第八十六話「大根貴族の交渉術」
レイモンド伯爵家への返答を書いた。
書斎で、便箋を広げた。
(断りの手紙。前世では何通書いただろう。「ご提案いただきありがとうございます。誠に恐縮ですが、今回は見送らせていただきます」。あの定型文を何百回書いたか)
しかし、この世界の断りの手紙は、前世とは文体が違う。
フィオナが横で見ていた。
「何を書いてるんですか」
「レイモンド伯爵家への返答だ。婚約の件を正式に断る」
「あ、あの人たちへの。……何て書くんですか」
「ビジネスライクに書く」
「ビジネスライクって」
「丁寧に。しかし、誤解の余地がないように。断りの手紙で一番重要なのは、相手に『まだ可能性がある』と思わせないことだ」
「営業の知識ですか」
「営業の知識だ。断るときに曖昧にすると、相手は何度も来る。明確に断れば、1回で済む」
書いた。
「レイモンド伯爵閣下。先日のお申し出について、フィオナ・エルスト殿の護衛を務めるランベルト・ヴェルツより正式にご返答申し上げます。フィオナ殿は現在、学業に専念されており、婚約のご検討は時期尚早と存じます。なお、本件についてはレオン殿下にも報告済みであり、殿下のご判断も同様です。今後のお付き合いにつきましては、別途ご相談いただければ幸いです」
フィオナが読んだ。
「……これ、丁寧ですけど、完全に壁を作ってますよね」
「壁を作っている。しかし、礼儀は保っている。相手の面子を潰さず、しかし入り口を塞ぐ。営業の断り方の基本だ」
「レオン殿下の名前を出してますね」
「権威を借りる。個人の判断ではなく、上位権限者の判断であることを示す。これで相手は再交渉しにくくなる」
「……あなた、こういうの得意ですよね」
「得意ではない。慣れているだけだ」
手紙を封じた。ルーシェ家の使者経由で送る。ファインに頼んだ。
*
午後。クロードが来た。
居間でお茶を出した。
「ランベルト殿。レイモンド伯爵家の件、聞きました」
「もう聞いたのか」
「商人は耳が早いので。……一つ、お伝えしたいことがあります」
「何だ」
「レイモンド伯爵家とミリアーデ伯爵家の間に、最近、資金の流れがあります」
「……資金の流れ」
「ミリアーデ伯爵家は、先日の件で、ルーシェ家に書面を入れて後退しました。しかし、財政難は解消していません。鉱山の枯渇は続いている」
「ミリアーデが、レイモンドに資金を流している。その見返りは」
「推測ですが、ミリアーデが直接手を出せない案件を、レイモンドに代行させている可能性があります」
「つまり、フィオナの婚約は」
「レイモンド伯爵の単独判断ではなく、ミリアーデが裏で糸を引いている可能性がある、ということです」
(ミリアーデ。また出てきた。リリアへの脅威は排除したが、今度はフィオナを狙っている。しかし、直接ではなくレイモンドを使っている)
「クロード。この情報の確度は」
「7割です。資金の流れは帳簿で確認できます。しかし、目的が婚約の代行かどうかは推測です」
「7割。……十分だ。7割で動くのは営業の常識だ」
「何をされますか」
「ファインに伝える。ミリアーデとレイモンドの繋がりを。ファインはこういう情報を活かすのが上手い」
「ファイン殿に。……なるほど。ルーシェ家の外交力で、裏の構造を崩す」
「ああ。俺は表で門番をやる。ファインは裏で構造を潰す。クロードは情報を集める」
「役割分担ですね」
「チーム営業だ」
クロードが少しだけ笑った。
「ランベルト殿。お茶が美味しいです」
「ありがとう」
「大根の漬物もいただけますか」
「あるぞ。持って帰るか」
「5本ください。商談の手土産にします」
「大根を商談の手土産に使うな」
「使います。ヴェルツ家の大根は、もう王都の商人の間では信用の証です」
(大根が信用の証。半年前は雑草と同じ扱いだった。変われば変わるものだ)
*
夕方。ファインに手紙を書いた。ミリアーデとレイモンドの繋がりについて。クロードの情報を添えて。
ファインからの返事は翌日届いた。短かった。
「承知した。対処する」
3行目に追伸があった。
「リリアが、兄に手紙を出したいと言っている。許可する」
(麻衣から手紙が来る。久しぶりだ)
*
夜。夕飯を作った。
今日は新しい調理法を試した。大根を薄く切って、干し肉と一緒に蒸す。蒸気で大根が透き通るまで火を入れる。
「……これ、すごいですね。大根が透明になってる」
「蒸すと繊維が柔らかくなる。味が染み込みやすくなる」
「今まで食べた大根で一番美味しいかもしれないです」
「一番か」
「一番です。……あ、でも、農村の大根味噌汁も捨てがたい。甲乙つけがたいです」
「甲乙つけなくていい。全部俺の大根だ」
「そうですね。全部あなたの大根ですね」
食器を洗った。2枚。
(ミリアーデが裏で動いている。レイモンドは駒だ。フィオナを狙う手は、まだ続く)
(しかし、今夜の大根は美味かった。明日も美味い大根を作る。それが俺の仕事だ。護衛の仕事ではない。俺の仕事だ)




