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歯車と星の環  作者: 進藤晶人
第一部 はじまりの森 グリーダ
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第2章 共闘(1)

シンはギルドの奥に併設された酒場へ顎を向けた。


「……とりあえず飯にするぞ」


「はい!」


二人は壁際の空いた席へ腰を下ろした。擦り切れた卓上には古い傷跡が幾重にも残り、吊り下げられた油灯が橙色の光を落としている。店内では討伐帰りの冒険者たちが酒瓶を打ち鳴らし、酔い混じりの笑い声を響かせていた。


運ばれてきたのは、薄い豆の煮込みと黒パン、それに細切れの燻製肉を添えただけの簡素な定食だった。湯気に混ざって香草の匂いが立ち上り、油灯の光が薄いスープの表面を揺らしている。


アオは木の匙を手に取りながら、向かいへ座るシンを見上げた。


「あの狼……明日は、どう戦うんですか?」


シンは黒パンを千切り、煮込みと一緒に口へ放り込む。しばらく無言のまま食事を進め、木杯の水で喉を湿らせてから口を開いた。


「俺の刃は通らなかった」


低く落ちた声へ、酒場の喧騒が重なる。


「なら、お前の魔法に賭けるしかない。俺が前で動きを止める。アオ、お前はそこを狙え」


アオの指先が匙の柄を握り直す。灯りを映した瞳にためらいがよぎり、そのあと小さく頷いた。


「……はい。やってみます」


シンは燻製肉を切り分け、短く続ける。


「奴は外殻にマナを纏う。狙うなら外殻ごとだ。削るより、一気に叩き割れ」


「わかりました」


その返事を聞きながら、シンは残っていたスープを飲み干した。粗末な豆の味と塩気だけが舌へ残る。空になった皿をしばらく見下ろしたあと、片手で腹を軽くさすった。


「少し足りないが……宿代を残すと、この辺が限界か」


向かい側でアオが柔らかく微笑む。


「ふふ、明日報酬が入ったら、もっといい物を食べましょう!」


シンは卓へ木杯を置き、微かに口元を緩めた。


「そうだな。……明日は早い。休めるうちに休んでおけ」


アオは背筋を伸ばし、こくりと頷く。油灯の火が瞬き、その蒼色の瞳へ淡い光が差し込んだ。


卓に銅貨を並べて席を立つと、背後で硬貨の触れ合う乾いた音が響いた。酒と油の匂いを含んだ喧騒が背後に残り、扉の隙間から冷えた夜気が流れ込む。シンは振り返ることなく軋む扉を押し開け、アオもその後を追うように、夜の通りへ足を踏み出した。


扉を抜けると、酒場の熱気が背後へ退き、夜更けの冷えた空気が石畳の通りに広がる。昼間は露店で埋まっていた一帯も、今は木箱と布覆いだけが暗がりへ沈んでいる。道の先では、まだ閉じきっていない店の灯りが軒下から漏れ、湿った石畳へ淡く伸びていた。


路地を抜けた夜風が肌を撫で、アオは小さく肩をすくめた。隣を歩くシンは真っ直ぐ前を向き、一定の歩幅で宿への道を進んでいく。二人の靴音だけが、静まった街路へ規則的に響いていた。



   ◇──◇──◇


翌朝、まだ人影の少ない宿屋に靴音が響く。支度を整えたアオは木製の階段を降り、入口へ向かっていた。入口脇では、先に旅装を整えたシンが腕を組み、壁にもたれかかっていた。階段を下りてくる足音に気づき、静かにアオへ視線を向ける。


「準備はいいか」


「はい!」


短いやり取りののち、二人は宿を出て街門をくぐり、北へ延びる森道へ踏み入った。朝靄を含んだ空気が木々の間に滞り、足元の土は夜の冷えを残したまま、靴底の下で柔らかく沈む。


