第七十一話「農村に帰ろう」
王都を発つ日が来た。
ミリアーデの件は片付いた。療養の宣言は貴族院で受理された。麻衣は数日、農村で「療養の仕上げ」をしてから王都に戻ることになった。ファインが許可した。
「数日だ。それ以上は体裁が持たない。ランベルト殿。リリアを頼む。そして、あの料理のレシピを、うちの料理長に教えてくれ。あの男、お前の料理に負けたことで三日間落ち込んでいた」
料理長を落ち込ませた責任を取らされている。
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出発前に、王都で三人に会った。最初はレオン。王城の廊下で。
「帰るのか」
「ああ。農村に」
「そうか。……大根を頼んだぞ。あの大根は良かった。次に来たとき、また食わせてくれ」
「お越しになるのですか」
「行く。前にも言っただろう。また来ると」
レオンは一回目の訪問のときもそう言った。そして本当に来た。今回も来るのだろう。
「ランベルト。お前はもう少し砕けていい」
「砕け方がわからないのです。営業スマイルしか持っていないもので」
「それを砕けたと言うんだ」
レオンに砕けた態度を取るのは、前世の社長相手に冗談を言うようなものだ。心臓に悪い。
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次にシャール。ヴェルツ家の別邸の前で、まだ壁の修繕をしていた。
「おう、帰るのか」
「ああ。壁はもういいぞ」
「よくない。まだ裏側が終わってない。俺がいない間も、使用人に道具の場所は教えた」
シャールが去った後も、壁は直され続けるということだ。
「……ありがとう」
「礼は要らん。壁を直すのは騎士の仕事だ」
「騎士の仕事ではないだろう」
「俺の中では仕事だ」
シャールの中では、修繕は騎士の使命らしい。前世でも、こういう自分ルールの人間はいた。営業部の鈴木先輩が「名刺交換は左手で出すのが俺のルール」と言い張っていた。似ている。
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最後にクロード。ルーシェ家の別邸の玄関で。
「お帰りですか。寂しくなりますね。大根の出荷再開はいつ頃でしょうか」
「帰って確認する。収穫時期は過ぎているかもしれない」
「過ぎていたら、次の作付けに合わせましょう。冬大根は市場価値が高い。今から種を蒔けば、冬に間に合います」
「帰る前から次の営業計画を立てるのか」
「商人は止まりません。ランベルト殿も同じでしょう」
「俺は止まりたい」
「止まれないでしょう」
止まれない。農村に帰っても、大根があり、料理があり、フィオナがいて、エマがいて、問題が次々と起きる。止まる暇がない。
「クロード。一つ聞いていいか。お前は、いつから俺の味方になった」
クロードが少しだけ笑った。営業スマイルではなかった。
「最初からですよ。お茶が美味しかったので。美味しいお茶を出す人間は、信用できます。私の経験則です」
経験則。俺の「独学」と同じだ。
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馬で出発した。今回は三頭。俺とフィオナ。麻衣は自分の馬を借りた。乗れるようになっていた。ガルドは王都に残り、ファインの護衛に戻る。
「リリア様。お気をつけて。……ランベルト殿も。良い方ですね。ファイン様がお認めになるのも、わかります」
「……ありがとう」
フィオナが後ろから小声で言った。
「今のは、ガルド殿への礼ですね」
「ああ。ガルドへの礼だ」
「じゃあ、ガルド殿への分は別枠ですね。私のカウントは……たしか十六回目です」
俺のありがとうを数えるフィオナの中で、いつの間にか分類が生まれているらしい。
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街道を南に。今度は追手も待ち伏せもない。穏やかな道だった。
「ランベルトさん。帰り道って、来たときより早く感じますね」
「来たときは急いでいたからな。帰る場所がわかっていると、距離が短く感じる。心理的なものだ」
「営業の知識ですか」
「心理学だ。……前世のテレビで見た」
「テレビって何ですか」
「……忘れてくれ」
麻衣が横で小さく笑った。
「テレビ、懐かしいね。何チャンネル見てた?」
「……NHK。ドキュメンタリーが面白かった」
「渋い。ランベルト殿、昔からそうですよね。バラエティ見ないで、ドキュメンタリー見てるの」
フィオナが後ろで聞いていた。
「何の話ですか」
「別の世界の話です」
「また別の世界。……楽しそうですね、その世界」
「楽しかったよ。……でも、ここもいい」
麻衣がそう言った。令嬢の仮面を少し外して。
前は「乙女ゲームの世界」と分析対象として見ていた。今は「ここもいい」と言っている。
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夕方、農村が見えた。丘の上から。畑と屋敷と離れ。煙突から煙。
「……帰ってきた」
「帰ってきましたね」
「帰ってきた」
三人が同じことを言った。門の前に、エマが立っていた。ニコニコしていた。出発のときと同じ場所に、同じ顔で。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま。フィオナ様も。リリア様も」
「ただいま」
「ただいまです、エマさん」
「ただいま……ただいまです」
麻衣が「ただいま」を言い直した。令嬢の「ただいま」と、麻衣の「ただいま」の間で、一瞬迷った。エマはニコニコのまま、何も指摘しなかった。
畑に向かった。大根は育っていた。クロードへの出荷分は収穫適期を少し過ぎていたが、品質は十分だった。
「……エマさん。完璧だ」
「いいえ。坊ちゃまが植えた大根でございますから。私は水をやっただけです。大根がお利口なのでございます」
大根がお利口。エマの評価基準は独特だ。
フィオナが大根の前にしゃがんだ。
「……元気でしたか、大根」
大根は黙っていた。
「元気ですね。黙ってるから」
(黙っているから元気、の判定基準が、うちの家風になりつつある。……悪くない家風だ)
*
夕飯を作った。農村の台所。農村の道具。農村の食材。フィオナと麻衣と三人で立った。
「帰ってきましたね、この台所。王都の台所より、こっちのほうがいいです」
「ああ。こっちのほうがいい」
根菜の煮込み。葉野菜の和え物。漬物。大根の味噌汁。大根が使えた。四人分を盛った。俺、フィオナ、麻衣、エマ。食卓に四つの器。王都では七つまで増えた。しかし、ここでは四つ。この四つが、この食卓の正しい数だ。
「おかえりなさいませの味ですね」
「おかえりなさいませの味、とは」
「坊ちゃまが農村に戻ったときに作る味は、いつも少しだけ塩が強くなるのです。疲れているときに、ちょうどいい塩加減になるのでございます」
俺は無意識に、帰ってきたときに塩を多めにしているのか。
麻衣が味噌汁を飲んでいた。
「……この味、覚えておこう。王都に戻ったら、再現してみる。三ミリの技術と、フィオナ様の味付けと、ランベルト殿の出汁の取り方。全部、覚えておく」
麻衣が農村の味を持ち帰ろうとしている。
「……ありがとう」
フィオナが小さく笑った。
「帰ってきた日にも、ちゃんと出るんですね、それ」




