第六十七話「王都の門」
夕方、王都が見えた。
丘の上から、城壁が見えた。白い石の壁。尖塔が何本も空に突き出している。門の前には馬車が列をなしている。
半年前、この門から出た。馬車に乗って。エマと2人で。麻衣が見送ってくれた。完璧な微笑みで。
(あのとき、俺はここから逃げた)
(今、ここに戻ってきた。妹と、フィオナと、ファインと、騎士たちと)
(逃げたときは1人だった。戻るときは7人だ)
フィオナが後ろから言った。
「大きいですね」
「王都だからな」
「私、学園にいたときは気にしなかったですけど、農村から来ると、大きさが違いますね」
「ああ。違う」
「……ランベルトさんは、ここに住んでたんですか」
「住んでいた。短い間だが」
「どうして出て行ったんですか」
(どうして出て行ったか。ゲームの物語から逃げるためだ。当て馬が退場しないために。しかし、それは言えない)
「……暇だったからだ」
「嘘ですね」
「嘘だ」
「いつか教えてくれますか」
「……いつか」
「何回目のいつかですか、それ」
「……数えていない」
「私は数えてますよ。3回目のいつかです」
(3回目のいつか。ありがとうのカウントだけでなく、「いつか」のカウントまで始めたのか)
*
門に着いた。
ファインが門衛に身分証を見せた。ルーシェ家の紋章。門衛が即座に通した。
「ルーシェ家の別邸に向かう。ランベルト殿、ついてきてくれ」
「俺は自分のヴェルツ家の別邸に」
「いや。リリアの保護者としてルーシェ家の別邸にいてもらう。そのほうが体裁がいい」
(ルーシェ家の別邸に。没落貴族が有力貴族の別邸に泊まる。世間体としては微妙だが、ファインが決めた以上、従うしかない)
「フィオナは」
「学園の寮に戻る。……いや。フィオナ、お前もルーシェ家に泊まるか」
フィオナが即答した。
「泊まります」
「理由は」
「ランベルトさんの料理が食べたいからです」
「……ルーシェ家の別邸には料理人がいるが」
「ランベルトさんの料理がいいです」
ファインが俺を見た。
「……料理人を連れてきたと思えばいいか」
「俺は料理人ではない」
「没落貴族であり、保護者であり、料理人でもある。忙しい男だな」
(ファインが冗談を言った。初めてかもしれない)
*
ルーシェ家の別邸は、広かった。
ヴェルツ家の農村の屋敷が3つ入る大きさだった。庭には噴水がある。使用人が8人いる。
(……うちの屋敷と比べると、泣きたくなる)
部屋を案内された。客室。ベッドが大きい。窓が広い。調度品が揃っている。
(農村のベッドは硬かった。このベッドは柔らかすぎる。寝にくい)
台所を確認した。職業病だ。
広い台所だった。道具が揃っている。香辛料が棚に並んでいる。農村では手に入らないものが多い。
(……これだけの道具があれば、かなりの料理ができる)
使用人の料理長に挨拶した。
「台所をお借りしてもよろしいですか」
「……客人が台所を使われるのですか」
「はい。3人分の夕飯を作りたいのですが」
料理長が困惑していた。客人が台所で料理するのは、この世界の常識では異例だ。
ファインが通りかかった。
「やらせてやれ。この男の料理は、お前の料理より美味い」
「……ファイン様。それは少々」
「事実だ」
料理長が複雑な顔をしていた。
(ファイン。率直すぎる。料理長の面子を潰している。しかし、台所は使えることになった)
*
夕飯を作った。
ルーシェ家の台所で、農村の味を再現した。
根菜は王都の市場で買った。干し肉は持参したもの。香辛料は棚から借りた。南方の香辛料があった。クロードが持ってきたものと同じ種類だ。
フィオナが隣で手伝った。
「王都の台所、広いですね」
「広いが、使いにくい。道具が多すぎて、どこに何があるかわからない」
「農村の台所のほうがいいですか」
「ああ。あっちのほうが手に馴染む」
