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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
IV「王都の営業マン」

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第八十六話「大根貴族の交渉術」



 レイモンド伯爵家への返答を書いた。


 書斎で、便箋を広げた。


 (断りの手紙。前世では何通書いただろう。「ご提案いただきありがとうございます。誠に恐縮ですが、今回は見送らせていただきます」。あの定型文を何百回書いたか)


 しかし、この世界の断りの手紙は、前世とは文体が違う。


 フィオナが横で見ていた。


「何を書いてるんですか」


「レイモンド伯爵家への返答だ。婚約の件を正式に断る」


「あ、あの人たちへの。……何て書くんですか」


「ビジネスライクに書く」


「ビジネスライクって」


「丁寧に。しかし、誤解の余地がないように。断りの手紙で一番重要なのは、相手に『まだ可能性がある』と思わせないことだ」


「営業の知識ですか」


「営業の知識だ。断るときに曖昧にすると、相手は何度も来る。明確に断れば、1回で済む」


 書いた。


「レイモンド伯爵閣下。先日のお申し出について、フィオナ・エルスト殿の護衛を務めるランベルト・ヴェルツより正式にご返答申し上げます。フィオナ殿は現在、学業に専念されており、婚約のご検討は時期尚早と存じます。なお、本件についてはレオン殿下にも報告済みであり、殿下のご判断も同様です。今後のお付き合いにつきましては、別途ご相談いただければ幸いです」


 フィオナが読んだ。


「……これ、丁寧ですけど、完全に壁を作ってますよね」


「壁を作っている。しかし、礼儀は保っている。相手の面子を潰さず、しかし入り口を塞ぐ。営業の断り方の基本だ」


「レオン殿下の名前を出してますね」


「権威を借りる。個人の判断ではなく、上位権限者の判断であることを示す。これで相手は再交渉しにくくなる」


「……あなた、こういうの得意ですよね」


「得意ではない。慣れているだけだ」


 手紙を封じた。ルーシェ家の使者経由で送る。ファインに頼んだ。



 *



 午後。クロードが来た。


 居間でお茶を出した。


「ランベルト殿。レイモンド伯爵家の件、聞きました」


「もう聞いたのか」


「商人は耳が早いので。……一つ、お伝えしたいことがあります」


「何だ」


「レイモンド伯爵家とミリアーデ伯爵家の間に、最近、資金の流れがあります」


「……資金の流れ」


「ミリアーデ伯爵家は、先日の件で、ルーシェ家に書面を入れて後退しました。しかし、財政難は解消していません。鉱山の枯渇は続いている」


「ミリアーデが、レイモンドに資金を流している。その見返りは」


「推測ですが、ミリアーデが直接手を出せない案件を、レイモンドに代行させている可能性があります」


「つまり、フィオナの婚約は」


「レイモンド伯爵の単独判断ではなく、ミリアーデが裏で糸を引いている可能性がある、ということです」


 (ミリアーデ。また出てきた。リリアへの脅威は排除したが、今度はフィオナを狙っている。しかし、直接ではなくレイモンドを使っている)


「クロード。この情報の確度は」


「7割です。資金の流れは帳簿で確認できます。しかし、目的が婚約の代行かどうかは推測です」


「7割。……十分だ。7割で動くのは営業の常識だ」


「何をされますか」


「ファインに伝える。ミリアーデとレイモンドの繋がりを。ファインはこういう情報を活かすのが上手い」


「ファイン殿に。……なるほど。ルーシェ家の外交力で、裏の構造を崩す」


「ああ。俺は表で門番をやる。ファインは裏で構造を潰す。クロードは情報を集める」


「役割分担ですね」


「チーム営業だ」


 クロードが少しだけ笑った。


「ランベルト殿。お茶が美味しいです」


「ありがとう」


「大根の漬物もいただけますか」


「あるぞ。持って帰るか」


「5本ください。商談の手土産にします」


「大根を商談の手土産に使うな」


「使います。ヴェルツ家の大根は、もう王都の商人の間では信用の証です」


 (大根が信用の証。半年前は雑草と同じ扱いだった。変われば変わるものだ)



 *



 夕方。ファインに手紙を書いた。ミリアーデとレイモンドの繋がりについて。クロードの情報を添えて。


 ファインからの返事は翌日届いた。短かった。


「承知した。対処する」


 3行目に追伸があった。


「リリアが、兄に手紙を出したいと言っている。許可する」


 (麻衣から手紙が来る。久しぶりだ)



 *



 夜。夕飯を作った。


 今日は新しい調理法を試した。大根を薄く切って、干し肉と一緒に蒸す。蒸気で大根が透き通るまで火を入れる。


「……これ、すごいですね。大根が透明になってる」


「蒸すと繊維が柔らかくなる。味が染み込みやすくなる」


「今まで食べた大根で一番美味しいかもしれないです」


「一番か」


「一番です。……あ、でも、農村の大根味噌汁も捨てがたい。甲乙つけがたいです」


「甲乙つけなくていい。全部俺の大根だ」


「そうですね。全部あなたの大根ですね」


 食器を洗った。2枚。


 (ミリアーデが裏で動いている。レイモンドは駒だ。フィオナを狙う手は、まだ続く)


 (しかし、今夜の大根は美味かった。明日も美味い大根を作る。それが俺の仕事だ。護衛の仕事ではない。俺の仕事だ)



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