第八十四話「招かれざる客」
昼食会の翌週。
門前弁当が12人になった。
「ランベルトさん。12人ですよ」
「撤退ラインを超えた」
「超えましたね。どうするんですか」
「……撤退ラインを引き上げる」
「引き上げるんですか」
「営業マンは、需要に応じて計画を修正する」
「握り飯48個」
「48個」
朝3時半起きになった。
*
午後。帰宅すると、玄関の前に見知らぬ馬車があった。
装飾が派手だった。金の装飾。家紋が入っている。見覚えのない紋章。
(……誰だ。レオンではない。シャールでもない。クロードでもない)
中に入った。
居間に、男が座っていた。40代。恰幅が良い。服が高価だ。使用人を2人連れている。
(……この男を知らない。しかし、紋章に見覚えがある。どこかで見た)
(……レイモンド家だ。茶会でデュランが着けていた紋章と同じ。薔薇と剣)
「ヴェルツ殿ですか」
「ああ。ランベルト・ヴェルツだ。どちらさまですか」
「レイモンド伯爵家の執事、ハインリヒと申します。伯爵閣下の使いで参りました」
(レイモンド伯爵家。デュランの父親の家。茶会で「格が釣り合わない」と言ったあの男の実家から使者が来た)
「お待ちください。お茶を入れます」
台所に行った。フィオナがいた。
「誰ですか」
「レイモンド伯爵家の使者だ。何の用かはまだ聞いていない」
「デュランさんの家ですよね。茶会で嫌なこと言った」
「ああ。しかし、使者が来たということは、正式な用件だ。聞くだけ聞く」
「……気をつけてくださいね」
「ああ。営業スマイルで対処する」
*
お茶を出した。
ハインリヒが一口飲んだ。目が少しだけ広がった。
「……良いお茶ですな」
「ありがとうございます。で、ご用件は」
「単刀直入に申し上げます。レイモンド伯爵閣下は、フィオナ・エルスト殿に関心をお持ちです」
(フィオナに関心。「関心」という言い方。商談の最初の一手と同じだ。相手の反応を見ている)
「関心とは」
「フィオナ殿は王立学園の特待生であり、光の魔法に秀でた方と伺っております。伯爵閣下は、そのような優秀な方を、レイモンド家に迎えたいとお考えです」
「迎えたい。……具体的には」
「婚約のお申し入れです」
(婚約)
手が止まった。茶碗を持つ手が止まった。
(営業スマイルを維持しろ。手が止まったことを悟られるな)
茶碗を置いた。自然に。
「フィオナ殿の婚約については、私の判断で回答できる範囲を超えています。フィオナ殿本人と、フィオナ殿の後見人であるレオン殿下にお伝えすべき案件です」
「もちろん。今日は打診です。ヴェルツ殿がフィオナ殿の護衛であり、日常的にお近くにいらっしゃると伺いましたので、まずはヴェルツ殿にお話をと思いまして」
(まず護衛に話を通す。根回しだ。営業で言えば、意思決定者に直接行く前に、現場の担当者を味方につけようとしている)
「ご丁寧にありがとうございます。しかし、私は護衛です。フィオナ殿の婚約に口を出す立場にはありません」
「もちろん。ただ、ヴェルツ殿のご意見も伺いたく」
「意見」
「フィオナ殿は、現在どのようなお考えでしょうか。婚約について、何かお話しされたことは」
(俺にフィオナの婚約観を聞いている。情報収集だ。フィオナが婚約に前向きか、消極的か。護衛なら知っているだろう、と踏んでいる)
「フィオナ殿の私的な考えについて、私からお伝えすることはできません。ご理解ください」
「……そうですか。残念です」
ハインリヒの目が少しだけ細くなった。想定内の回答だったのか、あるいは、断られたことに対する反応か。
「もう一つ。伯爵閣下は、ヴェルツ殿にもご興味をお持ちです」
「俺にですか」
「はい。昼食会での大根料理が話題になっているそうですね。辺境の農業技術をお持ちの貴族は珍しい。伯爵閣下は、農業振興にも関心がおありで」
(農業振興。大根を餌にしてきた。婚約の話とセットで大根の話。つまり、「フィオナを寄越せ。代わりに、大根のビジネスを支援してやる」という取引だ)
(営業マンとして、これは見抜ける。利益の交換を持ちかけている。しかし、フィオナは商品ではない)
「ありがたいお話ですが、農業については既にヴァンサン商会と取引がございます。新たなお取引については、慎重に検討させていただきます」
「ヴァンサン商会。クロード殿ですか。……なるほど」
ハインリヒが立ち上がった。
「本日は打診のみです。お返事は急ぎません。伯爵閣下にお伝えいたします」
「承知しました」
ハインリヒが去った。
馬車が門を出ていった。
座ったまま、しばらく動けなかった。
(婚約)
(フィオナの婚約)
(レイモンド伯爵家が、フィオナを嫁にほしいと言っている)
*
フィオナが台所から出てきた。
「終わりました?」
「ああ」
「何の話だったんですか」
「……お前に関する話だ」
「私に?」
「レイモンド伯爵家が、お前との婚約を打診してきた」
フィオナの顔が変わった。
「……婚約」
「ああ。正式な打診の前段階だ。俺を通して反応を見に来た」
「何て答えたんですか」
「俺の判断で回答できる範囲を超えていると伝えた。レオン殿下に相談する必要がある」
「……そうですか」
フィオナは少し黙った。
「ランベルトさん。私の意見は聞かないんですか」
「……聞くべきか」
「聞くべきでしょう。私のことなんですから」
「……そうだな。フィオナ、お前はどう思う」
「お断りします」
即答だった。
「即答か」
「即答です。迷う余地がありません」
(迷う余地がない。レオンに料理の感想を聞かれたときと同じ即答。フィオナは即答するとき、本気だ)
「理由は」
「理由はいくつかあります。でも、一番大きいのは」
「一番大きいのは」
「……今の生活が変わるからです」
(今の生活が変わる。朝起きて、握り飯を作って、門で待って、昼に一緒に食べて、帰って、夕飯を作って、おやすみと言う。その生活が変わる)
「それだけか」
「それだけです。……それだけじゃダメですか」
「……十分だ」
「じゃあ、お断りしてください。レオン殿下にも伝えてください」
「わかった。……ありがとう」
フィオナが少し首を傾げた。
「何に対してですか」
「即答してくれたことに対してだ」
「……カウントしますか」
「お前が決めろ」
「しません。これも普通のやつなので」
(普通。フィオナにとって、婚約を断ることは普通のことだ。普通に断って、普通に台所に戻る。この女は、本当に)




