第七十八話「大根貴族の評判」
3日目。
門の前に座る生活が定着した。門衛のおじさんとは名前で呼び合うようになった。トーマスという。
「おはよう、ヴェルツ殿。今日も一日中ですか」
「今日も一日中だ。トーマス殿」
「今日は天気が良い。日差しが強いから、木陰に座ったほうがいいですよ」
「ありがとう。そうする」
(門衛が味方になった。営業のSTEP 1完了。受付を味方にする)
木陰に座った。石段より座り心地が良い。
弁当を開けた。今日は根菜の漬物を挟んだ握り飯。変わり種だ。
トーマスに1つ渡した。
「今日はもらっていいのですか」
「ああ。仕事中でも食べられるだろう。片手で持てる」
「ありがたい。……うまいですな。この漬物は」
「自家製だ。大根の漬物」
「大根。……噂は本当だったんですね」
「噂」
「大根貴族、と呼ばれていますよ。学園の中で」
(大根貴族)
「……誰が最初に言った」
「さあ。しかし、昨日あたりから広まっています。『フィオナの護衛の没落貴族は、大根を育てている。門の前で大根の握り飯を食べている』と」
(大根の握り飯を食べていたのは昨日だ。1日で情報が回った。学園の情報伝達速度は、前世のSNSより速い)
「大根貴族か。……悪くないあだ名だな」
「……怒らないのですか」
「怒る理由がない。大根は事実だ。貴族も事実だ。大根貴族は事実の組み合わせだ」
「……変わった方ですな」
(変わっている。自分でもそう思う。しかし、前世の営業で学んだ。悪口に対する最良の対処は、受け入れることだ。受け入れた瞬間、悪口は効力を失う)
*
昼。フィオナが門に出てきた。
「ランベルトさん。聞きましたか」
「大根貴族か」
「知ってるんですか」
「トーマスに教えてもらった」
「トーマスって誰ですか」
「門衛だ」
「門衛と名前で呼び合ってるんですか。……3日で」
「営業は3日で関係を作る」
フィオナが隣に座った。今日もパンとチーズを持ってきた。
「大根貴族って、あなた怒ってないですよね」
「怒っていない」
「怒ったほうがいいですよ」
「なぜだ」
「バカにしてるんですよ。あなたのこと」
「バカにされているのはわかっている。しかし、バカにする側が負けていることを、俺は知っている」
「負けてる?」
「ああ。大根を食べたことがない人間が、大根を笑っている。食べたら笑えなくなる。営業でも同じだ。商品を知らない相手が商品を笑うことがある。試食させれば黙る」
「試食」
「ああ」
「……学園の人に大根を食べさせるんですか」
「いずれ。今はまだ早い。まず名前を覚えてもらう。次に大根を覚えてもらう。最後に味を覚えてもらう」
「3段階」
「営業の3段階だ。認知、関心、行動」
フィオナが少しだけ笑った。しかし、目は笑っていなかった。
「ランベルトさん。あなたは平気かもしれないですけど、私は平気じゃないです」
「何が」
「あなたがバカにされるのが。……私、教室で聞いたんです。『フィオナの護衛、大根貴族だって。没落貴族が護衛って、王太子殿下も人選ミスだね』って」
「……人選ミス」
「私、言い返しました。『あの人は、あなたたちより料理が上手で、農業ができて、交渉もできる。大根貴族で何が悪いんですか』って」
(フィオナが言い返した。俺のために。教室で)
「フィオナ。言い返さなくていい」
「言い返します。事実じゃないことを言われたら黙ってられません」
「事実じゃないのはどの部分だ」
「人選ミスの部分です。レオン殿下が選んだんです。ミスなわけないじゃないですか」
(フィオナはレオンの判断を信じている。そして、俺を信じている。その2つが組み合わさって、怒りになっている)
「……ありがとう。しかし、言い返すと立場が悪くなる。特待生は風当たりが強い。無駄な敵を作るな」
「無駄じゃないです。あなたを守るのは、無駄じゃないです」
