第七十二話「大根は待っていた」
翌朝。畑に出た。
大根の収穫をした。
クロードへの出荷分。適期を少し過ぎたが、品質は問題ない。太くて重い大根が、土から抜けた。
フィオナが手伝った。麻衣も手伝った。
「リリア。引っ張れ」
「引っ張ってる。……硬い。抜けない」
「腰を入れろ。デザインペンの握力では足りない」
「デザインペンの握力で足りない農作業って何」
「大根の収穫だ」
フィオナが横で自分の大根を抜いた。するりと抜けた。
「リリア様。コツは、真上に引くんじゃなくて、少し揺らしてから引くんです」
「揺らす」
「はい。左右に少しだけ。そうすると、土が緩んで」
麻衣が揺らした。大根が少し動いた。そして、抜けた。
「……抜けた」
「おめでとうございます」
「人生で初めて大根を抜いた」
「記念日ですね」
「記念日。……前世でも大根を抜いたことはなかった。2つの人生で初めてだ」
(2つの人生で初めて大根を抜いた。フィオナの前で「2つの人生」と言っている。しかしフィオナは突っ込まない。「別の世界の話」として処理している)
大根を並べた。15本。太いのが10本、細いのが5本。
クロードに手紙を書いた。
「クロード殿。収穫しました。15本。出荷準備は3日後に整います。受け取りの手配をお願いします」
「追伸。冬大根の種の件、前向きに検討する」
*
午後、麻衣と書斎で話した。
「あと2日で王都に戻る」
「ああ。ファインが迎えに来るんだったな」
「うん。……2日、早いね」
「早い」
「お兄ちゃん。ここ、本当にいい場所だったよ」
「ああ」
「大根しかないけど」
「大根しかない」
「でも、大根があれば十分なんだね。お兄ちゃんには」
「……大根だけではない。エマがいる。フィオナがいる。畑がある。台所がある」
「全部、お兄ちゃんが作ったものだよ」
「作ったわけではない。気づいたら揃っていた」
「気づいたら揃うって、才能だよ。お兄ちゃんの周りには、人が集まるんだよ」
(人が集まる。フィオナも同じことを言った。「脇役の周りにこんなに人が集まりますか」と)
「お兄ちゃん。一つ、お願いがある」
「何だ」
「手紙、続けてね」
「……当然だ」
「あと、フィオナ様のこと」
「何だ」
「大事にして」
「……大事にしている。料理を教えて、修行を見て、丘に付き添って」
「そうじゃなくて」
「何が」
「……お兄ちゃんにはまだ見えてないんだろうなあ」
「何が見えていない」
「糸」
(糸。俺には縁糸が見えない。物理的に見えない。体の適合度が低いから)
「見えないのは体質だ」
「体質じゃなくて。……いや、体質もあるけど。お兄ちゃんの場合、目じゃなくて心で見えてないの」
「心で見えていない」
「うん。でもいいよ。いつか見える。……お兄ちゃんのペースで」
(俺のペースで。麻衣は急かさない。しかし、確信を持っている。全ルートコンプの知識に基づいた確信だ)
「……勝手な予想をするな」
「予想じゃないよ。推測。データに基づいた推測。全ルートコンプの知識を総動員した推測」
「お前のゲーム知識はもう当てにならないと言っただろう」
「シナリオは当てにならないけど、人間の感情のパターンは当てになるよ。お兄ちゃんの感情は、ゲームのキャラと同じ速度で動いてる。遅いけど、確実に」
(遅いけど確実。それは営業の成約率と同じだ。数を打てば当たる。ただし時間がかかる)
「……お前の分析は聞いていない」
「聞いてなくても言う。妹だから」
*
夕方。台所で最後の晩餐を作った。
最後、というのは大げさだが、麻衣が農村にいる最後の夜だ。
麻衣がメインを担当した。
「何を作る」
「根菜の煮込み。私が覚えた味を、最後に作ってみたい」
「一人で?」
「一人で。見ていて」
麻衣が台所に立った。根菜を切った。3ミリ。出汁を取った。弱火で30分。味付けをした。
フィオナが横で見ていた。俺も見ていた。
(麻衣が一人で料理を作っている。5日前は5ミリも切れなかった人間が、3ミリを正確に切り、出汁を取り、味付けをしている)
完成した。
4人分を盛った。
食卓に並べた。
一口食べた。
「……」
「どう?」
「……80点」
「100点じゃないの」
「80点。塩が少し足りない。出汁はいい。切り方は完璧。しかし、塩が0.5グラムほど少ない」
「0.5グラムの差がわかるの」
「わかる。毎日作っているからだ」
「……厳しい」
フィオナが言った。
「私は85点だと思います」
「俺より高い評価をつけるな」
「つけます。リリア様、初めて一人で作ったんですよ。初めてで85点はすごいです」
「……ありがとう、フィオナ様」
エマが食べた。ニコニコしていた。
「リリア様。お上手でございますね」
「エマ様は何点ですか」
「点数はつけられません。お気持ちが入っていますので。お気持ちに点数はございません」
(エマの評価基準。気持ちに点数はない。これは営業の教科書に書くべき言葉だ)
「お兄……ランベルト殿」
「何だ」
「この味、覚えた。王都に帰っても作る」
「80点のまま作るのか」
「練習して90点にする」
「100点は」
「100点はあなたの味だから。私は90点でいい」
(90点でいい。100点を目指さない。自分の味を持とうとしている)
「……いい答えだ」
「営業の評価?」
「人間の評価だ」
*
夜。離れの前で、フィオナと並んで立った。
星が見えた。農村の空は広い。
「明後日、リリア様が帰るんですよね」
「ああ。ファインが迎えに来る」
「寂しくなりますね。台所が」
「台所が寂しくなるのか」
「はい。3人で作ると、2人のときと違う味になるんですよ。知ってましたか」
「知らなかった」
「知ってください。3人のほうが、笑い声が多いから、味が明るくなるんです」
(味が明るくなる。笑い声で。科学的根拠はない。しかし、否定もできない)
「リリア様が帰ったら、また2人ですね」
「ああ」
「2人の味に戻りますね」
「ああ」
「……2人の味も、悪くないですけどね」
(悪くない。フィオナの「悪くない」は、最上級の肯定だ。この女は最高の評価を最も控えめな言葉で出す)
「……ああ。俺も、2人の味のほうが慣れている」
「慣れてる。……それ、褒めてますか」
「褒めている」
「ふうん。……じゃあ、帰ってきてからも、よろしくお願いしますね」
「……ああ。よろしく頼む」
離れの明かりが灯った。
(また2人の日常に戻る。農村で。大根を育てて。料理を作って。修行を見て)
(しかし、前と同じではない。何かが変わった。何が変わったかは、まだ言葉にできない)




