第六十三話「届かない手紙」
居間にミリアーデの使者を通した。
30代の男だった。整った身なりで、言葉遣いは丁寧だった。しかし目が冷たかった。商人風の男たちとは違う。正規の外交官だ。
ファインが正面に座った。俺が隣。
(ファイン・ルーシェとランベルト・ヴェルツが並んで座っている。格の差が酷い。王都の有力貴族と辺境の没落貴族。営業でいえば、大企業の部長と町の小さな代理店が同席している状態だ)
使者が口を開いた。
「ファイン・ルーシェ殿。ミリアーデ伯爵閣下より、リリア・ルーシェ殿の身柄の安全についてお伺いしたく参りました」
「身柄の安全。……面白い言い方だな」
「ルーシェ家の令嬢が、辺境の没落貴族の屋敷に長期滞在されているとの情報が入りました。閣下はリリア殿の安全を大変心配しておられます」
(心配。ミリアーデが麻衣の安全を心配している。つまり、「保護」という名目で手を出す口実を作りに来た)
「リリアは私の妹だ。私が保護している。心配は無用だ」
「もちろん、ファイン殿のお力は存じ上げております。しかし、辺境の警備は十分とは申せません。令嬢の身の安全のためには、より適切な場所への移動が望ましいのではないかと」
「適切な場所とは」
「ミリアーデ伯爵領には、令嬢をお迎えする準備がございます」
(露骨だ。「うちに来い」と言っている。保護の名を借りた人質確保だ)
ファインの目が冷たくなった。
「伯爵殿は、私の妹の居場所について、随分と詳しいようだな」
「閣下は王都の貴族社会に広い情報網をお持ちです」
「情報網。……リリアが街道上で武装した者に囲まれた件も、その情報網からの報告かね」
使者の目が一瞬だけ動いた。
「武装した者。……それは初耳でございます」
「初耳か。では伝えておいてくれ。ルーシェ家の令嬢に手を出した者は、ルーシェ家が相応の対処をする、と」
「それは……脅迫でしょうか」
「事実の通知だ」
使者は少しだけ笑った。営業スマイルに似ていた。しかし質が違った。悪意が混じっている。
「承知しました。お伝えいたします。……ただ、もう一つ」
「何だ」
「王国法により、貴族の令嬢が正当な理由なく家を離れた場合、最寄りの有力貴族に保護を請求する権利がございます。ミリアーデ伯爵領は、このヴェルツ家の農村から最も近い有力貴族の領地です」
(……法律を持ち出してきた)
ファインの指が膝の上で止まった。
「保護請求か」
「はい。リリア殿が『療養』ではなく『家出』であった場合、閣下には法的に保護を申し出る権利が発生します」
(健司が作った「療養」のカバーストーリー。それが崩れれば、ミリアーデに法的根拠を与えてしまう)
「リリアは療養だ。私が許可した」
「もちろん、ファイン殿がそう仰るのであれば。……しかし、王都の貴族社会では、別の噂が流れております」
「どんな噂だ」
「ルーシェ家の令嬢が家出をした。ファイン殿が追いかけた。令嬢は辺境の没落貴族のもとにいる。……なかなか刺激的な噂でございますね」
(噂。ミリアーデが意図的に噂を流している。「療養」のカバーストーリーを外から崩す作戦だ)
ファインは黙った。数秒間。
「……伝えることは終わったか」
「はい。閣下のお気持ちをお伝えいたしました」
「では帰れ。回答は王都で正式に行う」
「承知しました」
使者が立ち上がった。俺を一瞥した。
「ヴェルツ殿。大変良いお屋敷ですね。大根が見事でした」
「……ありがとうございます」
(大根を褒められた。しかし、これは褒め言葉ではない。「お前の居場所を知っている」という圧力だ)
使者が去った。
*
居間に残ったのは、俺とファイン。
「ファイン殿。状況は」
「最悪に近い」
ファインが天井を見た。初めて見る疲れた顔だった。
「療養のカバーストーリーは、王都で噂が出回っている以上、持たない。ミリアーデは法的根拠を用意してきた。保護請求権だ」
「それを防ぐ方法は」
「一つ。リリアの家出を正式に否定する。王都で。ルーシェ家の当主として、リリアの外出が私の許可によるものであると公式に宣言する」
「宣言すれば、保護請求の根拠は消える」
