第七十一話「農村に帰ろう」
王都を発つ日が来た。
ミリアーデの件は片付いた。療養の宣言は貴族院で受理された。麻衣は数日間、農村で「療養の仕上げ」をしてから王都に戻ることになった。ファインが許可した。
「数日間だ。それ以上は体裁が持たない」
「わかりました」
「ランベルト殿。リリアを頼む」
「ああ」
「そして、あの料理のレシピを教えてくれ。うちの料理長の面子を保つために」
「……料理長に直接教えますか」
「頼む。あの男、お前の料理に負けたことで3日間落ち込んでいた」
(料理長を落ち込ませた責任を取らされている)
*
出発前に、王都で3人に会った。
最初はレオン。王城の廊下で。
「帰るのか」
「ああ。農村に」
「そうか。……大根を頼んだぞ」
「大根を」
「ああ。あの大根は良かった。次に来たとき、また食わせてくれ」
「……お越しになるのですか」
「行く。前にも言っただろう。また来ると」
(また来る。レオンは1回目の訪問のときもそう言った。そして本当に来た。今回も来るのだろう)
「お待ちしております」
「堅いな。……ランベルト。お前はもう少し砕けていい」
「砕け方がわからないのです。営業スマイルしか持っていないもので」
「それを砕けたと言うんだ」
(レオンに砕けた態度を取るのは、前世の社長相手に冗談を言うようなものだ。心臓に悪い)
*
次にシャール。ヴェルツ家の別邸の前で。
壁の修繕をしていた。まだやっていた。
「おう、帰るのか」
「ああ。壁はもういいぞ」
「よくない。まだ裏側が終わってない」
「裏側まで直すのか」
「当然だ。直すなら全部直す」
「俺がいない間に」
「いなくても直す。使用人に道具の場所は教えた」
(使用人に修繕を教えている。シャールが去った後も、壁は直され続けるということだ)
「……ありがとう」
「礼は要らん。壁を直すのは騎士の仕事だ」
「騎士の仕事ではないだろう」
「俺の中では仕事だ」
(シャールの中では、修繕は騎士の使命らしい。前世でも、こういう自分ルールの人間はいた。営業部の鈴木先輩が「名刺交換は左手で出すのが俺のルール」と言い張っていた。似ている)
*
最後にクロード。ルーシェ家の別邸の玄関で。
「お帰りですか。寂しくなりますね」
「寂しくならない。商売の話はまた来るだろう」
「もちろん。大根の出荷再開はいつ頃でしょうか」
「帰って確認する。エマに任せていたが、収穫時期は過ぎているかもしれない」
「過ぎていたら、次の作付けに合わせましょう。冬大根は市場価値が高い」
「冬大根」
「はい。今から種を蒔けば、冬に間に合います。南方の商人にも提案できます」
「……帰る前から次の営業計画を立てるのか」
「商人は止まりません。ランベルト殿も同じでしょう」
「俺は止まりたい」
「止まれないでしょう」
(止まれない。確かに、止まれない。農村に帰っても、大根があり、料理があり、フィオナがいて、エマがいて、問題が次々と起きる。止まる暇がない)
「クロード。一つ聞いていいか」
「何でしょう」
「お前は、いつから俺の味方になった」
クロードが少しだけ笑った。営業スマイルではなかった。
「最初からですよ。お茶が美味しかったので」
「……お茶で味方になるのか」
「なります。美味しいお茶を出す人間は、信用できます」
「営業の教科書に書いてあるのか」
「書いていません。私の経験則です」
(経験則。俺の「独学」と同じだ)
*
馬で出発した。
今回は3頭。俺とフィオナ。麻衣は自分の馬を借りた。乗れるようになっていた。
ガルドは王都に残った。ファインの護衛に戻る。
「リリア様。お気をつけて」
「ガルド殿。お世話になりました」
「いいえ。……ランベルト殿も」
「何だ」
「良い方ですね。ファイン様がお認めになるのも、わかります」
「……ありがとう」
フィオナが後ろから小声で言った。
「今のはカウントに入れますか」
「……入れなくていい。ガルドへの礼だ」
「じゃあノーカウント。ガルド枠ですね」
(ガルド枠。カウントに枠ができた。ありがとうのカウントシステムが複雑化している)
*
街道を南に。今度は追手もいない。待ち伏せもない。
穏やかな道だった。
「ランベルトさん。帰り道って、来たときより早く感じますね」
「来たときは急いでいたからな」
