第9章 追放(1)
一連の騒動から数日。魔法都市セレストルの中央通りに面した喫茶店には、昼下がりの陽光が大きな窓から差し込んでいた。穏やかなざわめきが店内を満たす中、窓際の席ではシンが山積みになった皿を前に黙々とナイフを動かしている。
分厚いステーキ肉が次々と切り分けられ、皿の上から消えていく。店員が追加のパン籠を運んできても、その減る速度はほとんど変わらなかった。
向かい側へ座るアオは、財布の中身を確認したあと視線を皿の山へ戻し、引きつった顔のまま肩を落とす。
「シンさん、少しは味わって食べてください……!」
シンは肉を咀嚼したまま視線だけを上げ、手元のフォークを動かし続ける。
「味はわかる。美味いぞ。」
「シンさん何食べても『美味い』しか言わないじゃないですかっ!」
アオが額へ手を当てる。テーブル中央では、焼き立てのパイから漂う甘い香りに反応したフィリアが、湯気の周囲をくるくる飛び回っていた。
アオはショートケーキの上に乗るオーロラベリーを皿の隅に寄せ、クリームを少しずつ切り分けていく。その時、不意に別のフォークが皿の隅へ伸び、銀の先端がその果実を迷いなく突き刺した。
「残すなら貰うぞ」
シンはそのまま果実を口へ放り込み、何事もなかった顔で咀嚼を続ける。アオは一拍遅れて目を見開くと、椅子を軋ませながら身を乗り出した。
「あっ!! 最後に食べようと思って取っておいたのに!」
抗議の声に反応して、フィリアが二人の間を忙しなく飛び回る。蒼い燐光がテーブル上へ散り、シンは空になったフォークを置きながら肩を竦めた。
「それは悪いことをしたな」
謝罪の言葉とは裏腹に、追加で運ばれてきた肉料理へ既に視線が向いている。アオはため息をつきながら椅子へ座り直し、窓の外へ視線を流した。
石畳の通りでは露店商が果物を並べ、魔導具店の軒先には制服姿の学生達が集まっている。柔らかな風が街路樹を揺らし、昼の陽射しを受けた噴水の水面が眩しく光っていた。
「……どうした?」
ナイフを動かしながら尋ねるシンへ、アオは通りを見つめたまま口を開く。
「いえ……。なんだか、日常が戻ってきたなと思って。ついこの間まで、死に物狂いで魔物と戦ったり、フィリアを助けるために奔走したり、怒涛の日々でしたから」
言葉を続けながら、アオの指先がカップの縁をなぞる。窓際へ差し込む光の中では、フィリアがテーブルへ降り立ち、小さな身体を預けるようにカップへ寄り添っていた。
シンは皿の上の肉を切り分ける手を止め、向かい側へ座るアオへ視線を向けた。
「アオのおかげだな」
「え?」
「フィリアや俺が今ここにいられるのは、アオが『共鳴の術環』でフィリアの意思を証明してくれたからだ」
シンの口元がわずかに綻ぶ。以前なら短く流していたはずの言葉を、今は真正面から向けられていることに、アオは目を瞬かせた。遅れて、その表情が柔らかな笑みに変わっていく。
「……本当に良かった」
零れた声と共に、アオの瞳へ薄く光が滲む。フィリアはそんな二人の間を漂いながら、蒼い光を柔らかく揺らしていた。
アオの声が喫茶店の空気へ溶けていったあと、窓際のテーブルへ差し込んでいた陽光がふっと陰り、店内の明るさが一段落ちた。通りを歩いていた人々は次々と足を止め、巨大な影の落ちた空を見上げる。
シンが視線を窓へ向けると、空を覆う雲の裂け目から、黒鉄の装甲に覆われた巨大な飛行艦が姿を現した。重厚な装甲板で構成された艦体側面では赤熱した推進機関が唸りを上げ、腹部へ並んだ砲門が鈍く灰色の光を反射している。低く重い駆動音が遠くから街並みを震わせ、その異様な艦影を前に、シンの表情が険しく強張った。
シンは椅子を鳴らしながら立ち上がり、窓の向こうを睨みつけた。
「……ヴァルガンド軍の重巡洋艦……! どういうことだ……!」
喉の奥から漏れた声と同時に、巡洋艦が都市上空へさらに高度を落とし、セレストルを包む防空結界へ真正面から衝突した。都市上空へ巨大な亀裂が走り、砕け散った光の破片が雨のように街へ降り注ぐ中、数拍遅れて腹の底へ響く衝撃が石畳を震わせる。吊り下げられていた照明が激しく揺れ、卓上から滑り落ちた食器が床で砕け散った。
衝撃を追うように、街全体へ警報が鳴り響き、喫茶店にいた客達が出口へ殺到する。巡洋艦の腹部ハッチからは小型輸送艇が次々と飛び出し、蒸気機関式の銃器を抱えた武装兵達が街路や建物の屋上へ展開していった。
さらに上空からは無数の蜘蛛型機兵が凄まじい勢いで降下し、石畳を砕きながら各所へ圧着する。着地の衝撃で露店が倒れ、通りの至る所で炎が上がる中、シンはギアブレードを掴むと迷わず通りへ飛び出した。
「フィリア!」
呼びかけに応じるように、アオの肩口に漂っていたフィリアの輝きが一気に強まる。ギアブレードへ刻まれた共鳴の術環が蒼白い光を帯び、歯車機構を囲む光輪となって浮かび上がった。刀身を走る蒼い金属帯に光が満ち、剣身全体へ清冽な輝きが広がっていく。
シンが刃を構えたその時、視界を塞ぐように黒い影が目前へ墜ちてきた。石畳が大きく陥没し、シンは舞い上がった土煙を防ぐように咄嗟に腕で顔を庇う。狭まる視界の奥、土煙の中心に黒鉄の装甲搭機の姿が浮かび上がる。全身を禍々しい増設装甲で覆った異形の巨体は背部の推進機構から白い蒸気を噴き上げ、右腕へ固定された装甲刃を低く地面へ向けていた。展開した腰部装甲からは、左右に並ぶ砲身がせり出している。
露出した操縦席の中で、軍服を纏った男が顔を上げる。口元には獰猛な笑みが浮かび、白い歯が剥き出しになる。深く被った軍帽の下では赤い左目が爛々と光り、右目は黒い眼帯に覆われていた。
「よぉ、久しぶりだなぁ、シン……!」
その声を聞いた瞬間、シンの目が大きく見開かれた。
「──ゾルト……!」