「黒霧の窪地は北の泉を越えた先だ。お前が迷っていた場所とは、遺跡を挟んで反対側になる」


その言葉に、アオは足元へ視線を落とし、肩をすぼめる。


「ここから先は獣道だ。俺から離れるな」


シンは浮き上がった木の根を跨ぎ、低く垂れた枝葉を手で払いながら奥へ進む。


アオも歩調を合わせて続き、湿った地面を足先で探りながら踏み替えていく。倒木を足場に変え、地を蹴る一連の動作には迷いがなく、枝を避ける手付きにも無駄がない。


獣道を抜けると、木漏れ日の差す一角へ差しかかる。地面一帯に咲いた花が風にそよぎ、濃紺の花弁には朝露が細かな光を宿している。


「……そういえば、ちょうど雫紺花(しずこんか)の咲く季節ですね」


アオは足を緩め、群生した花々の前で立ち止まった。風になびく花弁を追うように目元が和らぎ、その横顔へ穏やかな色が差す。


「雫紺花……?」


「数日で散る花なんです。見られる年は、ちょっと得した気分になります」


アオはしゃがみ込み、指先が触れる寸前でそっと手を止める。花弁の上を転がる雫が朝日を受け、青い光の粒となって瞬いた。


シンも歩みを止め、足元の花を見下ろす。


「……そうなのか。この花を見るのは初めてじゃないが、気にしたことがなかったな」


その言葉に、アオの肩がわずかに落ちると、シンは漂う香りを確かめるように浅く息を吸った。


「……だが、悪くない匂いだな」


顔を上げたアオが目を見開いた拍子に、澄んだ蒼色の瞳へ光が差し込んだ。


「はい! 僕もそう思います!」


立ち上がったアオは足早にシンの隣へ並び、そのまま少しだけ距離を縮める。花畑を渡る風に二人の旅装がはためき、散った紺の花びらが足元を流れていった。



   ◇──◇──◇


森の奥へ進むにつれ、冷えた湿気が肌にまとわりつき、枝葉は頭上で密度を増していった。差し込む光は細くなり、地面には入り組んだ影が揺れている。


木立ちを抜けると視界が開け、小さな泉へと辿り着いた。水面は波一つなく広がり、岩肌を伝う雫の落ちる音だけが静かに響いていた。


「少し休むか」


「それじゃあ、少しだけ」


アオは倒木へ腰を下ろし、水筒の蓋を開ける。喉を潤して息をついたところで、不意に風が吹き抜け、枝葉が一斉に擦れ合う音を立てる。アオは水筒を持ったまま、泉の向こうへ顔を向けた。


「……なんだか変です。静かすぎるような……」


シンは答えず、周囲へ目を走らせた。泉の水音だけがわずかに残り、鳥のさえずりすら遠のいた異様な静寂が辺りを包み込んでいる。


「……確かに、気配が薄いな」


立ち上がったシンは、泉の縁へ歩み寄り、一本の木の前で足を止める。幹には深く抉れた爪痕が残り、裂けた樹皮の隙間から白い木肌が覗いている。


「鱗狼の爪痕だ」


シンは指先で傷を確かめるようになぞりながら目を細める。


「奴を避けて、他の獣が隠れているのかもしれない」


地面には踏み荒らされた跡が続き、削れた樹皮や折れた枝がさらに奥への道筋を描いていた。


爪痕の残る木を後にし、二人はさらに森の奥へ踏み込んだ。地面は次第に湿りを増し、気づけば薄い霧が足元から広がり始めている。灰色に濁った空気が靴先へ絡みつき、歩を進めるたびにかき乱される。


「……空気が重いです。この辺り、他よりマナが濃い」


アオは低く広がる霧の中で呟いた。


「黒霧の窪地に近づくほど、もっと濃くなってます」


シンは霧の奥へ視線を向け、背の剣へ軽く手を添えた。


「視界を切るな。霧の向こうを見失えば終わりだ」


言葉の余韻が消える前に木々の輪郭が薄暗い霧の奥へ消え、目の前に巨大な窪地が姿を表した。低く滞留した黒い霧は地を這って流れ、窪地全体を不穏な影で満たしていた。


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