第六十一話「ファイン・ルーシェ」
昼前に、蹄の音が聞こえた。
窓から見た。2騎。先頭の騎士が旗を掲げている。ルーシェ家の百合の紋。
後ろに、もう1人。
黒髪。細身。姿勢が正しい。目に知性がある。馬上でも背筋が一分の狂いもなかった。
ファイン・ルーシェ。20歳。攻略対象の3番目。天才魔法師。麻衣の推し。
そして、この世界では麻衣の義兄だ。
(……一番怖いのはクロードだと思っていた。訂正する。この男のほうが怖いかもしれない)
玄関に出た。営業スマイルを作った。
ファインが馬を降りた。
俺を見た。
目が鋭かった。クロードの分析とは質が違う。クロードは観察者だ。ファインは審問者だ。
「ランベルト・ヴェルツか」
「はい。お越しいただきありがとうございます」
「礼は不要だ。リリアはどこにいる」
「屋敷の中です。無事です。お茶を用意しております。まず中へどうぞ」
「茶は後でいい。リリアに会わせてくれ」
「お気持ちはわかります。しかし、先にお伝えしたい情報があります。リリア殿の安全に関わる件です」
ファインの足が止まった。
「安全に関わる件」
「はい。ミリアーデ伯爵家の手の者がリリア殿を狙っていました。この話を先にさせてください」
ファインの目が変わった。鋭さは消えなかったが、方向が変わった。審問者の目から、分析者の目に。
「……中に入ろう」
*
居間にお茶を出した。
ファインの分と、俺の分。2人きりだ。
フィオナは麻衣と一緒に離れにいる。ガルドは外で護衛をしている。
(営業の基本。まず茶を出す。茶を受け取った人間は、最低限の礼儀として話を聞く。話を聞く姿勢ができれば、交渉の7割は成功だ)
ファインはお茶を一口飲んだ。
「……悪くない」
「ありがとうございます」
「世辞ではない。辺境にしては上出来の茶だ」
(辺境にしては。クロードなら「独学で、ここまで」と言うところだ。ファインは「辺境にしては」。評価の仕方に、知識人の傲慢さがある。しかし悪意はない。事実を述べている)
「では、話を聞こうか」
「はい」
状況を説明した。
麻衣が王都を出たこと。南の街道で武装した男3人に囲まれていたこと。「ルーシェ家の令嬢」と名指しで狙われていたこと。俺が営業……交渉で撤退させたこと。男たちが「依頼を受けている」と言ったこと。
「依頼主の心当たりは」
「宿場の情報と、男たちの特徴から推測すると、ミリアーデ伯爵家の可能性が高い」
ファインの茶碗が止まった。
「ミリアーデ」
「はい。領地紛争の延長で、リリア殿を人質にファイン殿に圧力をかける計画だったのではないかと」
「……なぜそう推測する」
「令嬢の名前は知らず、身分だけ知っていた。計画的な誘拐だが、情報が粗い。つまり、ルーシェ家の内部情報ではなく、外部から集めた情報で動いている。ルーシェ家の政敵で、令嬢の誘拐を計画する動機がある家は限られるでしょう」
ファインが俺を見た。
「ランベルト・ヴェルツ。お前は没落貴族と聞いていたが」
「はい」
「没落貴族にしては、随分と分析力があるな」
「暇が多いもので」
「……クロードと同じことを言うな」
(クロードと同じ。クロードも「暇が多い」への反応で俺を分析し始めた。ファインも同じ入口に立っている)
「ミリアーデの件は確認する。こちらでも動きを掴んでいた。しかし、リリアに直接手を出してくるとは思わなかった」
「今回はリリア殿が一人で外にいたことで、機会を得たのでしょう。今後は護衛を強化するべきです」
「当然だ。……ランベルト殿。一つ聞く」
「はい」
「なぜお前が動いた」
「……リリア殿から手紙をもらっていた。いなくなったと聞いて、黙っていられなかった」
「手紙の内容は」
「農業と料理の話です」
「……農業と料理」
「はい」
ファインの目が少しだけ細くなった。信じていない。しかし、今はそれを追及する場面ではないこともわかっている。
「……わかった。ミリアーデの件、情報に感謝する。この情報は価値がある」
「もう一つ、提案があります」
「何だ」
「リリア殿の外出について。『家出』ではなく、『体調不良による療養』として処理していただきたい」
「療養」
「ヴェルツ家の農村で、辺境の空気が体に良いとの助言を受けて、短期療養に来ていた。護衛としてランベルト・ヴェルツが同行していた」
「それは、お前が保護者として名前を出すということだな」
「はい」
「没落貴族が、ルーシェ家の令嬢の保護者。……体裁としては弱いが、ないよりはいい」
「ルーシェ家の名誉を傷つけない形を、最優先にしたつもりです」
ファインが茶を飲み干した。
「……ランベルト殿。お前は面白い男だな」
(面白い。クロードも同じ言葉を使った。しかしクロードの「面白い」は分析対象として。ファインの「面白い」は、少し違う。認めているのか、警戒しているのか、どちらかわからない)
「では、リリアに会おう」
*
離れに声をかけた。
フィオナが先に出てきた。
「ファイン先輩。お久しぶりです」
「フィオナか。お前もここにいたのか」
「はい。ランベルトさんの料理が美味しいので」
