第七十七話「学園の門」
朝、フィオナを学園に送った。
王立学園。白い石の壁。鉄の門。尖塔が3本。農村の屋敷が20個入る広さだ。
門の前で馬を降りた。
「ここからは入れないのか」
「護衛の方は門外で待機していただきます。学園の規則です」
門衛が言った。40代の男。制服を着ている。表情が硬い。
「承知した。ここで待つ」
「一日中ですか」
「一日中だ」
門衛が怪訝な顔をした。護衛が門前で一日中待つのは珍しいのだろう。
フィオナが門をくぐった。振り返った。
「ランベルトさん。本当にここで待ってるんですか」
「待つ。護衛だからな」
「お昼は」
「弁当がある」
「自分で作ったんですか」
「ああ。握り飯だ」
「……犬の散歩の人が、自分で弁当作って門の前で食べるの、かなり変ですよ」
「変ではない。効率的だ」
フィオナは少しだけ笑って、学園の中に消えていった。
門が閉じた。
俺は門の横の石段に座った。
*
9時。
門の前は静かだった。たまに馬車が通る。学園の使用人が出入りする。
握り飯を食べるには早い。何もすることがない。
(営業の待ち時間だ。前世でも、アポイントの1時間前に到着して、喫茶店で時間を潰すことがあった。あれと同じだ)
(ただし、喫茶店がない。コーヒーがない。スマホがない。何もない。門と石段と空だけだ)
門衛に話しかけた。
「すまない。いくつか聞いてもいいか」
「何でしょう」
「この学園の生徒数は」
「約200名です」
「200名。貴族の子弟が中心か」
「はい。一部、特待生がおります」
「フィオナ・エルストは特待生だな」
「はい。優秀な方です。……ところで、あなたはフィオナ殿の」
「護衛だ。王太子殿下の命令で」
「王太子殿下の」
門衛の態度が少し変わった。レオンの名前は効く。
「失礼ですが、お名前は」
「ランベルト・ヴェルツ」
「ヴェルツ……。辺境の」
「ああ。辺境の没落貴族だ」
門衛の目に、微妙な色が浮かんだ。没落貴族。辺境。護衛。情報が噛み合わない顔だ。
「……大変ですね。辺境から」
「大変ではない。大根を育てるよりは楽だ」
「大根」
「ああ。大根を育てていた。今は護衛だ」
門衛は何か言いたそうな顔をして、言わなかった。
*
11時。
学園の生徒が数人、門の外に出てきた。昼前の自由時間らしい。
俺を見た。
ひそひそ話が聞こえた。
「あの人、誰」
「さあ。門の前に座ってる。護衛じゃない?」
「護衛にしては貧相だね。服も地味だし」
「フィオナの護衛だって。辺境の没落貴族らしいよ」
「没落貴族が護衛? 変なの」
(変なの。確かに変だ。自分でも変だと思う)
生徒たちが通り過ぎた。
座ったまま、営業スマイルを維持した。
(前世の営業でも、待合室で他社の営業マンに見られることがあった。「あそこの会社の営業、ずっと座ってるよ」と。見られることに慣れている。座って待つのが仕事だ)
*
昼。
握り飯を食べた。門の前で。石段に座って。
三角の握り飯。1つだけ丸いの。麻衣はいないが、丸いのを入れる癖がついた。
門衛が見ていた。
「お弁当ですか」
「ああ。握り飯だ。食べるか」
「いえ、仕事中ですので」
「俺も仕事中だ」
「……それはそうですが」
門衛は断った。しかし、少しだけ表情が柔らかくなった。
(門衛と関係を作る。営業の基本。最初に接触する相手を味方にする。受付を味方にすれば、社長にも繋がる)
午後。
門が開いた。フィオナが出てきた。制服姿。手に何かを持っている。
「ランベルトさん。お昼、食べました?」
「食べた。握り飯」
「私も持ってきました。学食で買いました」
フィオナが紙袋を出した。中身はパンとチーズ。
「これ、あなたの分です」
「俺はもう食べた」
「知ってます。でも、門の前で一人で握り飯食べてるって聞いて」
「誰から聞いた」
「友達から。『門の前に変な人が座って握り飯食べてる』って」
(変な人。学園の中で、俺の情報が出回り始めている)
「いらないですか」
「……もらう。ありがとう」
「18回目です。学園初日に18回目、早いですね」
「パンをもらっただけだ」
「パンでもお茶でも握り飯でも、ありがとうはありがとうです。差別しません」
フィオナが隣に座った。石段の上で。
学園の生徒が何人か見ていた。フィオナが門の前の変な男の隣に座って、一緒に食事をしている。
(見られている。フィオナと一緒に門の前で食事をしている姿が、学園の中で噂になるだろう)
「フィオナ。中に戻ったほうがいい。見られている」
「見られてますね。知ってます」
「噂になる」
「なりますね。でも、お昼を一緒に食べちゃいけない決まりはないですよ。護衛と護衛対象ですし」
(護衛と護衛対象。その関係なら、一緒に食事をするのは不自然ではない。建前上は)
「……そうだな」
「それに、一人で握り飯食べてるより、二人のほうが美味しいでしょう」
「味は変わらない」
「変わりますよ。何回言ったら信じるんですか」
(何回言っても信じない。しかし、否定もできなくなっている)
*
夕方。学園が終わった。フィオナが出てきた。
一緒に帰った。歩いて。王都の街を。
「今日、どうだった」
「久しぶりの授業でした。遅れてる科目もありますけど、追いつけそうです」
「そうか」
「あと、みんなに聞かれました」
「何を」
「『門の前にいる人、誰?』って」
「何と答えた」
「『私の護衛です』って」
「それだけか」
「それだけです。……あ、あと『大根を育てている人です』とも言いました」
「言うな」
「なんでですか。事実ですよ」
「事実だが、大根の情報は不要だ」
「不要じゃないですよ。あなたの大根は美味しいんですから。むしろ宣伝です」
(宣伝。王立学園でヴェルツ家の大根を宣伝されている。クロードが聞いたら喜ぶだろうか。あるいは怒るだろうか)
*
帰宅。ヴェルツ家の別邸。
台所に立った。夕飯を作った。2人分。
根菜の煮込み。漬物。味噌汁。
新しい白い皿に盛った。2つ。
「いただきます」
「いただきます」
フィオナが一口食べた。
「……帰ってきた感じがします」
「帰ってきた。朝出て、夕方戻って、飯を食べる。それだけだ」
「それだけなのに、帰ってきた感じがするんですよ」
(帰ってきた感じ。毎日出て、毎日帰る。その繰り返しが、日常になる。日常になれば、ここが帰る場所になる)
「明日も同じか」
「同じです。朝送って、門で待って、昼に一緒に食べて、夕方帰る」
「……犬の散歩だな」
「犬の散歩ですね。でも、悪くないですよ」
「……ああ。悪くない」
食器を洗った。2枚。
(農村では4枚だった。ここでは2枚。しかし、棚には10枚ある。いつでも増やせる)
窓の外に、王都の夜。
(1日目が終わった。護衛の1日目。何も起きなかった。門の前で握り飯を食べただけだ)
(しかし、何も起きない日が、一番良い日だ。営業も同じだ。トラブルがない日が、最高の日だ)




