第五十八話「選択肢は二つ」
翌朝。
ガルドが報告に来た。
「ランベルト殿。夜中に、宿場の周囲を偵察する者がいました」
「偵察」
「一人。馬を持っていた。我々が動くと、林の中に消えた。追跡はしませんでした。3人では追跡に出ると、残りの守りが薄くなります」
(偵察。昨日撤退した男たちが、俺たちの位置を確認しに来た)
「特徴は」
「暗くてはっきりとは。しかし、馬は商人の馬でした。戦馬ではない」
(商人の馬。昨日の商人風の男たちの仲間だ。撤退したが、諦めていない。こちらの位置を把握して、次の手を打とうとしている)
「ガルド。率直に聞く。ファイン殿が来るまであと1日半。この宿場で待ち続けるのは危険か」
「……正直に申し上げます。危険です。相手は我々の位置を知っています。増援を呼んでいる可能性がある。3騎では守り切れないかもしれません」
「だろうな」
「ランベルト殿。一つ提案があります」
「聞く」
「北に向かいましょう。ファイン様は北から来ます。我々が北に移動すれば、ファイン様との合流が早まる。同時に、相手の偵察網から外れることができます」
(北に向かう。つまり、王都の方向に向かう)
「王都まではどのくらいだ」
「この宿場から馬で1日。しかし、ファイン様が南下していますので、途中で合流できるはずです。半日もあれば」
(北。王都の方向。逃げてきた方向の逆)
*
麻衣に伝えた。
「北に向かう」
麻衣の顔がこわばった。
「北。王都に近づくってこと」
「ファインと合流するために。ここにいると政敵に狙われ続ける」
「……王都に戻るわけじゃないよね。途中で合流するだけだよね」
「ああ。途中で合流して、ファインと一緒に次の手を決める」
麻衣は窓の外を見た。南の方向を。
「私、南に逃げてたんだよね。港町に行こうとしてた。船に乗って、遠くに行こうとしてた」
「ああ」
「でも今は、北に向かう。戻る方向に」
「ああ」
「……ランベルト殿と同じですね」
「何がだ」
「逃げてた人間が、戻る方向に歩くってこと」
(麻衣も逃げていた。ファインの追及から。正体がバレる恐怖から。俺が王都から逃げたのと同じだ)
(そして今、2人とも戻る方向に向かう)
「……ああ。同じだ」
「ランベルト殿。正直に言います。怖いです」
「ああ」
「ファイン様に会うの、怖い。あの人に嫌われるかもしれないって思うと、足が動かない」
令嬢の仮面が外れていた。29歳のフリーランスデザイナーの顔だった。しかし、今は29歳にも見えなかった。妹の顔だった。
「麻衣。聞け」
「何」
「怖いなら、怖いまま行け。営業マンは、緊張しないのではない。緊張したまま笑うのだ」
「……何その名言」
「名言ではない。前世の課長の受け売りだ」
「前世の課長」
「佐藤課長だ。営業部の。飲み会で言っていた。翌日全員忘れていた。しかし俺だけ覚えていた」
麻衣が少しだけ笑った。
「……佐藤課長の受け売りで異世界を生き抜くランベルト殿」
「そうだ。佐藤課長は偉大だ」
笑いが少し長く続いた。緊張が少しだけ解けた。
完全には解けない。しかし、少しでいい。
*
出発の準備をした。
ガルドの騎馬3騎に加えて、俺たちの馬1頭。合計4頭。
麻衣は騎士の1人の馬に同乗した。俺とフィオナはいつもの馬。
宿場を出た。
北に向かった。
街道を逆走する形になる。来た道を戻る。
朝の空気は冷たかった。林の中を馬が走る。ガルドが先頭、2人の騎士が後衛。俺とフィオナが中央。麻衣が俺の隣。
(隊列を組んで移動している。営業の出張ではない。これは護衛だ)
フィオナが後ろから小声で言った。
「ランベルトさん」
「何だ」
「リリア様、怖がってますよね」
「……ああ」
「馬の上で、ずっと手を握りしめてます」
横を見た。麻衣は俺の2メートル先を走っていた。騎士の後ろに座って、背筋を伸ばしていた。令嬢の姿勢だ。完璧だ。
しかし、フィオナの言う通り、手が白くなるほど握りしめていた。
「……見えるのか、お前には」
「見えますよ。あなたよりよく見えます。私、人の手を見る癖があるので」
「手」
「はい。あなたもそうですよ。緊張してるとき、お茶を入れる手が硬くなるって、クロード先輩に言われたでしょう。手は嘘をつけないんですよ」
(手は嘘をつけない。フィオナはそれを見ている。クロードが帳簿に書いた「訓練された笑顔」の裏を、フィオナは手で読んでいた)
「リリア様に、何か声をかけたほうがいいですか」
