第九十一話「器が足りない」
貴族院の翌日。
朝、台所に立って弁当を作っていたら、玄関が鳴った。
シャールだった。
「おう。聞いたぞ。貴族院でミリアーデを黙らせたんだって?」
「黙らせたわけではない。答弁しただけだ」
「答弁で黙らせたんだろ。すげえな。……飯食わせてくれ」
「……朝7時だぞ」
「朝飯だ。壁を直しに来た。朝飯を食べてから直す」
(壁はもう全部直したはずだ。何を直すのだ)
「シャール。直す壁はもうないだろう」
「ある。裏庭の塀が少し傾いている」
「塀。……塀は壁か」
「壁の一種だ」
(壁の一種。シャールの中では、垂直に立っているものは全て壁らしい)
3人分の朝飯を作った。
*
シャールが裏庭で塀を直していたら、クロードが来た。
「ランベルト殿。昨日の貴族院の件で、ご報告が」
「何だ」
「ミリアーデ伯爵家の信用が、商人の間で急落しています。貴族院で大根貴族に論破されたという話が広まって」
「論破はしていない」
「商人の間では論破と呼ばれています。『大根で伯爵を倒した男』と」
「大根で倒してはいない」
「伝説は事実より面白いほうが広まるのです。……で、大根の追加注文が来ています。15件」
「15件」
「はい。大根の需要が、貴族院をきっかけに爆発しました」
(大根の需要が爆発した。貴族院で答弁したら大根が売れた。因果関係がおかしい)
「エマに連絡しなければ」
「もう連絡しました」
「先にしたのか」
「商売は時間が命です」
(クロードがまたエマに直接連絡した。エマとクロードの大根ラインが確立されている)
*
昼。レオンが来た。
前触れなし。王太子が前触れなしで来る。
「ランベルト。昨日はよくやった」
「ありがとうございます」
「飯を食わせてくれ」
「……殿下も飯ですか」
「飯だ。シャールが朝飯を食べたと聞いた。不公平だろう」
「不公平。……王太子が没落貴族の飯の公平性を言うのですか」
「言う。大根の煮物を出してくれ。冬大根がいいと聞いた」
(冬大根がいい、と聞いた。誰から聞いたのだ。情報の出所がわからない)
4人分の昼飯を作った。俺、フィオナ、レオン、シャール。クロードはいつの間にかいなくなっていた。商談があるらしい。
食卓に4枚の皿。
「……やはりうまい」
「ありがとうございます」
「シャール。お前も食べろ」
「食べてる。3杯目だ」
「3杯目か。……俺は2杯目だ。負けたな」
「殿下に勝つのは恐縮だが、腹の容量は負けない」
(王太子と騎士が、没落貴族の食卓で大根の煮物のおかわり競争をしている。この国の上層部は大丈夫なのか)
*
午後。ファインが来た。
麻衣を連れていた。
「ランベルト殿。昨日の件、改めて礼を言いに来た」
「ファイン殿。わざわざ」
「リリアも来たがっていた。短時間だが」
麻衣がいた。令嬢の正装。完璧な姿勢。
「ランベルト殿。お世話になっております」
「こちらこそ。お元気そうで何よりです」
(麻衣がいる。ファインと一緒に。令嬢の仮面をかぶって。しかし、目が「お兄ちゃんすごいじゃん」と言っている。29年間見てきた目だ。読める)
フィオナが言った。
「リリア様。お久しぶりです」
「フィオナ様。お元気ですか」
「元気です。ランベルトさんの料理が美味しいので」
「存じております。お味は、相変わらず」
「相変わらずです。……リリア様も、いかがですか。今日は冬大根の煮物です」
「いただきます」
6人分を盛った。俺、フィオナ、レオン、シャール、ファイン、麻衣。
食卓に6枚の皿。
(6枚。10枚買った皿のうち6枚を使った。残り4枚)
全員が食べた。
ファインが言った。
「ランベルト殿。この出汁は農村のものと同じか」
「同じだ」
「場所が変わっても味は変わらない。お前はそう言っていたな」
「言いました」
「嘘ではなかったな」
「嘘はつかない。……営業マンは嘘をつかない」
「営業マンは嘘をつくだろう」
「……つくこともある。しかし、味に関しては嘘をつかない」
レオンが言った。
「ランベルト。クロードはどこに行った」
「商談です」
「商談か。……あいつも忙しいな」
「クロードがいたら7人だった」
「7人。……この食卓は何人まで入るんだ」
「10人分の皿を買った。しかし、今日6人で、クロードがいたら7人。この調子でいくと、足りなくなる」
シャールが言った。
「テーブルを広くしよう。俺が作る」
「テーブルを作るのか」
「壁を直すのと同じだ。木材があれば作れる」
「壁とテーブルは違うだろう」
「平らなものは全部同じだ」
(平らなものは全部同じ。シャールの建築哲学は独特すぎる)
フィオナが笑った。
「ランベルトさん。食器、もっと買いましょうか」
「何枚だ」
「20枚」
「20枚。……多くないか」
「足りないよりいいって、言ってましたよね」
「言った。営業は予備を持つ」
「営業の理論で食器を買い足すんですね」
「買い足す。20枚」
麻衣が令嬢の声で言った。
「ランベルト殿。20枚の食器が埋まる日が来るといいですね」
(20枚が埋まる日。何人来れば20枚が埋まるのだ。今日のメンバーに加えて、クロードが来て7人。エマが来たら8人。マリアが来たら9人。トーマスが来たら10人。料理教室の生徒が来たら……)
(……足りない。20枚でも足りないかもしれない)
麻衣の目が、令嬢の仮面の下で笑っていた。
(お前の目が「でしょ」と言っている。29年間の観察データで、読める)
*
夕方。全員が帰った。
食器を洗った。6枚。フィオナが拭いた。
「今日、にぎやかでしたね」
「にぎやかだった」
「エマさんがいたら、ニコニコしてたでしょうね」
「ああ。ニコニコしていただろう」
「……ランベルトさん」
「何だ」
「あなたの食卓、大きくなりましたね」
「ああ。シャールがテーブルを作ると言っている」
「テーブルじゃなくて。……人が、です」
「……ああ。人が増えた」
「1枚から始まったんですよね。農村で」
「ああ。1枚から」
「今日、6枚でした。20枚買い足します」
「ああ」
「全部埋まりますよ。いつか」
「いつか」
「はい。いつかです」
(いつか。フィオナの「いつか」は、3回目ではない。カウントの外にある「いつか」だ)
食器を棚に戻した。4枚の空きスペース。
(明日、20枚買いに行く)
(足りなくなったら、また買い足す)
(器は、いくらあっても足りない。人が増えるから。増え続けるから)
(それは、良いことだ。たぶん)




