第九十五話「嘘つき」
冬が深まった。
門の前の木には葉がなくなった。石段が冷たくなった。
トーマスが言った。
「ヴェルツ殿。そろそろ椅子を持ってきたほうがいいですよ。石段は冷えますから」
「椅子。……いいかもしれない」
「私の予備の椅子がありますよ。門衛室に」
「借りていいのか」
「もちろん。毎日握り飯をいただいていますから」
(握り飯と椅子の物々交換。営業の原点だ)
*
その日の午後。
学園から帰る途中だった。フィオナと歩いていた。王都の街を。
路地から、声が聞こえた。
女の子の泣き声だった。
足を止めた。
「ランベルトさん」
「聞こえたか」
「聞こえました。……行きますか」
「行く」
路地に入った。
10歳くらいの女の子が、壁際に座っていた。泣いていた。膝を擦りむいている。
横に、15歳くらいの男の子が3人いた。女の子の籠を持っている。中身は果物。
「返して」
「やだよ。お前の親、うちに借金があるんだろ。これは回収だ」
(借金の回収。子供がやることではない。親の争いが子供に降りてきている)
俺が声をかけた。
「その籠を返してやれ」
男の子たちが俺を見た。
「誰だよ」
「通りすがりの大根貴族だ」
「大根貴族? 何それ」
「知らないか。まあいい。籠を返せ」
「なんで」
「借金の回収は大人がやることだ。子供がやると、ろくなことにならない。以前も見たことがある」
男の子たちは俺を見た。貴族の正装を着ている。門前弁当の匂いがする。
「……わかったよ」
籠を置いて去った。
女の子に籠を返した。
「大丈夫か」
「……ありがとうございます」
「膝を見せてみろ」
擦り傷だった。大したことはない。
フィオナが光を灯した。手のひらの光を、女の子の膝に当てた。温かい光。
「……あったかい」
「光の魔法だ。傷には効かないが、温めると痛みが引く」
「お姉ちゃん、魔法使いなの?」
「うん。……ちょっとだけね」
女の子が泣き止んだ。果物の籠を抱えて、走って行った。
路地に2人残された。
「ランベルトさん」
「何だ」
「今の、護衛の仕事ですか」
「護衛の仕事ではない」
「じゃあ何ですか」
「……通りがかりだ」
「通りがかりで、助けるんですか」
「助けてはいない。籠を返すように言っただけだ」
フィオナが俺を見た。
「……守ってくれたんですか。あの子を」
「守っていない」
「嘘つき」
(嘘つき)
その言葉を、聞いた。
前にも聞いた。最初の頃。農村で。フィオナが初めて俺に「嘘つき」と言った日がある。
しかし、あのときの「嘘つき」と、今の「嘘つき」は違う。
あのときは、皮肉だった。「逃げているのに逃げていないと言う」ことへの指摘。
今の「嘘つき」は、違う。
温かかった。
「守ってないって言いますよね。いつも」
「守っていない」
「私のことも、守ってないって言いますよね」
「護衛だ。護衛は仕事だ。守っているのではなく、職務を遂行している」
「職務」
「ああ」
「職務で、毎朝4時に起きて弁当を作るんですか」
「……作る」
「職務で、門の前で一日中待つんですか」
「待つ」
「職務で、出汁が濃くなるまで考えごとするんですか」
「……する」
「全部職務ですか」
「……全部職務だ」
「嘘つき」
2回目の「嘘つき」だった。今日の。
(2回言われた。1回目は女の子を守ったことへの「嘘つき」。2回目は俺を守っていることへの「嘘つき」)
「フィオナ」
「はい」
「嘘つきでもいいか」
「いいですよ。嘘つきでも、やってくれてることは本当ですから」
「やっていること」
「料理。弁当。門番。出汁。全部本当です。言葉だけが嘘なんです」
(言葉だけが嘘。行動は本当。俺は口で否定しながら、行動で肯定している。営業マンとしては最低だ。言葉と行動が一致しない営業は信用を失う)
(しかし、フィオナは信用を失っていない。なぜなら、行動のほうを信じているからだ。言葉ではなく行動を見ている)
「……ありがとう」
「カウントしますか」
「お前が決めろ」
「しません。今のは嘘つきへの返事だから。嘘つきへのありがとうは、カウントに入れないんです」
「新しいルールか」
「新しいルールです。今決めました」
「ルールが多すぎる」
「あなたの肩書よりは少ないですよ」
(肩書。護衛。料理人。大根農家。外部講師。営業マン。門番。先生。嘘つき)
(8つ目の肩書。嘘つき。……一番正確かもしれない)
帰り道。冬の夕暮れ。
影が長かった。2人の影が、街道に並んで伸びていた。




