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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
III「リリア死亡フラグ」

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第五十九話「帰ってきた場所」



 農村が見えた。


 丘の上から、畑と屋敷と離れが見えた。煙突から煙が出ている。エマが飯を作っているのだろう。


「……あれがあなたの家ですか」


 麻衣が令嬢の声で言った。ガルドの騎士たちが近くにいるからだ。


「ああ。ヴェルツ家の農村別邸だ」


「思っていたよりも……静かなところですね」


「静かだ。大根しかない」


「大根」


「ああ。大根しかない」


 フィオナが後ろから口を挟んだ。


「嘘ですよ。大根以外もありますよ。根菜と、葉野菜と、あと……まあ、大根が一番多いですけど」


 (フォローになっていない)



 *



 屋敷の前で馬を降りた。


 玄関が開いた。


 エマが出てきた。


 ニコニコしていた。


 出発前と同じニコニコだった。変わっていなかった。


「おかえりなさいませ、坊ちゃま」


「……ただいま」


「フィオナ様も。おかえりなさいませ」


「ただいまです、エマさん」


 エマの目が、麻衣に移った。


 ニコニコが、ほんの一瞬だけ深くなった。


「こちらは」


「リリア・ルーシェ殿。事情があって、しばらくうちで預かる」


「……左様でございますか。リリア様、ようこそお越しくださいました」


「お世話になります。エマ様」


 麻衣は完璧な令嬢のお辞儀をした。


 エマはニコニコのまま麻衣を見ていた。何かを見ていた。


 (エマは縁糸が見える。麻衣と俺の間の銀色の糸も見えているはずだ。兄妹の糸。説明していないのに、エマは全部わかっている)


「お部屋をご用意いたします。少々お待ちくださいませ」


「ありがとうございます」


 エマが屋敷に入った。ニコニコのまま。


 ガルドが3人の騎士と共に屋敷の外周を確認しに行った。護衛配置の確認だ。


 3人きりになった。


 麻衣が令嬢の仮面を少しだけ外した。


「……ランベルト殿」


「何だ」


「あのおばあちゃん、全部見えてるよね」


「ああ。全部見えている」


「怖い」


「怖くない。エマさんは味方だ」


「味方でも怖い。ニコニコしすぎ」


 フィオナが笑った。


「リリア様、それ、みんな最初に思うんですよ」



 *



 畑を確認した。


 大根は元気だった。


 エマが水をやり、使用人のおじさんが草を取り、何事もなかったかのように畑は維持されていた。


 (エマに任せておけば大丈夫だと思っていた。思った通りだった)


 大根の前にしゃがんだ。葉を触った。


 (……留守にしたのは数日だ。しかし、畑に戻ってきたとき、肩の力が抜けた。数日分ではない重さが、降りた)


 フィオナが横にしゃがんだ。


「元気でしたね、大根」


「ああ」


「ちょっと葉が伸びましたね。3日見ないだけで変わりますね」


「成長期だからな」


 麻衣が2人の後ろに立っていた。


「……あなたたち、大根にしゃがんで何してるの」


「確認だ」


「大根の確認を、2人でしゃがんでやる必要あるの」


「ある」


「ない」


 フィオナと同時に答えた。俺が「ある」で、フィオナが「ない」だった。


「……どっち」


「あります。確認は2人でやったほうが正確です。……嘘です。別に1人でもできます。でも2人のほうがいいんです」


 麻衣が小さく笑った。初めてだった。農村に来てから初めて、令嬢でも妹でもない、ただの笑いだった。


「……ランベルト殿。この場所、いいですね」


「ああ」


「大根しかないけど」


「大根しかない」


「でも、いい」



 *



 昼飯を作った。


 台所に3人立った。俺とフィオナと麻衣。


 これは初めてだった。


「リリア。お前、料理できるのか」


「……リリアとしての記憶はある。令嬢だから、基本的にはしない。でも、前世では自炊してた」


「フリーランスの自炊レベルか」


「カップ麺とコンビニ弁当がメインだったけど」


「それは自炊ではない」


「たまにパスタ茹でてた」


「茹でるだけは料理ではない」


 フィオナが横で聞いていた。


「リリア様。私、最初は包丁も持てなかったですよ。ランベルトさんに教わって、今は野菜くらい切れます」


「……フィオナ様が切れるなら、私も切れるはずだよね」


「はず、ですけど……令嬢の手で包丁は大丈夫ですか」


「大丈夫。中身はフリーランスだから。手は強い。デザインペンを1日12時間握ってた手だよ」


 (デザインペン。前世の話をフィオナの前でしている。しかし、フィオナはゲームの文脈を知らない。「別の世界の話」として流れている)


