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歯車と星の環  作者: 進藤晶人
第二部 知の都 セレストル
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第8章 覚醒(4)

「大人しくしていれば良いものを……! 歴史の正しき流れにまで抗うか! ならば、その愚行ごと正してやろう!」


翻したローブが雨粒を散らし、懐から古びた魔導書が引き抜かれる。銀細工の留め具が外されると、開かれた頁の隙間から膨大なマナが噴き上がり、その奔流に呼応するように武官達の術式光が一斉に輝きを増した。夜空へ伸びた光は巨大な術式紋様へ姿を変えながら、路地裏の上空で複雑に組み合わさっていく。


低く唸る振動と共に空間が軋んでいく。集束したマナは獅子を思わせる輪郭を形作り、鋼鉄と結晶を組み合わせた巨大な四足の守護獣が雨の中で実体を結ぶ。全身を覆う白磁にも似た金属装甲の隙間からは白金色の光が漏れ出し、沈むように地面に落ちた爪先が石畳を深く砕いた。周囲の武官達が一斉に距離を取る中、雨に煙る路地裏には異様な威圧感だけが重く張り詰めていた。


シンは蒼光を帯びたギアブレードを握り直し、刀身を肩の高さへ構えた。掌が柄を包み込むと、ギアブレードは驚くほど自然に腕へ馴染み、全身へ熱が駆け抜ける。フィリアから流れ込む温かな感触が胸の奥へ灯り、鈍く沈んでいた視界へ少しずつ色が戻っていった。


守護獣が咆哮と共に前脚を振り下ろすと、暴風を伴う衝撃が路地を薙ぎ払い、石畳の破片が雨水を弾きながら宙へ舞う。シンは砕けた地面を踏み締め、身体を捻りながら斜めへ滑り込んだ。蒼光を纏った剣閃が装甲の継ぎ目を正確に切り裂き、火花を散らしながら外殻の一部を弾き飛ばす。


守護獣は体勢を立て直しながら尾を振り抜き、続けざまに高密度の光弾を吐き出した。シンは地を蹴り、狭い路地の壁面すれすれを駆け抜ける。蒼い残光が雨夜へ尾を引く背後で、降り注ぐ光弾が濡れた石壁を砕いていく。ギアブレードが光弾を断ち割るたびに内部の歯車が微かに震え、刀身を満たす輝きが水面のように揺らめく。


踏み込んだ右脚が石畳へ深く沈み込み、跳ね上がった石片の間を抜けたシンは守護獣の懐へ沈み込んだ。低い姿勢から振り抜かれたギアブレードが巨大な胴体を斜めに裂く。装甲の継ぎ目から白い光が噴き上がり、傾いた巨体の亀裂が大きく開いていく。


崩れた巨体は無数の粒子となり、雨夜の闇へ溶けていく。雪のように漂う光粒は砕けた石畳の上へ降り注ぎ、淡い輝きを残しながら夜の路地を静かに照らしていた。


「シンさん……! すごい……!」


息を弾ませたアオが目を見開き、蒼光を纏ったギアブレードへ視線を向ける。その肩口ではフィリアが嬉しそうに宙を旋回し、小さな身体から零れる光が冷たい夜気へ尾を引いていた。


「ば、馬鹿な……大魔導院の守護獣が一撃だと……!?」


一歩退いた高官の頬が引き攣る。魔導書を握る指先へ力が入り、引き結ばれた口元がわずかに震えた。


「総員、その大罪人を囲め! マナ出力を最大まで引き上げろ!」


怒声が響いた直後、フィリアがアオの肩から飛び出した。小さな光の身体は一直線にギアブレードの切先へ降り立ち、蒼い刀身の上で羽を広げる。周囲へ放たれた澄んだマナの波動が空気を震わせ、誰もが精霊自身がギアブレードへ寄り添う光景を見つめていた。


アオは拳を握り締めたまま前へ踏み出す。雨音へ溶けるように石畳へ靴音が響き、真っ直ぐ高官を見据えた蒼い瞳に迷いはなかった。


「見てください! フィリアはシンさんに『搾取』なんてされていません! この子は、自分の意志でシンさんと一緒にいるんです! あなたたちの言う『大地へ還すべきだ』という考えは、人間の勝手な思い込みです!」


雨音が細くなった路地へ沈黙が落ちる。術式を展開していた一団の手が止まり、高官もまた険しい表情のままフィリアを見据えていた。精霊自身が、自らの意思で「大罪の遺物」に力を託し、生きることを望んでいる。その事実だけが、濡れた路地裏に重く残されていた。


男は唇を歪め、開かれた魔導書を強く閉じる。短い音が静まり返った路地へ響き、漂っていた膨大なマナが霧散していった。


「……精霊自らが望むというのであれば、我らが無理に還す道理もない。古代の忌まわしき遺物を、共生の器へと変える者が現れるとはな……。封印指定資料室への侵入も含め、今回の件は不問とする」


冷えた視線がシンへ向けられる。男は蒼く輝くギアブレードを一瞥し、濡れたローブの裾を払った。


「だが、もしその遺物を再び歴史の過ちへ繋げることがあれば、その時は我らが裁きを下す。……行くぞ」


武官達が整然と隊列を組み直し、高官の後ろへ続いて路地の奥へ消えていく。張り詰めていた気配が遠ざかり、軒先から落ちる雫の音だけが、砕けた石畳の上に残っていた。


雲の切れ間から差し込んだ月明かりが、水溜まりの上で淡く揺れている。シンは掌の中で蒼い光を静めていくギアブレードを見つめ、薄く熱を残した刀身の表面へゆっくりと指先を滑らせた。


その隣では、泥と雨で全身を汚したアオが、肩の上へ舞い戻ったフィリアに微笑んでいる。シンは濡れた前髪を掻き上げ、深く息を吐き出すと、アオの瞳へ視線を向ける。少し困ったように目元を和らげたその表情は、シンが初めて見せる不器用な優しさだった。


「……世話をかけたな、アオ」



   ◇──◇──◇


──同刻、機鋼国ヴァルガンド。


警報灯が明滅する司令室では、天井と壁を這う蒸気管が熱を帯びた唸りを響かせ、壁際の伝達管から各戦線の報告が絶え間なく流れ込んでいた。中央モニターへ映し出されているのは、ギアブレードと酷似した大剣の設計図と、遠く離れたセレストル周辺の地図。その座標上では異常な反応波形が断続的に点滅している。


天井に埋め込まれた拡声器から、抑揚のない機械音声が司令室へ流れた。


『緊急警報。特一級機鋼兵器《レーヴァテイン》の起動を確認』


『発生地点、セレストル市街地。現所有者、脱走兵シン』


その名が出た途端、壁際で腕を組んでいた青年の肩が強張った。軍帽を深く被り、その影からは右目を覆う黒い眼帯だけが覗いている。


『古代精霊反応を検出。対象はレーヴァテイン起動地点周辺に存在。脱走兵シンとの同行を確認』


『レーヴァテイン関連情報を検索──対象データの破損を確認。残存記録から復旧を試行』


機械音声に続いて中央モニター上に複数の表示領域が展開し、無数の文字列が流れていく。


『データ復旧完了。優先計画へ移行』


『レーヴァテインおよび古代精霊の回収任務を発令』


『適性戦力を選定──戦闘個体ゾルトを任務指揮官に指定』


青年は壁から背を離すと、ゆっくりと顔を上げる。中央モニターへ視線を向けるにつれ露わになった左目には、獲物を狙う猛獣のような熱が濃く滲んでいた。


「はっ、裏切り者のシンか。──待ってろよ、この俺がぶっ潰してやる……!」


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