「……料理」
「はい。お昼、食べていきませんか。今日は3人で作りました」
(フィオナが先手を打った。ファインが麻衣に会う前に、「昼飯」という日常を挟んだ。意図的かどうかはわからない。しかし、結果として空気が少しだけ柔らかくなった)
「3人」
「はい。私と、ランベルトさんと、リリア様で」
「リリアが料理を」
「今朝、教わったそうです。上手でしたよ」
ファインの目が少しだけ揺れた。
(リリアが料理をしている。ルーシェ家の令嬢が、没落貴族の台所で料理を教わっている。ファインにとって、この情報は予想外のはずだ)
離れの奥から、麻衣が出てきた。
令嬢の姿勢だった。完璧だった。背筋が真っ直ぐ。表情が穏やか。手は体の前で組まれている。
しかし、俺には見えた。指先が白くなるほど組まれていた。
(緊張している。推しの前で。義兄の前で。追及される恐怖を抱えたまま、完璧な令嬢を演じている)
「ファイン兄様。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「……リリア」
ファインが麻衣を見た。
長い時間、見ていた。
ファインの目は鋭かった。しかし、その鋭さの底に、何かがあった。
(怒りではない。心配だ。この男は、妹を心配している)
「無事で何よりだ」
ファインの声は穏やかだった。
「中に入れ。話をしよう」
「はい」
「……だが、その前に」
ファインが俺を見た。
「昼飯を出してもらえるかね。フィオナが美味いと言っていた」
(……茶の次は飯か。ファインは会話の前に食事を挟む選択をした。場を整えるためか。それとも、食事の場でリリアを観察するためか)
(どちらでもいい。飯を出すのは俺の仕事だ)
「準備します」
台所に入った。フィオナが横についた。
「ランベルトさん」
「何だ」
「ファイン先輩、怖い顔してますけど、怒ってないと思いますよ」
「なぜわかる」
「お茶飲んだでしょう。怒ってる人は、出されたお茶を飲まないです」
(……フィオナの観察。茶を飲んだかどうかで相手の態度を読む。営業の基本中の基本だ)
「ありがとう。助かる」
「11回目です。でも、今はカウントしてる場合じゃないですね。料理しましょう」
昼飯を作った。6人分。俺、フィオナ、麻衣、ファイン、エマ、ガルド。
食卓に6つの器が並んだ。
(1つから始まった。2つになり、3つになり、4つになった。今は6つ)
ファインが汁物を一口飲んだ。
箸が止まった。
「……なるほど」
(「なるほど」。クロードと同じ反応だ。しかしファインの「なるほど」は、味を分析しているのではない)
「ファイン殿。いかがですか」
「リリアの手紙に、農業と料理の話が書いてあった理由がわかった」
「……そうですか」
「この味を知れば、手紙を書きたくなるだろう」
麻衣が少しだけ目を伏せた。令嬢の表情の下で、何かが揺れていた。
食事が進んだ。ファインは黙って食べた。全部食べた。
食後、ファインが茶碗を置いた。
居間に移った。
俺とフィオナとエマとガルドが席を外そうとした。
「ランベルト殿。残ってくれ」
「……はい」
「フィオナも」
「……はい」
ファインが麻衣を見た。穏やかな目だった。しかし、その奥に、とても静かな問いがあった。
「リリア。一つだけ聞いていいかね」
麻衣の指が、膝の上で少しだけ震えた。
「はい。ファイン兄様」
ファインは少しだけ間を置いて、言った。
「お前は、変わったな」
問いではなかった。確認だった。
麻衣の呼吸が止まった。
(来た)
しかし、ファインはそれ以上何も言わなかった。
ただ、穏やかに笑った。
「変わったことが悪いとは言っていない。ただ、確認したかった」
麻衣の目が潤んだ。しかし、涙は落ちなかった。令嬢は人前で泣かない。
「……はい。変わりました」
「理由は、いつか聞かせてくれるだろう」
「……はい。いつか、必ず」
「急がない。お前が話したいときでいい」
ファインは立ち上がった。
「ミリアーデの件は、私が処理する。リリアの療養の件も、ランベルト殿の提案通りに進める。……しばらく、ここにいるといい」
「……ファイン兄様」
「辺境の空気は、体にいいらしいからな」
ファインが部屋を出て行った。
残されたのは、俺と、フィオナと、麻衣。
麻衣の令嬢の仮面が、静かに剥がれた。
目から涙がこぼれた。
「……怒られなかった」
「ああ。怒られなかった」
「『変わった』って……気づいてたんだ。最初から」
「ああ。気づいていただろう。しかし、待っていた。お前が話すのを」
「……推し。やっぱ推し。最高の推し」
フィオナが横で困ったように笑っていた。
「リリア様。推しって何ですか」
「……世界で一番尊い存在のことです」
「ふうん。……ランベルトさんも誰かの推しですか」
「俺は推しではない」
「でも、私にとっては料理の師匠ですよ」
「それは推しとは違う」
「違うんですか。じゃあ何ですか」
「……帰る場所の人、ですかね」
麻衣が涙を拭いた。それから、少しだけ笑った。
「フィオナ様。それ、推しより上だよ」




