第七十六話「王都の営業マン」
ヴェルツ家の王都別邸に着いた。
玄関の前で、馬を止めた。
(……なんだこれは)
壁が新しかった。窓枠が新しかった。屋根の瓦が新しかった。門の蝶番が新しかった。
全部新しかった。
「シャールが直したんですね」
「直しすぎだろう」
「直しすぎですね。でも綺麗ですよ」
玄関の扉を開けた。中に入った。
廊下が磨かれていた。壁紙が張り替えられていた。床板の軋みがなくなっていた。
(……前に来たとき、この屋敷はボロボロだった。半年以上放置された没落貴族の別邸だった。それが、完全に修繕されている)
居間に入った。家具が整えられていた。テーブルの上に、手紙が置かれていた。
「ランベルトへ。壁は全部直した。屋根も直した。窓枠も替えた。床も張り直した。あと、台所の排水溝が詰まっていたので直した。それから、庭の柵が倒れていたので立て直した。あと、裏庭に大根を植えておいた。種はクロードが持ってきた。シャール」
(大根を植えた。シャールが裏庭に大根を植えた。頼んでいない。誰も頼んでいない)
フィオナが横で読んでいた。
「……裏庭に大根。シャールさん、何者なんですか」
「騎士だ。壁を直す騎士だ。そして今、大根を植える騎士でもある」
「大根を植える騎士。……新しい称号ですね」
*
台所を確認した。
広くはない。農村の台所より少し狭い。しかし、シャールが排水溝を直してくれたおかげで、水回りは問題ない。
棚を開けた。食器があった。前に使っていたものがそのまま残っていた。ほこりを被っている。
数えた。皿が8枚。茶碗が6つ。箸が5膳。
(足りない。足りないのは明白だ。レオンが来る。シャールが来る。クロードが来る。ファインが来る。麻衣が来る。全員来たら、確実に足りない)
「フィオナ。食器を買いに行く必要がある」
「何枚ですか」
「……計算できない。来る人間の数が読めない」
「多めに買いましょう」
「多めに。何枚だ」
「10枚」
「10枚。多くないか」
「足りないよりはいいんじゃないですか。営業は予備を持つ、って言ってましたよね」
(俺の営業理論を引用された。反論の余地がない)
「……10枚だな」
*
王都の市場に行った。
食器を買った。10枚。白い皿。シンプルなもの。
ついでに食材を買った。根菜。干し肉。香辛料。大根は裏庭のものがまだ小さいので、市場で買った。
帰り道、フィオナが言った。
「ランベルトさん。王都の市場、大きいですね」
「ああ。農村の中継街の5倍はある」
「5倍。……迷いそうですね」
「迷わない。営業マンは地図を頭に入れる」
「もう入ってるんですか」
「入った。前に来たとき覚えた」
「前って、数日しかいなかったですよね」
「数日あれば十分だ。得意先の周辺地図は初回訪問で覚える。営業の基本だ」
フィオナが手を挙げた。
「今日3回目です」
「何がだ」
「営業です。朝から数えてます」
(朝から数えている。王都でもカウントは続く)
*
夕飯を作った。
ヴェルツ家の王都別邸の台所で、最初の料理。
根菜の煮込み。大根の味噌汁。漬物。農村と同じ献立。
2人分を盛った。
新しい皿に盛った。白い皿。
食卓に2つの器が並んだ。
(農村の食卓は4つだった。ここでは2つからやり直しだ)
(最初もそうだった。1つから始まって、2つになった。ここでも、2つから始める)
フィオナが一口食べた。
「……この味ですね」
「この味だ」
「農村と同じ味です」
「同じ食材、同じ手順だ。場所が変わっても」
「味は変わらない。……わかってましたけど、実際に食べると、ほっとしますね」
「ほっとするか」
「はい。ここが、帰る場所になった気がします。もう」
(もう。食事を1回しただけで、ここが帰る場所になった。フィオナにとって、場所ではなく、味が帰る場所を決めている)
「明日から、学園に行くんだろう」
「はい。復帰の手続きがあります」
「俺も行く。護衛として」
「護衛って、学園の中まで来るんですか」
「……どこまでが護衛の範囲かは確認する。学園の門までかもしれない」
「門までって、犬の散歩みたいですね」
「犬の散歩ではない。護衛だ」
「でも、門で待ってて、終わったら一緒に帰るんですよね」
「……そうなるだろう」
「犬の散歩ですよ、それ」
(犬の散歩。没落貴族が、ヒロインを学園まで送り迎えする。確かに、構図としては犬の散歩に近い)
(前世の営業でも、重要クライアントの送迎は新人の仕事だった。俺は送迎営業をしている)
「犬の散歩でも構わない。護衛は護衛だ」
「構わないんですか」
「構わない。当て馬でもいいと言っただろう。犬の散歩でもいい」
「当て馬の次は犬の散歩ですか。……格が下がってますよ」
「格は気にしない」
フィオナが少しだけ笑った。
「じゃあ明日から、よろしくお願いします。護衛さん」
「……ああ。よろしく頼む」
*
夜。書斎で天井を見た。
天井が違う。農村の書斎とは別の天井。しかし、天井を見る癖は同じだ。
(王都での生活が始まる。護衛。学園。貴族社会)
(営業マンとして、新しい担当エリアに入ったようなものだ。土地を覚え、人を覚え、ルールを覚える。初回訪問は緊張する。しかし、3回目には慣れる。営業はそういうものだ)
(問題は、ここが営業の現場ではないことだ。ここは、俺の生活の場所だ。フィオナと一緒に暮らす場所だ)
(……一緒に暮らす。いや。同じ屋敷にいるだけだ。護衛と護衛対象。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない)
(それ以上のことを考えると、糸が太くなる。消失のリスクが上がる。考えるな。考えるのは後だ)
窓の外に、王都の夜景が広がっていた。
農村の星空とは違う。明かりが多い。賑やかだ。
しかし、隣の部屋から、かすかに光が漏れていた。
フィオナが修行をしている。王都でも。寝る前に光を灯している。
(どこにいても、フィオナは修行する。俺はそれを見る。場所は変わっても、やることは変わらない)
目を閉じた。
明日、学園に行く。護衛として。犬の散歩として。
(俺、当て馬なんで逃げます、と言った日がある)
(今は違う。俺、護衛なんで付き添います、だ)
(……格は確かに下がっている気がする。しかし、悪くない)




