第九十四話「食卓の地図」
2ヶ月目。
王都の生活が完全に定着した。
朝の流れ。4時起床。弁当を作る。14人分。フィオナを学園に送る。門の前で待つ。トーマスと話す。昼にフィオナと食べる。午後は商談か料理教室。夕方帰宅。夕飯を作る。食器を洗う。おやすみ。
(営業マンのルーティンと同じだ。決まった流れの中に、決まった人がいる。違うのは、このルーティンが「仕事」ではなく「生活」であること)
*
日曜日。
別邸に人が集まった。
レオンから連絡があった。「全員で飯を食う。手配しろ」。
(手配しろ。王太子が没落貴族に飯の手配を命じている。この命令系統はおかしい)
朝から料理を仕込んだ。
フィオナが手伝った。
「何人分ですか」
「……数えよう。レオン殿下。シャール。クロード。ファイン殿。リリア殿。マリア。トーマスも呼ぶか。あと、料理教室の生徒が3人来たいと言っている」
「10人ですね。プラス私たち2人で12人」
「12人」
「足りますか。食器」
「20枚買い足した。合計30枚。12人なら足りる」
「30枚。……最初は2枚だったのに」
「ああ。15倍になった」
「15倍。……営業の成長率で言うと」
「言うな。食器の枚数を成長率で語るのはさすがに」
「言おうとしたのはあなたですよね」
「……否定しない」
*
昼。12人が食卓に並んだ。
テーブルは2つ。シャールが2つ目を作ってくれた。「1つ目と同じ高さにした。平らなものは全部同じだ」と言った。
料理を並べた。冬大根の煮物。焼き魚。根菜の炒め物。漬物4種。味噌汁。大根おろし。
12枚の皿が並んだ。
(12枚。1枚から始まった。農村で。エマと2人で食べた味噌汁。それが12枚になった)
レオンが一口食べた。
「相変わらずうまい」
シャールが3杯目をおかわりした。
「壁を直す前に腹を満たす。修繕の基本だ」
「修繕の基本ではないだろう」
「俺の基本だ」
クロードが帳簿を片手に食べていた。
「ランベルト殿。冬大根の注文が20件に達しました。春の作付け計画を立てましょう」
「飯を食いながら商談するな」
「食事と商談を同時にするのは商人の基本です」
「基本が多すぎる。全員、基本が違う」
ファインが静かに食べていた。
「ランベルト殿。この出汁は、前に農村で飲んだものと同じか」
「7回目だ」
「何がだ」
「その質問を受けるのが7回目だ。答えは毎回同じだ。同じ出汁だ」
「8回目に聞いたら違う答えが出るかもしれない」
「出ない」
麻衣が令嬢の声で言った。
「ランベルト殿。炒め物、大変美味しゅうございます」
「ありがとうございます。リリア殿」
(麻衣の目が「お兄ちゃん最高」と言っている。令嬢の仮面の下で。読める。29年間の)
マリアが隣のクラスメイトと話していた。
「この煮物、料理教室で教わったやつだ。でも先生のほうが美味しい」
「当然だ。経験が違う」
「先生って呼ばれてますよ、ランベルトさん」
フィオナが言った。
「先生。肩書がまた増えましたね」
「数えるな」
「数えます。護衛、料理人、大根農家、外部講師、営業マン、門番、先生。7つです」
「多すぎる」
「でも、全部あなたですよ。前にレオン殿下に言ったじゃないですか。『全部が俺だ』って」
(全部が俺だ。レオンの問いに答えた言葉。選ばないと。全部が自分だと)
トーマスが端の席で食べていた。門衛が貴族の食卓にいる。王太子の隣で。
「ヴェルツ殿。門衛が呼ばれるとは思いませんでした」
「トーマスがいないと、門前弁当が始まらない。最初に味方になってくれた人だ」
「味方。……ありがたいですな」
「こちらこそだ」
レオンがトーマスに言った。
「門衛殿。良い仕事をしているな」
「殿下。恐縮でございます」
「恐縮するな。この男の味方になるのは、良い判断だ」
(レオンが門衛に声をかけている。王太子が門衛に。この食卓は身分の序列がめちゃくちゃだ)
*
午後。全員が帰った後。
食器を洗った。12枚。フィオナが拭いた。
12枚を棚に戻した。18枚の空きスペース。
「ランベルトさん」
「何だ」
「今日、12枚でしたね」
「ああ」
「最初は2枚だった。王都に来てから」
「ああ」
「農村では4枚だった。エマさんと」
「ああ」
「今日、12枚。……増えましたね」
「増えた。想定以上に」
「想定以上。……営業計画では何枚でしたか」
「……計画はなかった。計画できない成長だ」
「計画できない成長は、良い成長ですよね」
「営業では、計画できない成長は危険信号だ。管理が追いつかない」
「食器の管理は追いついてますか」
「……追いついている。30枚買ったから」
「じゃあ大丈夫ですね」
「大丈夫か。……30枚で足りるか」
「足りなくなったら、また買い足しましょう」
「……ああ」
(また買い足す。器はいくらあっても足りない。人が増えるから)
(しかし、足りないということは、来る人がいるということだ。来る人がいるということは、ここが「場所」になっているということだ)
「フィオナ」
「はい」
「王都に来て、2ヶ月だ」
「はい」
「ここは、帰る場所になったか」
「最初の夜に、なりましたよ。あなたが料理を作った瞬間に」
「早いな」
「早いですよ。遅いのはあなたです」
「……俺は」
「あなたは」
「……ここが、帰る場所になった。たぶん。農村だけでなく。ここも」
「たぶん」
「たぶんだ。確信は」
「確信はなくていいですよ。たぶんで。前にも言いましたよね」
「言った」
「じゃあ、たぶんで大丈夫です」
窓の外に、王都の冬の夜。
明かりが多い。しかし、この台所の明かりだけは、農村と同じ温かさだ。
(ここが帰る場所になった。農村と、王都。2つの帰る場所を持つ男。没落貴族。護衛。料理人。大根農家。外部講師。営業マン。門番。先生)
(全部が俺だ。そして、全部の場所に、同じ出汁がある)