「消える。しかし、宣言するには王都に戻る必要がある。王都の貴族院で、正式に発言しなければならない」
(王都に戻る。やはり、そうなるのか)
「リリアも連れていく必要があるのか」
「……ある。令嬢が王都に『健在』であることを見せなければ、噂は消えない」
「つまり、全員で王都に行く」
「全員で、だ」
ファインが俺を見た。
「ランベルト殿。お前も来い」
「俺は没落貴族だ。貴族院とは縁がない」
「リリアの保護者としてだ。お前がリリアを保護していたという事実が、カバーストーリーの補強になる」
(俺が王都に行く。貴族院に顔を出す。没落貴族ランベルト・ヴェルツの名前が、公的に記録される)
(物語の中心に、さらに近づく)
(消失のリスクが、さらに上がる)
「……わかりました」
*
麻衣に報告した。2人きりで。
「王都に行く。ファインと一緒に。貴族院で正式に宣言する」
「……そう。やっぱりそうなるんだね」
「お前も行く。健在であることを見せる必要がある」
「わかってる。覚悟はしてた」
「……怖いか」
「怖い。でも、逃げたままでは解決しないって、もうわかってるから」
麻衣は窓の外を見た。畑が見えた。
「お兄ちゃん。一つだけお願いがある」
「何だ」
「ファイン様への手紙を書きたい。直接渡すんじゃなくて、ルーシェ家に戻ってから読んでもらう手紙」
「何を書くんだ」
「……全部は書けない。でも、『変わった理由』の一部を。クロード先輩に話したのと同じやり方で。部分的な真実を」
「ファインは鋭い。部分的な真実で満足するか」
「しないと思う。でも、何も渡さないよりはいい。ファイン様は、私が努力していることを評価してくれる人だから」
「……お前の推しへの信頼は大したものだな」
「推しだからね。信じるのは当然だよ」
麻衣は書斎に向かった。手紙を書くために。
しかし、30分後に戻ってきた。手ぶらで。
「書けなかった」
「何が」
「何を書いても、嘘になる気がして。部分的な真実も、結局は隠してる部分がある。ファイン様に嘘をつきたくない。でも全部は言えない」
(書けなかった手紙。俺も経験した。出発の前夜、麻衣に「大丈夫か」の先が書けなかった)
いや、話数は関係ない。あのとき。書けなかった手紙。
「……無理に書かなくていい。いつか、直接話せ」
「直接」
「手紙ではなく。目を見て。声で」
「……うん。そのほうがいいかもしれない。ファイン様には」
「ああ。ファインは、文字より目を信じる人間だ」
「どうしてわかるの」
「俺に会ったとき、最初に目を見た。茶碗ではなく、帳簿でもなく。目だ」
「……お兄ちゃん、観察力上がったね」
「営業マンだからな」
「また営業」
「ああ。また営業だ」
*
夜。フィオナと丘に出た。
星が見えた。農村の空は広い。王都に行ったら、この空は見えなくなる。
「ランベルトさん」
「何だ」
「王都に行くんですね」
「ああ。明後日には出る」
「私も行きますよね」
「……お前は」
「行きます。言いましたよね。あなたが行くなら、私も行く」
「王都は農村と違う。お前の学園がある。修行の場所も変わる」
「変わっても大丈夫です。修行は場所じゃなくて、隣に誰がいるかですから」
(また言った。隣に誰がいるか。修行の質は、隣にいる人間で決まる)
「……フィオナ。修行の目標、まだ聞いていなかった」
「聞きたいですか」
「聞きたい」
「……もうちょっとで達成するので、達成したら教えます」
「もうちょっとか」
「もうちょっとです。……あと1歩くらい」
フィオナの手のひらが、小さく光った。星の光よりも温かい光だった。
「……ありがとう」
「12回目です」
「12回目か」
「はい。2桁になってから、ペースが早くなってますね」
「そうか」
「そうですよ。……いいことだと思いますけど」
丘を下りた。屋敷に戻った。
離れの明かりが灯った。客室の明かりも灯った。
7つの光が、農村の夜に散らばっていた。
(明後日には、ここを離れる。王都に向かう)
(しかし、ここは残る。大根も、畑も、エマも。帰る場所は消えない)
(消えさせない)