「……今は、令嬢の仮面をかぶっている。声をかけると崩れるかもしれない」
「じゃあ、休憩のときに、お茶を入れましょう」
「お茶」
「お茶を入れて、3人で飲みましょう。あなたのお茶、落ち着くでしょう。私が言うんだから間違いないですよ」
(フィオナの提案。お茶を入れる。単純だが、本質的だ)
「……ああ。そうしよう」
*
昼前に、街道沿いの清水が湧いている場所で休憩を取った。
俺は荷物から茶葉を出した。農村から持ってきたものだ。火を起こして、湯を沸かした。
茶を淹れた。3人分。
麻衣が受け取った。
「……ランベルト様、お茶を」
表の声だった。しかし、茶碗を両手で包んだとき、手の震えが少しだけ止まった。
フィオナが横で自分の茶を飲んだ。
「……やっぱり、この味ですよね」
「農村の茶葉だ」
「農村の味がしますね。大根の畑の横で飲んだ味と同じ」
「味が変わるわけがないだろう。同じ茶葉だ」
「変わるんですよ。場所で。でも、あなたが淹れると、どこで飲んでも同じ味になるんです」
(どこで飲んでも同じ味。俺の淹れ方が一定だからか。それとも、フィオナにとって「俺のお茶」という認識が、場所に関係なく安心感を生んでいるのか)
麻衣が茶を飲んでいた。静かに。
「……美味しい」
令嬢の声だった。しかし、「美味しい」の言い方は、少しだけ麻衣だった。
ガルドが遠くから見ていた。騎士たちは自分たちの水を飲んでいた。
(ルーシェ家の騎士が見ている前で、没落貴族がお茶を淹れて令嬢とヒロインに振る舞っている。絵面としては、だいぶおかしい)
(しかし、麻衣の手の震えが止まった。それだけで十分だ)
*
午後、再び北に向かった。
ガルドが並走してきた。
「ランベルト殿」
「何だ」
「お茶を淹れている間、偵察を出しました。南方に動きはありませんでした」
「ありがとう」
「しかし、本街道に合流する分岐点付近で、馬車の轍が新しいものがありました。商人の馬車の幅です」
(新しい轍。商人の馬車。政敵の連中が、別のルートで先回りしようとしている可能性がある)
「先回りか」
「その可能性があります。我々が北に向かっていることを読んで、街道の北側で待ち伏せするつもりかもしれません」
「人数は」
「不明です。しかし、増援を呼んでいるなら、3人以上いるはずです」
(3人以上の敵が、北の街道で待ち伏せしている可能性がある)
(こちらは騎士3騎、俺、フィオナ、麻衣。戦力としては騎士3人が頼りだ。俺は戦えない。フィオナの光は威嚇にはなるが、戦闘用ではない)
「ガルド。ファイン殿との合流予定地点は」
「この街道を北に半日。中継街の手前です」
「中継街。俺の農村の近くだ」
「はい。ファイン様は王都から南下して、中継街付近で我々と合流する手筈です」
(中継街。クロードが交易路の調査をしていた場所。俺が農産物を出荷している場所)
(つまり、俺の庭だ)
「ガルド。提案がある」
「はい」
「中継街まで行かず、手前で街道を外れて、俺の農村を経由しよう」
「農村ですか」
「ヴェルツ家の農村だ。街道から外れた位置にある。待ち伏せを回避できる。ファイン殿には、ルーシェ家の伝令で合流地点の変更を伝えればいい」
ガルドが考えた。
「……街道を外れれば、確かに待ち伏せは回避できます。しかし、到着が遅れます」
「遅れても、生きて着くほうがいい」
「……仰る通りです」
ガルドが2人の騎士に指示を出した。街道を外れる準備。
フィオナが後ろから言った。
「ランベルトさん。農村に戻るんですか」
「経由するだけだ。ファインとの合流地点を変更する」
「……でも、農村に寄れるんですよね」
「短時間だが」
「エマさん、喜びますよ」
「……ああ。たぶん」
「大根も、たぶん元気ですよ」
「大根は元気も不元気もない。大根だからな」
「大根だって、水もらえなかったら元気なくなりますよ」
「エマがやってくれている」
「じゃあ元気ですね」
(大根の話をしている。政敵に追われながら。馬の上で。大根の話を)
(しかし、この会話で少しだけ肩の力が抜けた。俺だけでなく、後ろの麻衣も。聞こえていたはずだ)
街道を外れた。林の中の細い道に入った。
知っている道だった。中継街に出荷に行くとき、使用人が使う間道だ。
(農村に向かっている。半年前に逃げてきた場所に、妹を連れて戻る)
(逃げた先が、避難場所になる。因果が回っている)




