第八十八話「出汁の答え」
翌日。
朝、台所で弁当を作りながら考えた。
(麻衣の分析。ミリアーデの目的は、フィオナを俺から引き離すこと。俺の周りの人脈を削ぐこと)
(対策は、麻衣が書いた通り。内と外の挟撃。ファインが外交で動き、クロードが情報を集め、俺が門番をする)
(しかし、それだけでは足りない。婚約の打診は月4件のペースで来ている。1件ずつ断っても、新しいのが来る。もぐら叩きだ)
(根本的な解決策が必要だ)
(営業では、価格競争に巻き込まれたとき、価格で戦わない。品質で差別化する。「うちの商品は他では手に入りません」と言えるようにする)
(フィオナの婚約も同じだ。「他の家では手に入らないもの」があれば、婚約の打診自体が無意味になる)
(他の家では手に入らないもの)
握り飯を握った。三角。塩加減。大根の漬物。
(……これだ)
*
門の前。昼。
今日は14人になった。2クラス分の生徒が集まっている。
フィオナが隣に座った。
「ランベルトさん。今日、提案があります」
「何だ」
「学園の食堂を借りて、大根の料理教室をやりませんか」
「料理教室」
「はい。私が企画して、あなたが講師。学園の許可は取れると思います。マリアさんが学園長に掛け合ってくれるって」
(料理教室。学園で。俺が講師)
「護衛が講師をするのは規則に反しないか」
「護衛としてではなく、外部講師として。学園には料理の実習もあるので、特別講師として招聘できるそうです」
「外部講師。……大根貴族が外部講師」
「大根貴族だから外部講師なんですよ。大根の専門家は他にいないですから」
(大根の専門家。確かに、王都で大根の調理法を体系的に教えられる人間は俺しかいない。ニッチ市場の独占。営業でいう、ブルーオーシャン戦略だ)
「……やるか」
「やりましょう。……あ、でも一つ条件があります」
「何だ」
「料理教室の間、私も生徒として参加します」
「お前は俺の料理を毎日食べているだろう」
「食べてますけど、教わるのは別です。ちゃんと教わりたいんです。3ミリの切り方とか、出汁の取り方とか」
「毎日見ているだろう」
「見てるのと教わるのは違います。見てるだけだと、なぜそうするのかがわからないんです」
(なぜそうするのか。フィオナは理由を知りたがっている。料理の理由を。出汁の温度管理の理由を。塩加減の理由を)
「……わかった。教える」
「ありがとうございます。……あ、これはカウントに入れないでくださいね。教えてもらうのは当然のことなので」
*
料理教室の企画書を書いた。
(企画書。前世で何百枚書いたかわからない。しかし、大根の料理教室の企画書は初めてだ)
タイトル:「ヴェルツ家の大根料理 ―― 基本の出汁から応用まで」
対象:王立学園の生徒(希望者)
内容:出汁の取り方。根菜の切り方。味付けの基本。保存食の作り方。
講師:ランベルト・ヴェルツ(外部特別講師)
(外部特別講師。没落貴族が王立学園の講師。前世でも、こんな肩書はなかった)
マリアが学園長に企画書を持って行った。翌日、許可が出た。
「許可出ましたよ。学園長、『辺境の農業技術を学ぶ機会は貴重だ』って」
「農業技術。……料理教室だが」
「農業と料理は繋がってますから。学園長は理解のある方なんです」
(理解がある。あるいは、レオンの名前が効いたか。どちらにせよ、料理教室は開催できることになった)
*
初回の料理教室。
学園の食堂を借りた。参加者は12人。門前弁当の常連たちが中心だが、知らない顔も3人いた。
「今日は、出汁の取り方を教える」
12人が俺を見た。没落貴族が、王都の貴族の子弟に出汁の取り方を教えている。
(この光景は、前世の営業研修に似ている。新入社員に飛び込み営業のコツを教えたときの感覚だ。ただし、教える内容が営業ではなく出汁だ)
「出汁の基本は温度管理だ。素材を水に入れて、弱火で30分。沸騰させない。沸騰させると、雑味が出る」
「30分。長いですね」
「長い。しかし、待つことが出汁の本質だ。急かすと味が逃げる」
「営業と同じですか」
マリアが聞いた。門前弁当で営業の話を何度も聞いているから、生徒たちにも浸透している。
「営業と同じだ。相手を急かすと、契約が逃げる。出汁も同じだ」
12人が笑った。
出汁ができた。全員で味見した。
「……美味しい」
「これが出汁か」
「今まで飲んでたスープと全然違う」
(反応が良い。営業のデモンストレーションと同じだ。実物を見せれば、言葉より説得力がある)
フィオナが隣で味見していた。
「……これ、いつも飲んでる味ですね」
「同じだ。同じ出汁だ」
「でも、自分で取ると、違う味に感じます」
「自分で作ると、味がわかるようになる。それが料理の本質だ」
*
夕方。帰宅。
料理教室の後で、少し疲れていた。しかし、良い疲れだった。
台所に立った。夕飯を作った。2人分。
今日はシンプルに。出汁の味噌汁と、焼き魚と、漬物。
「今日の料理教室、楽しかったです」
「楽しかったか」
「はい。あなたが教えてる姿、初めて見ました」
「門前弁当は毎日見ているだろう」
「見てますけど、教えてるのは違います。教えてるとき、あなた、営業スマイルじゃなかったですよ」
「……営業スマイルではなかった」
「はい。普通の顔でした。真剣で、でも力が抜けてて。……農村で畑にいるときの顔に似てました」
(畑にいるときの顔。大根に水をやっているときの顔。力が抜けている。営業スマイルではない)
「料理を教えているとき、俺は営業をしていない」
「してないですね」
「料理は営業ではない。料理は……料理だ」
「そうですよ。やっと気づきましたか」
(やっと気づいた。料理は営業ではない。出汁は取引ではない。食器を洗うのは経費精算ではない。全部、生活だ)
「フィオナ」
「はい」
「婚約の打診が何件来ても、俺は断り続ける」
「知ってます」
「知っているか」
「知ってます。あなたは断ります。私が断りたいから、あなたが断る。それだけです」
「……ああ。それだけだ」
「それだけなのに、なんで出汁が濃いんですか」
「……濃いか」
「濃いです。今日の味噌汁、いつもより出汁が効いてます。考えごとしてますよね」
「……ああ。考えていた」
「何を」
「……出汁のことを」
「出汁のことを考えながら出汁を取ると、出汁が濃くなるんですか」
「……たぶん。無意識に、丁寧に取ってしまうのだろう」
「丁寧に取った出汁は、美味しいですよ。考えごとの出汁、悪くないです」
(考えごとの出汁。俺の思考が出汁に出ている。フィオナはそれを味で読んでいる)
(答えは出汁の中にある。護衛でも営業でもない場所に。台所に。食卓に。2枚の皿の間に)
食器を洗った。2枚。フィオナが拭いた。
おやすみを言った。
部屋に戻った。
窓の外に、王都の夜。
(婚約の打診は続くだろう。ミリアーデは裏で動き続けるだろう。レイモンドの次が来るだろう)
(しかし、俺には出汁がある。料理がある。門前弁当がある。料理教室がある)
(大根貴族は、大根で戦う。剣ではなく。政治ではなく。出汁で)
(それが、俺の答えだ)