 麻衣に根菜を渡した。


「切れ。薄く」


「薄くってどのくらい」


「3ミリ」


「3ミリ……。感覚でやっていい?」


「感覚が3ミリなら」


 麻衣が根菜を切り始めた。


 5ミリだった。


「厚い」


「厚い? これで?」


「厚い。フィオナ、見本を」


 フィオナが根菜を切った。3ミリ。正確だった。


「……フィオナ様、上手ですね」


「毎日やってますから」


「毎日」


「毎日です。ランベルトさんと一緒に」


 麻衣が俺をちらっと見た。


 (見るな。その目で見るな。兄の料理教室を観察するな)


「もう一回やる。見てろ」


 麻衣がもう一度切った。4ミリ。


「まだ厚い」


「1ミリの差でしょ」


「1ミリは大きい。煮込み時間が変わる」


「……ランベルト殿、料理に厳しくないですか?」


「厳しくない。基準が正確なだけだ」


 フィオナが笑っていた。


「リリア様。最初はみんなそう言うんですよ。でも、この人の料理を食べると、なぜ3ミリなのかわかります」


「わかるの?」


「わかります。食べたらわかります」


 煮込みを作った。根菜と干し肉の煮込み。農村の味。南方の香辛料を少しだけ加えた。


 4人分を盛った。俺、フィオナ、麻衣、エマ。


 食卓に4つの器が並んだ。


 (出発前にも4つだった。あのときは俺、フィオナ、エマ、使用人のおじさん。今は俺、フィオナ、麻衣、エマ。メンバーが変わったが、数は同じだ)


 麻衣が一口食べた。


「……」


「どうだ」


「……美味しい。びっくりするくらい美味しい。何これ」


「根菜の煮込みだ。フィオナの味付けだ」


「フィオナ様が味付け……。……なるほど。この味は、確かに3ミリじゃないと出ない」


「わかったか」


「わかった。悔しいけど」


 フィオナが笑った。


「リリア様、明日は一緒に味付けしましょうか」


「……うん。教えて」


「私も教わった側なんですけどね」


 エマがニコニコしていた。4人の食卓を見ていた。


「にぎやかになりましたね」


「ああ。にぎやかだ」


「お父様もお喜びになるでしょう」


「……そうか」


「はい。お父様は、この食卓に人が増えることを、いつも望んでいらっしゃいました」



 *



 午後、ガルドがファインへの伝令を出した。合流地点の変更。ヴェルツ家の農村で待つ、と。


「ファイン殿は明日の昼頃には到着するでしょう」


「明日の昼」


「はい」


 (明日。ファインが来る。麻衣にとって最大の試練だ)


 夕方、丘に出た。フィオナと2人で。修行の付き添い。


 いつもの場所だった。いつもの丘だった。


 フィオナが光を灯した。


 光は、出発前よりも強くなっていた。持続時間も長い。旅の間にも修行を続けていた成果だ。


「……伸びたな」


「はい」


「目標に近づいているか」


「少しだけ」


「目標は何だ」


「……まだ秘密です。でも、もうちょっとです」


 修行が終わった。丘を下りた。


 夕焼けが畑を照らしていた。大根の葉がオレンジ色に染まっていた。


「ランベルトさん」


「何だ」


「帰ってきましたね」


「ああ」


「ここ、やっぱりいいですね」


「ああ」


「出発する前に、言いかけて止めたこと、覚えてますか」


 (あのとき。出発の前日。丘を下りながら、フィオナが何か言いかけて止めた)


「……ああ。覚えている。お前が何か言いかけて止めた」


「今なら言えます」


「何だ」


「ここが、私の帰る場所になってました」


 (帰る場所)


 フィオナは真っ直ぐ前を見ていた。畑を。大根を。屋敷を。


 (フィオナにとって、ここが「帰る場所」になっていた。いつからだ。いつの間にだ)


「……ありがとう」


「10回目です」


「10回目か」


「はい。やっと2桁ですね」


「……ああ」


 (10回目。カウントが2桁に乗った。しょうもない記録だ。しかし、フィオナがこの数を覚え続けていることの意味は、しょうもなくはない)


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