(守る。フィオナが、俺を「守る」と言った。護衛の対象が護衛を守ろうとしている)
「……逆だろう。俺が護衛だ」
「護衛は体を守る仕事でしょう。私は名誉を守ります」
「……名誉を守る必要はない。大根貴族の名誉は最初から低い」
「低くないです。低いって言わないでください」
(フィオナが怒っている。俺のために。俺自身より、フィオナのほうが俺の名誉を大事にしている)
*
午後。学園の中庭で、フィオナが修行をしているらしい。俺は門の外だ。
馬車が止まった。見覚えがある。
クロードだった。
「ランベルト殿。門の前で何をしていますか」
「護衛だ」
「護衛が門の外にいるのですか」
「学園の規則で中に入れない」
「……なるほど。座って待っているのですか」
「ああ」
「大根貴族と呼ばれているそうですね」
「もう聞いたのか。早いな」
「商人は情報が早いので。……ランベルト殿。一つ、面白い情報があります」
「何だ」
「大根貴族という呼び名、学園の中では侮蔑ですが、商人の間では違う意味で広がっています」
「違う意味」
「『ヴェルツ家の大根を食べた人間は全員うまいと言う。しかもレオン殿下も認めた大根だ』という噂です。商人の間では、大根貴族は品質の保証として機能しています」
「……品質の保証」
「はい。侮蔑が宣伝になっています。大根の注文が増えました。3件の新規取引先の候補が5件になりました」
(侮蔑が宣伝になった。営業で言えば、悪評が逆にブランドになるパターンだ)
「5件」
「はい。エマ殿に収穫量の確認を取っています。冬大根の分も含めて」
「……エマに直接連絡を取ったのか」
「はい。商売に関しては、意思決定者と直接話すのが基本です」
(エマが意思決定者。俺の留守中にクロードとエマが大根の商談をしている。この構図はまずい。俺が戻ったら大根帝国ができている可能性がある)
「クロード。大根の話は帰ってからでいい」
「帰る予定はいつですか」
「学園の休暇ごとに農村に戻る」
「では、次の休暇に。大根の件、お待ちしています」
クロードは穏やかに笑って去っていった。
*
夕方。帰宅。夕飯を作った。
今日は少し手の込んだものを作った。王都の市場で手に入れた薬草の入ったスープ。根菜の炒め物。漬物。
フィオナが一口飲んだ。
「……このスープ、新しいですね」
「ああ。王都でしか手に入らない薬草を使った。体の疲れに効く」
「疲れてますか、私」
「修行の後は疲れるだろう。それに、言い返した後は気疲れもある」
「……バレてますね」
「バレている。声が少しだけ低かった。フィオナの声は、疲れると半音下がる」
「半音まで聞き分けてるんですか」
「営業マンは相手の声のトーンで体調を読む」
(フィオナの声のトーンを読んでいる。営業スキルだと言い張っているが、営業先の相手の声を半音単位で聞き分けたことは、前世でも一度もない)
「……ありがとうございます。このスープ」
「どういたしまして」
「あれ。カウントしないんですか」
「お前のありがとうは、お前のカウントだ。俺のとは別だ」
「前に言ってましたっけ、そんなこと」
「フィオナが屋上で言った。『私のありがとうは別です』と。同じルールを適用する」
「……覚えてるんですね。細かいところまで」
「営業マンは顧客の発言を記録する」
「私は顧客じゃないですけど」
「顧客ではない。……護衛対象だ」
「護衛対象」
「ああ」
「……それだけですか」
「……それだけだ。今は」
フィオナは少し黙って、スープを飲んだ。
「今は、っていうのは」
「今は、だ」
「……じゃあ、今はそれでいいです」
(今はそれでいい。フィオナは、「今は」を受け入れた。しかし、「今は」の後に何が来るかを、聞かなかった。聞かないことが、フィオナの優しさだ)
食器を洗った。2枚。