「急いでても、帰りのほうが早い気がするんですよ」
「心理的なものだろう。帰る場所がわかっているから、距離が短く感じる」
「営業の知識ですか」
「心理学だ。……前世のテレビで見た」
「テレビって何ですか」
「……忘れてくれ」
麻衣が横で小さく笑っていた。
「テレビ、懐かしいね」
「……ああ。懐かしい」
「何チャンネル見てた?」
「……NHK」
「え。NHK。渋い」
「ドキュメンタリーが面白かった」
「ランベルト殿は昔からそうですよね。バラエティ見ないで、NHKのドキュメンタリー見てるの」
フィオナが後ろで聞いていた。
「何の話ですか」
「別の世界の話です」
「また別の世界。……楽しそうですね、その世界」
「楽しかったよ。……でも、ここもいい」
麻衣がそう言った。令嬢の仮面を少し外して。
(ここもいい。麻衣がこの世界を「いい」と言った。前は「乙女ゲームの世界」と分析対象として見ていた。今は「ここもいい」と言っている)
*
夕方、農村が見えた。
丘の上から。畑と屋敷と離れ。煙突から煙。
「……帰ってきた」
「帰ってきましたね」
「帰ってきた」
3人が同じことを言った。
門の前に、エマが立っていた。
ニコニコしていた。
前回と同じだった。出発のときと同じ場所に、同じ顔で、立っていた。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「……ただいま」
「フィオナ様も。おかえりなさいませ」
「ただいまです、エマさん」
「リリア様も。おかえりなさいませ」
「ただいま……ただいまです」
麻衣が「ただいま」を言い直した。令嬢の「ただいま」と、麻衣の「ただいま」の間で、一瞬迷った。
エマはニコニコのまま、何も指摘しなかった。
畑に向かった。大根を確認した。
育っていた。エマが世話をしてくれていた。
クロードへの出荷分は、収穫適期を少し過ぎていた。しかし、品質は十分だった。
「……エマさん。完璧だ」
「いいえ。坊ちゃまが植えた大根でございますから。私は水をやっただけです」
「水をやっただけで、ここまで育つ大根はない」
「大根がお利口なのでございます」
(大根がお利口。エマの評価基準は独特だ)
フィオナが大根の前にしゃがんだ。
「……元気でしたか、大根」
大根は黙っていた。
「元気ですね。黙ってるから」
(フィオナの大根評価基準:黙っている=元気。否定はしない)
*
夕飯を作った。
農村の台所。農村の道具。農村の食材。
フィオナと麻衣と3人で立った。
「帰ってきましたね、この台所」
「ああ」
「王都の台所より、こっちのほうがいいです」
「ああ。こっちのほうがいい」
根菜の煮込み。葉野菜の和え物。漬物。大根の味噌汁。
大根が使えた。
「大根、やっぱり美味しいですね」
「ああ。うちの大根だ」
「うちの。……いい言い方ですね」
4人分を盛った。俺、フィオナ、麻衣、エマ。
食卓に4つの器。
王都では7つまで増えた。しかし、ここでは4つ。
(4つでいい。この4つが、この食卓の正しい数だ)
エマがニコニコして食べた。
「おかえりなさいませの味ですね」
「おかえりなさいませの味、とは」
「坊ちゃまが農村に戻ったときに作る味は、いつも少しだけ塩が強くなるのです」
「……そうか」
「疲れているときに、ちょうどいい塩加減になるのでございます」
(俺は無意識に、帰ってきたときに塩を多めにしているのか。疲れた体が塩を求めている)
フィオナが頷いた。
「わかります。修行の後にちょうどいい塩加減と同じですね」
「同じか」
「同じです。あなたの料理は、食べる人に合わせて変わるんですよ」
「変えているつもりはない」
「つもりがなくても変わるんです。だから美味しいんですよ」
(……反論の余地がない)
麻衣が味噌汁を飲んでいた。
「……この味、覚えておこう」
「覚えてどうする」
「王都に戻ったら、再現してみる」
「できるのか」
「できるかわからないけど、やってみる。3ミリの技術と、フィオナ様の味付けと、お兄……ランベルト殿の出汁の取り方。全部、覚えておく」
(全部覚えておく。麻衣が農村の味を持ち帰ろうとしている)
「……ありがとう」
フィオナが即座に言った。
「16回目です」
(16回目。帰ってきた日にカウントが進んだ。帰還ボーナスか)




