された言葉に、アオは思わず一歩踏み出した。
「そんな……っ! でもフィリアが……っ! お願いしますっ、武器を貸してくれませんか!?」
「術師のガキに鉄の武器が使えるかよ! フィリアだかなんだか知らねぇが、先にお前が死んだら意味がねぇ!」
怒鳴り返したラドは苛立ったように頭を掻き、乱雑に積まれた部品の山へ視線を向ける。
「……威勢だけでヴァルガンドに噛みついて、半端に生き残った奴を何人も見てきた。そういう連中が流れ着くのが、この街だ」
低く落ちた声に、アオは唇を噛んで視線を落とす。しかし握り込んだ拳へ再び力を込めると、俯きかけた視線をゆっくりと持ち上げた。
「……それでも、ただ待ってるだけなんてできません」
ラドは額を掻きながら、深く息を吐き出した。
「……ったく、これだからガキは」
そう呟くと、ラドは「ちょっと待ってろ」と短く告げ、部屋の脇へ積み上げられたガラクタの山を漁り始める。金属の擦れる音が続いた後、奥から細長い鉄塊が引き抜かれた。
「こいつを持っていけ」
アオの前へ突き立てられたそれは、腰丈ほどもある無骨な四角い銃だった。継ぎ接ぎだらけの金属外装には無数の擦り傷が走り、鈍く黒ずんだ銃身が作業灯の明かりを重く反射している。
アオは瞳を瞬かせながら、恐る恐る両手を伸ばした。
「いいんですか……?」
受け取った途端、腕が大きく沈む。
「重っ……!」
よろめいたアオを見ながら、ラドは腕を組み直し、呆れたように息を吐く。
「爺さんが生前に作った銃だ。そいつは持ち主の体内マナを弾にする。ヴァルガンド人の体内マナは極端に少ないもんで使い物にならなかったが……あんたなら使えるかもな」
「体内マナ……?」
アオはきょとんとしたまま、抱えた銃へ視線を落とす。鈍く冷えた金属の感触が掌へ重たく食い込む。
「体の中にもマナが流れてるのは知ってます。でも、普段は大気中のマナを使うから……考えたことありませんでした」
ラドは短く息を吐き、作業台の端に腰を預ける。
「そいつはやる。……ただし、無理だと思ったらすぐ逃げろよ」
アオは銃を抱え直しながら、深く頭を下げた。
「……はい! ありがとうございます!」
その声を残し、アオは重たい銃を抱えたまま外の通りへ駆け出していく。蒸気の白煙が流れる薄暗い路地へ、慌ただしい足音が遠ざかっていった。
◇──◇──◇
坑道の奥は、不気味なほど静まり返っていた。崩れかけた支柱は斜めに傾いたまま土壁へ沈み込み、天井を這う古い金属管からは黒い水滴が滴り続けている。アオは銃を抱え直して慎重に奥へ進み、靴底が地面を踏む乾いた音だけが暗闇へ長く尾を引いた。
「……本当に、いるのかな……」
漏れた呟きは誰に届くこともなく掠れ、冷たい空気が汗の滲み始めた頬を撫でていく。アオは銃を握り直すと、曲がり角へ視線を向け、そのまま足を踏み入れた。
不意に、坑道の奥で石を擦る鈍い音が響いた。肩を強張らせたアオは、慌てて大型銃を脇に抱え込んで構えた。揺れる銃口の先、岩陰の暗がりから灰色の巨体が姿を現す。岩肌のように硬質化した外殻は天井から落ちる薄明かりを鈍く弾き、細く裂けた瞳孔は真っ直ぐアオを捉えていた。口元から覗く二股の舌が湿った空気を探るたび、坑道に張り付いた冷気が微かに揺れる。
「っ……!」
アオは目を見開き、反射的に引き金を引いた。
耳を裂く轟音が坑道へ叩きつけられ、凄まじい反動が腕から肩を貫く。支えを失った身体は後方へ弾き飛ばされ、跳ね上がる銃身が視界の端を掠めた。背中から地面へ叩きつけられた衝撃で肺の空気が押し出され、喉の奥から掠れた息が漏れる。
「ぁ……っ、え……?」
耳鳴りが頭の奥で反響し、痺れた腕は指先の感覚まで曖昧になっていた。何が起きたのか整理できないまま顔を上げると、鉄殻蜥蜴の顎が目前まで迫っている。
「っ!!」
咄嗟に腕を突き出す。その直後、鋭い爪が肉を裂き、赤い飛沫が暗い地面へ散った。
「ぐああああああっ!!」
焼けつく痛みが腕から脳天まで一気に駆け上がり、アオは地面を転がりながら傷口を押さえ込んだ。指の隙間からは途切れなく血が溢れ、砂混じりの地面に滴り落ちる。乱れた呼吸が喉の奥で引き攣るたび、胸の内側まで細かく震えが広がっていった。
鉄殻蜥蜴は低く唸りながら口を開き、粘ついた毒液を地面へ吐きつけた。アオが身を捻るように横へ転がると、背後の岩壁が煙を上げながら崩れ落ちていく。溶けた岩の臭いが湿った空気へ広がるにつれ、アオの喉から押し潰された息が漏れた。
「ひっ……」
逃げなければならない。その考えだけは頭の奥へ浮かび続けているのに、震える膝には力が入らず、浅い呼吸ばかりが喉をせり上がる。明滅する視界の向こうで鉄殻蜥蜴が地を蹴り、その巨体が地面を削りながら迫ってきた。
「うわあああああっ!!」
涙で滲む視界の中、アオは必死に身体を起こし、背中を壁へ押し付ける。震える奥歯を噛み締めながら銃を構え直すと、狙いも定まらないまま引き金を引いた。
轟音が坑道を揺らし、鉄殻蜥蜴の胸部が外殻ごと爆ぜた。大穴を穿たれた巨体は勢いのまま地面を転がり、砕けた岩片と血を撒き散らしながら滑っていく。鈍い衝撃音が坑道へ響く中、銃の反動もまた容赦なくアオの身体を打ち据える。壁へ押し付けられた背骨が軋む感覚と共に、鈍い痛みが全身へ広がっていった。
銃が手から滑り落ち、乾いた金属音を立てながら床へ転がる。
その場へ崩れ落ちたアオは、荒い呼吸を繰り返しながら、動かなくなった鉄殻蜥蜴を見つめていた。裂かれた腕からは絶え間なく血が流れ、遠のきかける意識を繋ぎ止めるたび、喉の奥で掠れた息が細く震えた。
どれほど時間が流れたのか、荒れていた呼吸がわずかに落ち着き始めた頃、アオは壁に手をつきながらゆっくりと身体を起こした。
「……いたい……」
掠れた声はほとんど息に近く、涙を拭う余裕もないまま、震える指でシャツを引き裂いていく。布地を腕へ強く巻き付けると、傷口へ走った激痛に身体が強張り、押し殺しきれなかった嗚咽が喉の奥から漏れた。
倒れ伏した鉄殻蜥蜴の胸部には、砕けた外殻の破片が金属質の光沢を残したまま食い込んでいる。アオは血に濡れた手を伸ばし、それを掴み取ると、指先へ伝わる冷たい感触に浅く息を呑んだ。
「……これ、持って帰らないと……」
銃を杖代わりに身体を支えながら、アオは崩れかけた坑道を引き返し始める。足を引きずるたびに床へ血が滴り、その後を追うように、銃が地面に擦れる金属音が坑道の奥に反響する。乱れた呼吸の合間には押し殺した嗚咽が混じり、掠れた音だけが湿った空気の中へ沈んでいった。




