第5章 古代遺物研究所(3)
宿でひと息つく頃には、セレストルの空はすっかり宵闇に沈んでいた。大魔導院の尖塔は夜空に溶け込み、その上部に浮かぶ巨大な術式紋様だけが青白い輪郭を描いている。
シンは部屋の机にギアブレードを横たえ、駆動部へ工具を差し込みながら細かな整備を続けていた。露出した歯車の列へ粘度の高いグリスを塗り込み、軸受けの摩耗具合を指先で確かめていく。
一方、アオは窓辺に立ち、通りを行き交うまばらな人影を眺めていた。
「精霊の回復方法、何か分かると良いんですけど……」
窓の外へ目を向けたまま、アオが声を落とす。胸元のポーチへ触れようとした指先が途中で止まり、そのまま窓枠へ軽く掛け直された。
「そうだな」
シンは手元の小型工具を回しながら短く答える。
不意に、部屋の外の階段から激しい足音が響き始めた。不規則な足音は慌ただしく階段を駆け上がり、踏み外しかけた靴底で床板を荒く軋ませながら一直線にこちらへ近づいてくる。
アオが目を瞬かせながら扉へ振り向く一方で、シンはわずかに椅子から腰を浮かせ、前傾した姿勢のまま入口を見据えた。
慌ただしい足音が入口の前で止まり、勢いよく扉が開くと、乱れたおさげ髪を揺らしたモモが息を切らせながら部屋へ飛び込んできた。肩を大きく上下させながらその場で息を整え、荒い呼吸の合間に顔を上げる。
「はあっ……はあっ……た、大変です~~~っ! 結晶が……!」
震える声と共に両手で差し出された布の上では、精霊の結晶が今にも消え入りそうに瞬いていた。淡く灯っていた輝きは既に細く掠れ、表面には冷え切った硝子のような色が浮かんでいる。
「えっ……!?」
アオは反射的に駆け寄ると、モモの掌から両手で結晶を包み込むように受け取り、その感触に息を呑む。
「冷たくなってる……!」
喉の奥が強張り、掠れた声が漏れる。指先に触れた結晶は驚くほど冷たく、アオは祈るように両手でそれを包み込んだ。伏せた睫毛の下で滲んだ光が揺れ、握った指先が細かく震える。
掌に包まれた結晶は、ほどなく指の隙間から淡い光を零し始めた。アオが息を詰めたまま掌を開くと、その輝きは微かな律動を取り戻し、失われかけていた熱が内部から少しずつ満ちていく。規則正しく脈打つ光は先程までの危うさを和らげ、穏やかな輝きとなって掌を照らしていた。
モモは瞬きも忘れたように身を乗り出し、その変化を食い入るように見つめていた。シンは椅子へ座り直したまま無言で成り行きを眺めていたが、机上のギアブレードへ視線を移すと、静かに口を開いた。
「理屈は分からないが……どうやらそいつは、アオが持っていた方が良さそうだな」
アオは胸元に結晶を抱え込みながら頷き、その表面へ親指をそっと添わせた。先程まで弱々しかった光は、アオの手の内で確かな温度を伴いながら落ち着きを取り戻していた。
「アオさん達が帰ったあと、測定を続けていたらマナが霧散し始めちゃったんです〜! でも、アオさんの近くに居れば大丈夫そうですねぇ」
張り詰めていた息を吐き出すと、モモは胸元を押さえながらその輝きを見下ろした。強張っていた肩から力が抜け、乱れていた息も少しずつ落ち着いていく。
アオは胸元へ抱えた結晶を見つめ、小さく息を吐いた。
「よかった……。すぐに知らせてくれてありがとうございます」
モモは一度だけ頷くと、眼鏡の位置を直しながら言葉を続ける。
「それでは私は研究室に戻って、精霊の回復方法について調べておきますね〜」
乱れた髪を軽く整え直し、モモは扉の方へ向き直った。去り際にも一度だけ結晶へ視線を送り、安心したように目を細めると、小さく頭を下げて部屋を出ていく。
扉が閉まった後、部屋には再び静けさが戻った。アオは椅子へ腰を下ろすと、両の掌に載せた結晶へ視線を落とし、穏やかな光に目を細める。その輝きは室内の橙色の灯りへ溶け込み、掌の中で小さな鼓動を刻んでいた。




