第六十四話「当て馬でもいい」
出発の前日。
朝、畑に出た。大根に水をやった。
クロードとの取引用の大根は、もう収穫できる大きさだった。しかし、収穫する時間がない。
(留守の間にエマに頼むか。しかし、出荷の手配はクロードとの契約条件を確認しないと)
(営業案件が中途半端なまま離れることになる。前世でも、出張中に案件が止まるのが一番嫌だった)
大根に向かって言った。
「すまんな。しばらく留守にする」
大根は黙っていた。
「お前は黙っていてくれるから助かる。人間は全員何か言ってくる。レオンは命令してくる。シャールは壁を直してくる。クロードは分析してくる。ファインは全部見抜いてくる。お前だけだ、何も言わないのは」
大根は黙っていた。
「フィオナは数を数えてくる。リリアは推しの話をしてくる。エマはニコニコしてくる」
大根は黙っていた。
「……ありがたいことだ。全部」
大根は黙っていた。
*
台所で弁当を作った。
王都までの道中分。7人分。
握り飯。漬物。干し肉。保存食。前回の旅と同じ構成だが、今回は量が違う。7人分は、握り飯だけで20個を超える。
フィオナが手伝った。
「20個は多いですね」
「7人分だ。1人3個で21個。予備を入れて24個」
「予備まで計算するんですね」
「営業は予備を持つ。資料も名刺も食料も、足りないよりは余るほうがいい」
「名刺って何ですか」
「……別の世界の仕事道具だ。忘れてくれ」
麻衣が台所に来た。
「手伝う」
「お前は握り飯を握れるのか」
「……やったことない」
「やってみろ」
麻衣が握り飯を握った。形が三角ではなかった。丸だった。
「……丸い」
「おにぎりって丸くない?」
「この世界の握り飯は三角だ」
「えっ。この世界、三角なの?」
「三角だ」
「前世は丸でも三角でもよかったのに」
フィオナが横で聞いていた。
「丸いのも美味しそうですけどね」
「美味しさは変わらない。形の問題だ」
「じゃあ丸いのも混ぜましょう。リリア様の丸いのと、私の三角のと」
(丸い握り飯と三角の握り飯が混在する弁当。営業マンとして、見栄えの統一感に問題がある。しかし、味は同じだ)
「……いいだろう」
24個の握り飯ができた。三角が18個。丸が6個。麻衣の丸いのは少しいびつだったが、潰れてはいなかった。
「来月にはもっと上手くなるよ」
「来月、ここにいるかわからないだろう」
「いるよ。絶対いる。帰ってくるもん」
(帰ってくるもん。麻衣が、この農村を「帰る場所」と言った。フィオナと同じだ)
*
午後。荷造りをした。
書斎で、蔵の鍵をエマに渡した。
「預かっていてくれ」
「承知しました。坊ちゃまがお戻りになるまで」
「ああ。戻る」
「お戻りになると、信じております」
エマがニコニコしていた。しかし、前回の出発のときと同じだ。ニコニコの奥に、長い時間の重さがある。
「エマさん。一つ聞いていいか」
「何でございましょう」
「父も、こうやって出て行ったのか」
「はい。お父様も、荷物をまとめて、鍵を私に預けて、出て行かれました」
「何と言って」
「『戻る』と仰いました。坊ちゃまと同じです」
「父は戻ったのか」
「はい。奥様と一緒に」
(父は戻った。母を連れて。俺は、誰を連れて戻るのだろう)
「エマさん」
「はい」
「俺は戻る。大根の世話を頼む」
「もちろんでございます。大根は、お任せください」
エマは深くお辞儀をした。
目が潤んでいたかもしれない。前回と同じように。しかし、前回と同じように、聞かなかった。
*
夕方。全員が居間に集まった。
明日の出発について確認した。
ファインが段取りを仕切った。ガルドが護衛配置を説明した。
「王都までの道中は、ガルドと騎士2名が護衛する。ランベルト殿とフィオナはリリアのそばにいてくれ」
「わかりました」
「王都に着いたら、まずルーシェ家の別邸に入る。翌日、貴族院で公式に宣言する。ランベルト殿には同席してもらう」
「俺は何を」
「何もしなくていい。いるだけでいい。リリアの保護者として」
「保護者として、いるだけ」
「そうだ。営業マンなら得意だろう。立っているだけで存在感を出す仕事だ」
(ファインが「営業マン」と言った。俺がいつ営業マンという言葉を使ったか、この男は覚えていたのか)
「……ファイン殿。その言葉は」
「クロードから聞いた。お前の口癖だそうだな」
(クロード。やはりクロードと情報を共有している)
「口癖ではない」
「フィオナにも聞いた。1日5回言うそうだな」
「5回は言わない」
フィオナが手を挙げた。
「5回以上言います」
「言わない」
「今日もう3回言いましたよ」
(数えていたのか。今日も)
*
夜。
全員が部屋に戻った後、書斎で天井を見た。
(明日、王都に行く)
(半年前、王都から逃げた。大根を育てて、フィオナの修行を見て、静かに暮らすはずだった)
(しかし、逃げた結果、妹が危険にさらされた。逃げたことが、シナリオを歪めた)
(だから戻る。逃げた責任を取るために)
(戻った先で何が起きるか。貴族院での宣言。ミリアーデ伯爵との対峙。俺の名前が公的に記録される。物語の中心に近づく。消失のリスクが上がる)
(全部わかっている。全部わかった上で、行く)
窓の外を見た。
離れの明かり。フィオナ。
客室の明かり。麻衣。
別の客室の明かり。ファイン。
(守るべき人がいる。守りたい人がいる。この2つは違う。守るべきは義務だ。守りたいは意志だ)
(麻衣は守るべき人だ。兄として。家族として)
(フィオナは)
そこから先の言葉を、見つけられなかった。
見つけられなくていい。今は。
代わりに、別の言葉が浮かんだ。
(当て馬でもいい)
(当て馬でもいい。消されたキャラでもいい。没落貴族でもいい)
(妹を守るためなら、何でもいい)
(俺は当て馬なんで逃げます、と言った。半年前に。しかし今は違う)
(俺は当て馬でもいい。逃げない。守るために、王都に行く)
目を閉じた。
明日、馬に乗る。北に向かう。王都に向かう。
(当て馬でもいい)
(その言葉が、思ったよりも軽かった。半年前なら、重くてたまらなかったはずだ)
(軽くなったのは、背中に人がいるからだ。フィオナが後ろに座る。麻衣が隣にいる。ファインが前を走る。ガルドが周囲を守る。エマが帰る場所を守っている)
(1人で背負っていたものが、分散された。営業でいう、チーム営業だ)
(……また営業だ。フィオナに数えられる。6回目だ。いや、もう数えていないかもしれない。寝ているだろう)
離れの明かりが消えた。
フィオナが寝た。
俺も目を閉じた。




