第六十二話「ミリアーデの影」
ファインが農村に泊まった。
客室を用意した。エマが完璧に整えた。シーツにしわ一つなかった。
「エマさん。この部屋、前からこんなに綺麗だったか」
「いいえ。今朝、整えました」
「今朝? ファインが来たのは昼だ」
「はい。しかし、ファイン様がいらっしゃることは昨日の夜から存じておりましたので」
(エマは昨夜のうちに客室を整えていた。ニコニコしながら。いつ寝ているんだ、この人は)
エマはニコニコしていた。ファインの存在を、嫌がっていなかった。むしろ、客が増えたことを楽しんでいるように見えた。
「にぎやかでよろしいですね」
「にぎやか、というか、人が多い」
「人が多いのは良いことでございます。この屋敷は、長い間、静かすぎました」
(静かすぎた。エマはここで何年も、俺と2人きりで暮らしていた。その前は父と2人。静かな屋敷だった)
*
朝飯を作った。7人分。俺、フィオナ、麻衣、ファイン、エマ、ガルド、騎士。
食器が7つ並んだ。
(1つから始まって、7つ。この食卓に何人座れるかで、俺の人生の状況が測れる)
ファインが食卓についた。姿勢が完璧だった。箸の持ち方も完璧だった。
(この男は、農村の粗末な食卓でも、一分の隙もない。育ちが違う)
汁物を出した。根菜と干し肉の出汁。いつもの味。
ファインが一口飲んだ。
「……昨日も思ったが、この出汁は独特だな」
「独学です」
「独学。クロードも同じことを言っていたな。『独学で、ここまで。面白い方ですね』と」
(クロードの感想を引用してきた。この男はクロードと情報を共有している)
「クロードは商人として味を分析します。ファイン殿は何として?」
「魔法師として」
「魔法師が味を分析するのですか」
「出汁の抽出は、魔法のエッセンス抽出と原理が似ている。素材から必要な成分だけを引き出す。温度と時間の管理が肝だ」
(出汁と魔法の共通点。この男は料理を魔法の言語で理解している)
「つまり、ファイン殿にとって、俺の出汁は魔法の実験に近い」
「近い。そして、かなり高度だ。温度管理が正確すぎる」
「……暇が多いもので」
「その回答、何回目だ」
フィオナが横で手を挙げた。
「7回目です」
「数えているのか」
「数えてます」
ファインが少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれない。あるいは、フィオナの行動を分析したのかもしれない。
(この男の微笑は判読が難しい。クロードの営業スマイルとは別の種類の仮面だ)
麻衣が静かに食べていた。令嬢の所作。完璧。しかし、食べる速度がいつもより遅かった。
(ファインの前で緊張している。推しの前で飯を食べるのは、確かに難しいだろう)
*
食後、ファインが庭に出た。畑を見ていた。
俺も出た。
「ランベルト殿」
「はい」
「この畑は、誰が設計した」
「設計。……俺だ」
「輪作の配置が合理的だ。畝の方向も排水を計算している。風向きも考慮されている。辺境の独学にしては、あまりに体系的だ」
(ファインがクロードと同じ結論に達した。しかし、アプローチが違う。クロードは商人の目で「商品価値」を見た。ファインは学者の目で「設計の合理性」を見ている)
「……偶然です」
「その回答は聞き飽きた」
(直球だ。クロードは「なるほど」で保留した。ファインは「聞き飽きた」と切り捨てた)
「ランベルト殿。私はお前の秘密を暴く気はない。しかし、一つだけ指摘しておく」
「何でしょう」
「この畑の設計は、この世界の農業技術ではない。少なくとも、私の知る限り、こういう合理的な配置を行う農法は、王国内に存在しない」
(この世界の農業技術ではない)
(ファインが、俺の知識が「この世界のものではない」可能性に気づいた。クロードが半年かけてたどり着いた結論に、ファインは畑を見ただけで到達した)
「……ファイン殿」
「何だ」
「怖い人ですね」
「よく言われる。リリアにも言われた」
(麻衣に言われたのか。推しに怖いと言われるファイン)
*
午後。フィオナの修行を見に行った。丘。いつもの場所。
ファインがついてきた。
「フィオナの修行を見たい。構わないか」
「構いません。フィオナに聞いてください」
「フィオナ。見ていいかね」
「……ファイン先輩が見てると緊張するんですけど」
「緊張するか。では離れて見る」
「いえ。見てていいです。……最近、見られても平気になったので」
(前は俺が見ていても光が揺れた。今は安定している。フィオナの成長だ)
フィオナが光を灯した。
ファインの目が変わった。魔法師の目だった。
「……持続時間が伸びているな。前に学園で見たときより、明らかに長い」
「ここで修行してるので」
「修行場所で変わるものか?」
「変わります。ここだと集中しやすいんです」
「何が違う」
「……隣に、この人がいるかどうか」
フィオナが俺を指した。
ファインが俺を見た。
俺は何も言わなかった。言うことがなかった。
「……なるほど」
ファインの「なるほど」は、クロードとも違った。納得でも保留でもない。確認だった。
(この男は、フィオナと俺の関係を、今の一言で確認した)
*
夕方。
台所で夕飯を作っていた。今日はフィオナと麻衣と3人。
麻衣が根菜を切っていた。昨日より薄い。4ミリ。
「進歩したな」
「4ミリだよ。まだ1ミリ厚い」
「昨日は5ミリだった。改善率20%。上出来だ」
「改善率で評価しないでよ」
フィオナが味付けをしていた。
「リリア様、塩もう少し減らしたほうがいいですよ」
「減らす? これでちょうどよくない?」
「ランベルトさんの基準だと、ちょっと多いです」
「お兄……ランベルト殿の基準、厳しすぎない?」
(「お兄」と言いかけて止めた。フィオナの前では令嬢だ。しかし、台所に立つと油断する)
フィオナは聞こえなかったふりをした。あるいは、本当に聞こえなかったのか。
夕飯を7人分盛った。
食卓についたとき、外から蹄の音が聞こえた。
ガルドが立ち上がった。
玄関に出た。
1騎。見知らぬ騎士だった。ルーシェ家の紋ではない。
別の紋。薔薇と剣を組み合わせた紋章。
(……見たことがない紋だ。しかし、嫌な予感がする)
ガルドが応対した。
「どちらのお使いか」
「ミリアーデ伯爵家の使者でございます。ファイン・ルーシェ殿にお目通りを願いたく」
食卓が静まった。
ファインが箸を置いた。
「……来たか」
「ファイン殿。どうしますか」
「会おう。ランベルト殿、同席してくれ」
「……俺がですか」
「お前はリリアの保護者だ。当事者として同席する資格がある」
(当事者。没落貴族の当て馬が、ルーシェ家とミリアーデ伯爵家の政治的対話に同席する)
(逃げたかった。正直に言えば、逃げたかった)
(しかし、逃げない。もう決めた)
「……わかりました」
フィオナが俺を見た。
小さく頷いた。
麻衣は令嬢の仮面をかぶり直していた。手は震えていなかった。
エマがニコニコしていた。そして、静かに食器を片付け始めた。
夕飯は、冷めた。




