第八十五話「護衛の領分」
翌日、レオンに報告に行った。
王城の一室。レオンが書類に囲まれていた。王太子は忙しい。
「レイモンド伯爵家から婚約の打診があった。フィオナに対して」
レオンの手が止まった。
「レイモンドか。……デュランの父親だな」
「ああ。使者が別邸に来た。俺を通じて反応を探りに来た形だ」
「お前はどう答えた」
「俺の判断で回答できる範囲を超えていると答えた。殿下に相談すべき案件だと」
「正しい。……で、フィオナは何と言っている」
「即答で断った。今の生活が変わるからだと」
レオンが少しだけ笑った。
「即答か。……フィオナらしいな」
「殿下としては」
「断る。レイモンド伯爵家にフィオナを渡す理由はない。しかし、問題はレイモンドだけではないことだ」
「他にもあるのですか」
「ある。フィオナは王立学園の特待生であり、光の魔法の使い手だ。政治的な価値が高い。婚約の打診は、これからも来る」
(これからも来る。レイモンドは最初の一手に過ぎない)
「ランベルト。お前に聞く」
「何でしょう」
「お前は護衛だ。フィオナの体の安全を守る任務だ。しかし、今回の件は、体の安全ではなく、政治的な安全の問題だ。護衛の領分を超えている」
「……はい」
「護衛の領分を超えたとき、お前はどうする」
(どうする。護衛としては「殿下にお任せします」が正解だ。しかし)
「……殿下にお任せします。ただ」
「ただ」
「フィオナが望まない婚約が迫ったとき、俺は黙っていられないかもしれません」
レオンが俺を見た。
「黙っていられない。……護衛として、か」
「……護衛として」
「護衛として、か。それとも」
レオンは言いかけて、止めた。
「いや。今はいい。お前が護衛として黙っていられないなら、護衛の領分を広げてやる」
「領分を広げる」
「お前の任務は、フィオナの体の安全だけでなく、フィオナの生活の安全も含む。婚約の打診は、生活の安全に関わる案件だ。お前が窓口として対応してよい」
(窓口。婚約の打診の窓口。つまり、フィオナの婚約に関する全ての話が、まず俺を通ることになる)
「……それは護衛の範囲ですか」
「護衛の範囲にした。今、決めた」
「決めた」
「王太子の権限で、決めた」
(王太子の権限で、護衛の領分を拡大した。レオンは俺に、フィオナの婚約の門番をやらせようとしている)
「殿下。なぜ俺なのですか」
「お前以外に誰がいる。前にも言っただろう」
「前にも言いました」
「同じ質問を何度もするな。答えは変わらない」
(答えは変わらない。レオンにとって、フィオナの護衛は俺しかいない。なぜなのかは、まだ聞けていない)
*
帰宅。
フィオナが台所で夕飯の準備をしていた。
「おかえりなさい」
「ただいま。レオン殿下に報告した」
「何て」
「断ると。レイモンドの件は却下。しかし、今後も婚約の打診が来る可能性があると」
「……来るんですか。まだ」
「来る。お前は政治的に価値が高い」
「政治的に価値が高い。……嫌な言い方ですね」
「事実だ。光の魔法が使えて、王太子が護衛をつけている。貴族から見れば、手に入れたい人材だ」
「人材」
「……すまない。商品みたいな言い方をした」
「してますね。私は大根じゃないですよ」
「わかっている」
「わかってないですよ。大根なら出荷できますけど、私は出荷できません」
(出荷できない。確かに。フィオナは大根ではない。出荷も取引もできない。しかし、貴族の世界では、令嬢の婚約は出荷に近い構造を持っている。本人の意思とは関係なく)
「フィオナ。一つ伝えておく」
「何ですか」
「レオン殿下が、俺の護衛の範囲を広げた。お前の婚約に関する打診は、全て俺が窓口として対応する」
「……窓口」
「ああ。婚約の話が来たら、まず俺を通す。俺が判断して、殿下に上げるか、直接断るか決める」
「……つまり、婚約の門番ですか」
「門番だ」
「門衛のトーマスさんみたいですね」
「トーマスは学園の門を守っている。俺はお前の婚約の門を守る」
「……門が多いですね、あなた」
(門が多い。学園の門。婚約の門。いくつ守ればいいのだ)
*
夕飯を食べた。2人分。
根菜の煮込み。焼き魚。漬物。
食べながら、考えていた。
(護衛の領分)
(体の安全。生活の安全。婚約の門番)
(全部、護衛だ。護衛の枠の中に入っている。レオンが枠を広げたから)
(しかし、枠を広げた先に何がある)
(護衛が、護衛対象の婚約を管理する。それは護衛か。それとも、別の何かか)
「ランベルトさん」
「何だ」
「考えごとしてますね」
「ああ」
「婚約の話ですか」
「ああ」
「……私のことで、そんなに考えなくていいですよ」
「考える。護衛の仕事だ」
「護衛の仕事に、私の婚約は含まれてませんでしたよね。今日増えたんですよね」
「今日増えた。レオン殿下の権限で」
「つまり、昨日までのあなたなら、考えなくてよかった」
「……ああ」
「でも、昨日も考えてましたよね」
(……昨日も考えていた。レイモンドの使者が去った後、寝る前に考えていた。フィオナの婚約。護衛の領分に入っていなかったのに、考えていた)
「……考えていた」
「でしょう。護衛の領分じゃなくても、考えてたんですよね」
「……ああ」
「それは、護衛じゃなくて、何なんですかね」
(何なのか。護衛ではない。営業マンでもない。料理人でもない。大根農家でもない。何だ)
「……わからない」
「わからなくていいですよ。……でも、考えてくれていることは、わかります」
「わかるか」
「わかります。あなた、考えごとしてるとき、出汁が濃くなるんですよ」
(出汁が濃くなる。考えごとをすると。無意識に。味に出ている)
「……気づいていたのか」
「気づいてます。最初の頃は気づかなかったですけど、最近はわかるようになりました」
「何がわかる」
「あなたが何を考えてるかまではわかりません。でも、考えてることは出汁でわかります」
(出汁で。フィオナは俺の思考を出汁で読んでいる。クロードは帳簿で読み、ファインは目で読み、フィオナは出汁で読む)
「……恐ろしい女だな」
「恐ろしくないですよ。一緒にご飯を食べてるだけですよ」
食器を洗った。2枚。フィオナが拭いた。
棚に戻した。8枚の空きスペース。
(護衛の領分は広がった。しかし、問題は領分の外にある。護衛ではない場所で、俺がフィオナのことを考えていること。それは何だ)
(名前をつけたら、糸が太くなる。消失のリスクが上がる。だから名前をつけない。つけないまま、出汁を取る)
窓の外に、王都の夜。
明かりが多い。しかし、隣の部屋の光だけは、農村と同じ温かさだった。




