第七十九話「二人暮らしの作法」
1週間が経った。
日常ができた。
朝。俺が先に起きる。台所に行く。朝飯を作る。フィオナが起きてくる。寝癖がついている。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日の朝ご飯は」
「汁物と漬物と握り飯」
「昨日と同じですね」
「昨日と同じだ。問題があるか」
「ないです。安定供給は大事ですからね。営業の基本ですよね」
「営業の基本ではない。家事の基本だ」
「家事」
「ああ。家事だ。営業ではない」
(営業ではなく家事だと訂正した。自分で言って、少しだけ動揺した。家事。2人暮らしの家事。護衛と護衛対象の家事。それは何だ)
朝飯を食べた。2人分。白い皿。
*
フィオナを学園に送った。門の前で待った。トーマスと話した。
「ヴェルツ殿。今日は何の握り飯ですか」
「昨日の残りの煮込みを入れた」
「残りを入れる。工夫されますな」
「残り物を活かすのは料理の基本だ」
「経済的でもありますな」
「没落貴族だからな。経済的でなければ生きていけない」
トーマスが笑った。最初の日は硬い顔だった。今は笑う。
(門衛との関係がSTEP 2に移行した。信頼関係の構築。次はSTEP 3、協力体制だ。しかし、何に協力してもらうのかはまだ決めていない。営業計画が甘い)
昼、フィオナが出てきた。
今日は1人ではなかった。もう1人、女子生徒が一緒にいた。
「ランベルトさん。友達を紹介します」
「友達」
「はい。マリアさんです。同じクラスです」
小柄な女子生徒がぺこりとお辞儀した。栗色の髪。眼鏡をかけている。
「マリア・ベルトランと申します。フィオナ様にいつもお世話になっております」
「ランベルト・ヴェルツだ。よろしく」
「ヴェルツ……あ。大根貴族の」
(知られている)
「ああ。大根貴族だ」
「フィオナ様がいつもお弁当を持って出ていくので、気になっていたんです。……あの、握り飯をいただいてもよろしいですか」
「……どうぞ」
マリアが握り飯を一口食べた。
目が丸くなった。
「……美味しい。何ですか、これ。普通の握り飯じゃないですよね」
「普通だ。塩と大根の漬物を入れただけだ」
「漬物の漬け方が違うんだと思います。フィオナ様もそう言っていました」
フィオナが横で少しだけ誇らしそうな顔をしていた。
「ね。美味しいでしょう」
「美味しいです。……大根貴族って、褒め言葉じゃないですか」
(マリアが「大根貴族」を褒め言葉として認識した。認知→関心→行動の3段階のうち、関心まで到達した。あと1段階)
「ランベルトさん。マリアさんにも明日分を作ってもらえますか」
「……3人分か」
「はい。いいですか」
「構わない。米は余っている」
「やった。マリアさん、明日も来てね」
「はい。……あ、でも、ランベルト様にご迷惑では」
「迷惑ではない。食べる人間が増えるのは良いことだ。エマもそう言っていた」
「エマ様って?」
「……うちの使用人だ。農村の」
(エマの名前が王都で出た。いつの間にか、エマの言葉が俺の判断基準になっている)
*
夕方。帰宅。
買い物をした。明日の3人分の食材。
「ランベルトさん。マリアさん、握り飯だけでいいですよ」
「握り飯だけでは栄養が偏る」
「弁当に栄養バランスを求めるんですか」
「当然だ。食べる人間の体調は、作る人間の責任だ」
「……それ、エマさんの言葉ですか」
「いや。俺のだ。前世の……いや、昔からそう思っていた」
(前世の母親が言っていた言葉だ。しかし、フィオナに「前世の母」の話はできない。まだ)
夕飯を作った。2人分。
今日は少しだけ新しいことをした。王都の市場で見つけた白身魚を使った。農村では手に入らなかった食材だ。
「魚」
「ああ。焼いた」
「農村では食べなかったですよね」
「農村は内陸だ。魚が手に入らない。王都は港町に近いから、新鮮な魚がある」
「じゃあ、王都ならではの料理ですね」
「ああ。場所が変わったら、食材も変わる。食材が変われば、料理も変わる」
「味は変わるんですか」
「味は……変わる。しかし、出汁の取り方は変わらない」
「じゃあ、根っこは同じですね」
(根っこは同じ。出汁が同じなら、料理が変わっても根本は変わらない。フィオナの言い方は、料理の話をしているようで、別のことを言っている気がする。しかし、聞かない。聞くと面倒なことになる)
フィオナが魚を一口食べた。
「……美味しい。農村の味と違いますけど、美味しいです」
「農村の味とは違う。しかし、俺の味だ」
「あなたの味。……いい言い方ですね。場所じゃなくて、人の味なんですね」
(人の味。場所ではなく、人で味が決まる。フィオナは何度もそれを言っている。そして俺は何度も否定している。しかし、否定しきれなくなっている)
*
夜。
台所を片付けた。食器を洗った。2枚。
フィオナが拭いた。
いつの間にか、食器洗いの分業ができていた。俺が洗う。フィオナが拭く。誰も決めていない。自然にそうなった。
「ランベルトさん」
「何だ」
「二人暮らし、慣れてきましたね」
「慣れた。1週間あれば慣れる。新しい担当エリアへの適応は、営業では2週間が目安だが」
「また営業」
「また営業だ」
「今日何回目ですか」
「数えていない」
「私は数えてます。7回目です」
「多いな」
「多いですね。新記録です」
(営業発言の新記録。王都に来てから、営業という言葉の使用頻度が上がっている。環境の変化がストレスになり、営業の比喩で処理しようとしているのかもしれない)
食器を棚に戻した。2枚。8枚の空きスペースがある。
(10枚買った。2枚使っている。8枚が空いている)
(しかし、今週だけで門前の弁当が3人分になった。マリアが来た。来週は何人になるかわからない)
(器は、足りるだろうか)
フィオナが部屋に戻った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
(おやすみ。朝は「おはよう」。昼は「いただきます」。夜は「おやすみ」)
(3つの挨拶で、1日が回っている。農村でも同じだった。場所が変わっても、挨拶は変わらない)
(俺、護衛なんで付き添います)
(……いつまで「護衛」で通せるだろうか。今のところは通せている。しかし、食器を洗って、拭いてもらって、おやすみと言い合う護衛がいるだろうか)
(いない。前世にも、この世界にも)
(しかし、今は護衛だ。護衛でいい。護衛でいさせてくれ)
窓の外に、王都の夜。
隣の部屋から、小さな光。修行の光。
目を閉じた。




