第10章 対価(2)
重苦しい空気を引きずったまま荒野を越えると、遠くに見えていた町並みが目前に迫り、二人は黒煙の立ち上るスクラージュの入口へ辿り着いた。
錆色の外壁と歪んだ鉄骨に囲まれた町並みの奥へ足を踏み入れると、細い通路の壁や地面には無数の金属管が這い回り、継ぎ目から漏れ出す白い蒸気が絶え間なく滲んでいる。通路脇には装甲板の破片や用途の判別もつかない機械部品が山のように積み上げられ、油と鉄錆の匂いが町全体に重く染みついていた。
崩れかけた壁際では、片膝を立てた男が俯いたまま動かず、少し先ではフードを深く被った人影が毛布へ包まって横たわっている。擦れた咳払いと蒸気音だけが細い路地へ低く響き、行き交う人影もどこか覇気を失っていた。
見慣れない町並みへ目を向け、アオは何度も周囲を見回す。その隣を、シンだけが迷いのない足取りで真っ直ぐ進んでいく。
細い通路を幾度か曲がった先で、シンは突き当たりの古びた金属扉を押し開けた。軋んだ音が工房へ響く中、中央の作業台に向かっていた男が手を止め、こちらへ視線を向ける。痩せこけた頬には無精髭が伸び、乱れた髪は油で束になって張り付いていた。
「よぉ、シンじゃねぇか。戻ってきたのか?」
シンは返事をする前に薄暗い室内へ視線を巡らせる。壁際には解体途中の機械部品が積み上がり、鉄粉の混じる油臭い空気が室内へ重く滞っていた。
「……ラドか。少し用があっただけだ。……爺さんはどこにいる?」
問いを受けた男は曖昧に視線を逸らし、首の後ろを掻いた。
「あー……二年前に死んだよ」
その言葉が落ちた途端、シンの顔から血の気が引いていく。見開かれた目がわずかに揺れ、肩から静かに力が抜け落ちた。
伏せられた視線の先で、掠れた声が短く零れる。
「……そうか」
アオは口を開きかけるものの、シンと男の間で視線を彷徨わせ、結局何も言えないまま唇を閉じた。
ラドは二人の旅装を一瞥すると、工具を片手に持ったまま親指で奥を示す。
「場所が無いなら、そっちの部屋使っていいぜ」
言い終えると視線を作業台へ戻し、金属を削る乾いた音が再び室内へ響き始めていた。
シンは無言のまま奥の部屋へ入っていく。薄暗い室内の隅へ荷物を降ろすと、そのまま壁に背を預けるように腰を落とし、片膝を抱えた姿勢で俯いた。
その姿を見つめながら、アオの手がためらうように前へ伸びる。
「シンさん……」
「……しばらく、一人にしてくれないか」
掠れた声が低く落ちる。アオは伸ばしかけた手をゆっくりと引き戻し、その指先を握り込んだ。視線が床へ落ち、金属板の継ぎ目をじっと見つめたまま、喉の奥で浅く息を呑む。
「……わかりました」
小さく答えると、アオは重い足取りで部屋を出ていく。金属扉が軋みを立てながら閉じ、薄暗い工房へ虚しく響いた。
扉を閉めたアオは、その扉へ背を預けたまま俯いた。握り込んでいた指先から少しずつ力が抜け、喉の奥へ溜まっていた息が長く吐き出される。作業台の方からは金属を削る乾いた音が絶え間なく響き、その単調な音だけが静まり返った胸の内へ染み込んでいった。
アオは俯いたまま唇を固く閉ざしていたが、拳を握り締めると、自分に言い聞かせるように呟いた。
「……こんな所で立ち止まっていられない。フィリアを助けるんだ……!」
小さく息を吸って顔を上げたアオは、工房の中央へ視線を向けた。作業台で機械を弄るラドに数歩近づくと、その背中に向かって声を掛ける。
「あのっ……ヴァルガンドについて詳しい人、知りませんか?」
工具を握っていたラドの手が止まり、肩越しに振り返る。油で黒ずんだ手袋を作業着へ擦りつけると、呆れたように鼻を鳴らした。
「ヴァルガンドだぁ? やめとけやめとけ、死ぬだけだぞ」
「でも……ヴァルガンドに、どうしても助けなきゃいけない仲間がいるんです……!」
アオは食い下がるように一歩踏み出す。ラドは気怠そうに頭を掻きながら、乱雑に積まれた工具箱を引き寄せた。
「そいつは気の毒だが、シンも腑抜けてるんだろ。ありゃしばらくは動かねぇぞ」
金属工具が箱の中で擦れ合う音が短く響く。ラドは漁っていた手を止めると、低く呟くように言葉を落とした。
「……前にここへ来た時もそうだった」
その声に、アオの表情が強く引き締まる。
「シンさんが協力してくれなくても……僕一人でもやります!」
声を荒らげたままラドへ詰め寄ると、ラドは顔を背けるようにして大きく息を吐き出した。
「っは〜〜……」
蒸気管から低い駆動音が響く中、ラドは椅子へ深く腰を預けたまま天井を仰ぎ、しばらくして口を開いた。
「……だったら、地下のモグラ野郎んとこ行け。あいつならヴァルガンドの閉鎖網にも穴開けられる」
アオの目がわずかに見開かれる。ラドはその反応を横目で確かめながら、再び機械の方へ向き直った。
「ヴァルガンド絡みとなると、リスクは相当なもんだ。引き受けてくれるかは分からんがな」
再び工具の擦れる音が工房へ響き始める。アオはその背中を見つめたまま、小さく首を傾げた。
「モグラ野郎……?」
ラドは作業の手を止めることなく、顎で奥の通路を示す。
「赤い蒸気管を辿って三つ目の分岐を左。青ランプの扉だ。……機嫌が悪い時に行くと追い返されるぞ」
「あっ、えっと……赤い蒸気管……三つ目の分岐……青いランプ……」
指を折りながら復唱していたアオの表情へ、少しずつ明るさが戻っていく。握り込んでいた拳へ再び力を込めると、アオは勢いよく顔を上げた。
「ありがとうございます! 行ってきます!」
声を弾ませたまま通路を駆け出したアオの足音が、蒸気の唸る音へ溶けるように遠ざかっていく。




