第8章 覚醒(3)
夕闇に沈み始めたセレストルには冷たい雨が降り続き、街路に並ぶ魔導灯の光が濡れた石畳へ滲んでいた。都市外縁の寂れた路地裏では、青い戦闘用ローブを纏った一団が半円状に陣形を組み、一人の冒険者を取り囲んでいる。
その中央に立つシンは俯いたまま、額から流れ落ちる雨水を頬へ伝わせていた。重く垂れ下がった前髪の隙間で視線が石畳へ沈み込み、背に負ったギアブレードの重みだけが鈍く残っている。
包囲の中央が静かに開き、石畳の上へ一本の道が伸びた。その奥から歩み出た高官は、純白のローブの裾を雨に濡らしながら、抑揚の薄い声音で口を開いた。
「その鉄塊は、かつて我らの大地を枯らし尽くそうとした大罪の遺物。精霊の命をただの燃料として消費し、吸い上げるためだけに作られた悪しき道具だ。歴史を繰り返さぬよう、葬らねばならない。……さあ、こちらに渡して貰おうか」
差し出された手を前に、シンの瞼がわずかに伏せられる。封印指定資料室で読んだ記録。精霊を閉じ込め、生命を削りながらマナを搾り取っていた古代遺跡の装置。そして、ギアブレード内部に存在していたマナ流路の空洞。──数々の死線を共に潜り抜けてきた相棒は、精霊の命を喰らうことを前提に生み出された道具だった。その事実が、雨水より重く胸へ沈んでいた。
「……その通りだ」
雨音へ掻き消されそうなほど微かな声が漏れる。
「こいつはもう、俺には必要のないものだ」
高官の前へ進み出ると、シンは背中からギアブレードを下ろして両手で抱え直した。雨に濡れた布包みが滑り落ち、刀身から覗く歯車が雨粒を弾く。
シンは長年連れ添った大剣をしばらく見つめ、手に馴染んだ柄を握ったまま刃をわずかに傾ける。鈍く沈んだ黒鉄の刀身の中で、刃を囲う蒼い金属帯だけが魔導灯の明かりを返し、シンは親指でその縁を確かめるようになぞった。
シンがゆっくりとギアブレードを持ち上げ、差し出そうとしたところで、雨を裂く声が叩きつけられた。
「渡しちゃダメです!!」
張り詰めた叫びに、シンの手が反射的に柄を掴み直す。高官の眉が動き、包囲していた一団が一斉に路地の入口を振り返った。
石畳を蹴りながら飛び込んできたアオは、肩で激しく息をし、雨と泥で服の裾を重く濡らしていた。膝には擦り傷が走り、乱れた髪から滴が次々と顎先を伝い落ちる。それでも視線だけは真っ直ぐシンへ向けられ、傍らを舞うフィリアの淡い光が、荒い呼吸に合わせて揺れていた。
「……アオ? なぜここに……」
シンはギアブレードを引き寄せて抱え直し、濡れた前髪の奥で目を見開いた。喉の奥から押し出された声は重く掠れている。
「何をしに来た。俺も、このギアブレードも、精霊を利用していた奴らと同じなんだぞ……!」
雨脚の強まる路地裏で、アオは激しく首を横へ振った。頬へ髪が張り付くのも構わず、呼吸を乱したまま武官達の間を縫うように進み、シンの元へ駆け寄る。
「違います! シンさんのギアブレードは、精霊の命を消費する道具じゃない! お願いです、僕を、この子を信じてください……!」
制止の声より早く、アオの掌が黒鉄の刀身へ触れる。指先が歯車機構の周囲をなぞり、その外縁を囲むように共鳴の術環を刻んでゆく。複雑な古代文字が機構の輪郭へ沿って次々と光を帯び、淡青の紋様が沈み込むように黒鉄へ焼き付いた。
傍らのフィリアが強く光を瞬かせると、呼応するように共鳴の術環が蒼白い光を帯び、歯車機構を囲む光輪となって浮かび上がった。その内側では古代文字と幾何学模様が次々と描き出され、フィリアのマナが奔流となって内部の空洞へ流れ込んでゆく。刀身の柄元から切先へかけて蒼い金属帯に光が駆け抜け、その輝きが黒鉄の剣身全体へ広がっていく。透き通る光を纏った剣身は、降り注ぐ雨粒を夜空へ弾き返すように煌めいた。
冷たい雨に沈んでいた路地裏が蒼白の輝きによって一気に照らし出される。かつて精霊を縛るために造られたはずの鉄塊は、今や穏やかな熱を宿しながら、フィリアの光と呼応するように明滅していた。
蒼白の刀身から柔らかな波動が伝わり、シンの胸へ温かな想いが流れ込む。それは生きたいと願う強い想いであり、溢れる感謝の気持ちであり、自分へ向けられる真っ直ぐな信頼でもあった。言葉にならない想いが胸の奥へ直接流れ込み、シンは思わず息を呑んだ。
「……なんだ、これ……」
シンは両手の中で輝くギアブレードを見下ろす。雨水を伝う刀身には、これまで見たことのない澄んだ蒼光が揺れている。見開かれた緑色の瞳にもその光が差し込み、睫毛の先に揺れる雨粒が淡く煌めいた。呆然と剣を見つめるシンの前で、高官の顔から余裕が剥がれ落ちた。




