第5章 古代遺物研究所(1)
星祷院を後にした二人は、夜の森を抜ける街道をグリーダへ向かって歩いていた。石混じりの細い道は白い月明かりに照らされ、踏み締めるたび乾いた土の感触が靴裏へ返ってくる。
胸元のポーチに手を添えながら歩いていたアオは、ふと足を止め、シンの方へ向き直った。数歩先を進んでいたシンは足音が途切れたことに気づき、肩越しに振り返る。
「シンさん……。セレストルに行きましょう。精霊を助けるにしても、遺物について調べるにしても、まずは情報が必要です」
夜気の中へ放たれた声は思いのほか強く、その言葉だけが静かな街道へはっきりと響いた。アオはポーチの布越しに結晶の輪郭をなぞり、その温かさを確かめると、そっと布地を握った。
シンは立ち止まったまま視線を戻し、木立の奥へ短く目を細めた。
「知の都セレストル、か。確かにあそこなら、何か分かるかもしれないな」
低く返された言葉を聞き、アオの肩からわずかに力が抜ける。シンはアオへ向き直ると、改めてその身なりを眺めた。丈夫な旅装には土埃や擦れた跡が残っているものの、腰には見慣れない魔導具や折り畳み式の測定器具、小型ルーペなど数多くの調査道具が吊り下がり、軽装の冒険者というよりは発掘現場を渡り歩く遺跡調査員の姿に近い。
「……そういえば、アオはセレストルから来たのか?」
問いかけられたアオは瞬きをした後、思い出したように表情を明るくする。
「はい! あっ、言ってませんでしたね! セレストル大魔導院の古代遺物研究所で研究員をしてます! ……肩書きもない下っ端ですけどね」
アオは苦笑を浮かべて肩をすくめて見せる。月明かりに照らされた横顔には、どこか幼さを残した面影が覗いていた。
シンは小さく頷き、再び歩き出す。
「なら、お前にとっては馴染みの場所だな。ちょうどいい、明日の魔導飛行船の定期便で向かうか」
「はい!」
アオは弾むように声を返し、慌ててシンの隣へ駆け寄った。離れていた足音が再び並び、澄んだ空気の中へ規則正しく響いていく。森を抜けた先にはグリーダの街明かりが滲み、夜空の下で小さな光の帯を形作っていた。
◇──◇──◇
翌日の昼前、二人を乗せた魔導飛行船は、浮遊術式の紋様を輝かせながらセレストル外縁の発着場へ降下していった。船体の下方には白い石造りの街並みが階段状に広がり、その中央を貫く大通りの先には円形図書館や学院棟が連なる。さらに奥には大魔導院の尖塔群がそびえ立ち、中央棟の頂部では巨大な術式紋様が一際澄んだ光を放って回転していた。
「着いたな」
シンは飛行船から発着場へ降り立ち、周囲へ視線を巡らせる。その背には厚手の布で幾重にも巻かれたギアブレードが固定されていた。シンは肩越しに布で包まれた刀身を見やると、ひとつ息を吐いて前を向いた。
アオは弾むような足取りでシンの隣へ並んだ。
「この街じゃ、その武器は目立ちすぎますからね……」
眉を下げて笑うアオに、シンは肩を竦めた。
「ところでシンさんは、この街に来たことはありますか?」
アオは見慣れた街並みを歩き出す。整然と並ぶ白亜の建物の窓には青や金の紋章が刻まれ、通りの各所では魔導灯が昼間にも薄く発光している。石畳の段差や街路樹の配置まで身体が覚えているのか、その足取りには迷いがなかった。
「ああ。旅すがら滞在したことはあるが……」
シンは途中で言葉を切り、街を覆う魔法障壁を見上げると、眉根を寄せて浅く息を吐いた。
「この街には仕事がない」
アオは口元に手を当てて小さく笑うと、シンの視線を追うように空を見上げた。
「確かに、街には魔法障壁がありますし、街道もかなり安全ですからね。シンさんみたいな討伐専門の冒険者には、ちょっと退屈かもしれません」
アオの言葉に、シンは鼻から短く息を抜きながら視線を逸らす。思わず笑みを零したアオは、今度は遠方の大魔導院へ目を向けた。
「さてと、まずは──」
「腹が減った」
被せるように発せられた声に、アオは一度目を丸くした後、口元を綻ばせた。
「……ふふっ。そう言うと思ってました! おすすめのお店があるんです。行きましょう!」
言い終えるより先に、アオは人通りの多い中央通りへ駆け出していく。シンはその背中を眺めながらギアブレードを担ぎ直し、重みを肩に馴染ませると、喧騒に満ちた知の都の中心に足を向けた。
◇──◇──◇
白い石畳の大通りをしばらく進んだ先で、アオは一軒の喫茶店へシンを案内した。磨かれた白木の扉や、青銅色の装飾が施された窓枠は上品に整えられ、通り沿いに張り出したテラスには柔らかな風と香ばしい焼き菓子の香りが流れている。
席へ腰を下ろしたシンは、背もたれへ浅く体重を預け、店内へ目を走らせる。近くの席では学生らしき若者たちが分厚い魔導書を積み上げ、紙へ術式を書き込みながら議論を交わし、通り側の席では仕立ての良いローブを纏った魔道士たちが紅茶片手に穏やかに談笑していた。酒と喧騒に満ちた冒険者向けの酒場とは空気そのものが異なり、シンはどこか居心地の悪そうな様子で店内を見回していた。
「僕、このお店のトワイライトチェリーパイが好きで! デザートに頼みましょう!」
アオはメニューを開くと、真っ先に焼き菓子の頁を開いて指先で示した。シンは「ああ、美味そうだな」と短く返しながらそのまま手元の料理名を眺めていたが、ふと片眉を上げる。
「……この、『燻り竜の熱風ステーキ』というのは、本物のドラゴンの肉を使っているのか?」
メニューの一角を指差すシンの表情には冗談めいた色がなく、真顔で尋ねられたアオは何度か目を瞬かせる。
「まさか! でもドラゴンの息吹をイメージして、お皿の周りに魔法で炎の演出が出るんですよ!」
アオは笑い混じりに説明しながら両手で円を描く。シンは視線を再びメニューへ落とし、わずかに肩を下げた。
「そうか。……珍しい肉が食えるのかと思ったんだが」
本気で珍味を期待していたらしい声音に、アオは苦い笑みを浮かべる。二人は料理を待ちながら他愛のない話を交わし、昼の穏やかな時間が流れていった。
◇──◇──◇
食事を終えた二人は、再び中央大通りを北へ進み、大魔導院へと足を向けた。ほどなくして広大な敷地を囲む外壁が見え始め、二人は正門の前へ辿り着いた。