「ですよね。私もです」
麻衣が来た。
「手伝う」
「握り飯は」
「今日は三角で握る。昨日練習した」
「見せてみろ」
麻衣が握った。三角。少しだけ角が甘いが、形になっていた。
「合格だ」
「本当?」
「合格。70点。フィオナは85点。俺が100点」
「点数つけるの」
「営業は数字で評価する」
「ご飯に点数つけないでよ」
フィオナが笑った。
「私、85点なんですね」
「ああ」
「100点になるには何が足りますか」
「角の立て方。あと、力の入れ具合が少しだけ強い」
「直します」
「直さなくていい。85点の味のほうが、100点より美味い場合がある」
「……それ、矛盾してません?」
「矛盾していない。営業では、完璧な提案書より、少しだけ余白がある提案書のほうが、相手が自分で書き込める。完璧すぎると、相手が入り込む隙間がない」
「提案書と握り飯を同列にしないでください」
「同列だ。どちらも、相手に渡すものだ」
3人で夕飯を盛った。
ファインも入れて4人分。
ルーシェ家の別邸で、農村の味の飯を食べた。
ファインが一口食べて、箸を止めた。
「……同じ味だな」
「同じ食材、同じ作り方だ。場所が変わっても味は変わらない」
「フィオナが言っていたな。『どこで飲んでも同じ味になる』と」
「覚えていたのか」
「覚えている。魔法師は情報を記録する」
(クロードは帳簿に記録する。ファインは頭に記録する。どちらも俺のことを覚えすぎている)
麻衣がご飯を食べながら、少しだけ笑っていた。令嬢の仮面の下で。ファインの横で、兄の料理を食べている。
(麻衣にとって、この食卓は複雑だろう。推しの横で、兄の味のご飯を食べている。前世と今世が混在する食卓だ)
*
夜。
窓から王都の夜景が見えた。明かりが多い。農村の夜とは全く違う。
フィオナが部屋に来た。
「ランベルトさん。横腹、大丈夫ですか」
「ああ。痛みは引いた」
「本当ですか」
「本当だ」
「嘘でしょう。座るとき、左手で横腹を押さえてましたよ」
(見ていたのか)
「……少し痛いが、支障はない」
「明日、貴族院に行くんですよね」
「ああ」
「痛いまま行くんですか」
「痛いまま行く」
「……ランベルトさん」
「何だ」
「あなたが殴られたとき。私、何もできなかった」
「光を灯した。一瞬止めた。十分だった」
「十分じゃなかった。あなたは殴られた」
「次は間に合う。お前がそう言った」
「……はい。次は間に合わせます」
フィオナは少し黙った。
「ランベルトさん」
「何だ」
「明日、貴族院で何が起きても、私はあなたのそばにいます」
「ああ」
「そばにいるだけで何ができるかわからないですけど。でも、いなくなったりしません」
(いなくなったりしません)
(フィオナが「いなくならない」と言った。これまでは俺が「ここにいる」と言ってきた。今度は、フィオナが「いなくならない」と言っている)
(立場が、少しだけ入れ替わった)
「……ありがとう」
言った後で、数えようとした。
フィオナが先に言った。
「数えなくていいです。今日のは」
「なぜだ」
「数えるようなものじゃないから。普通のことを言っただけなので」
(普通のこと。フィオナにとって、「いなくならない」は普通のことだ)
フィオナが部屋を出て行った。
窓の外に、王都の夜が広がっていた。
(明日、貴族院に行く。ミリアーデ伯爵家と正面からぶつかる。没落貴族のランベルト・ヴェルツが、王都の政治の舞台に立つ)
(逃げたかった場所に、立つ)
(しかし、今は逃げない。逃げる理由がない。逃げたい理由もない)
(農村には大根がある。エマがいる。帰る場所がある)
(そしてここには、フィオナがいる。麻衣がいる。ファインがいる)
(当て馬でもいい。没落貴族でもいい。消されたキャラでもいい)
(俺はここにいる。逃げない)
目を閉じた。
明日が来る。




