第五十五話「逃げない」
木の陰から状況を確認した。
男3人。短剣あり。商人風だが、体つきが商人ではない。肩幅が広く、足の置き方が安定している。戦い慣れた人間だ。
麻衣は立ったまま。手を掴まれている。しかし、声は震えていなかった。
(状況を整理しろ。営業マンは情報を整理する)
(敵:3人。武装。戦闘経験あり。目的不明だが、「貴族の女」を名指しで探していた。身代金目的か、あるいは別の目的か)
(味方:俺。戦闘経験ゼロ。武器なし。隣にフィオナ。光の魔法あり。戦闘用途は未知数)
(勝率:正面から戦えばゼロに近い)
(では、戦わない方法で勝つ)
フィオナに小声で話した。
「フィオナ。お前の光、どこまで明るくできる」
「最大出力なら、正面に向けて目を開けていられないくらいには」
「何秒持つ」
「……10秒くらい」
「10秒。それでいい」
「何するんですか」
「営業する」
*
木の陰から出た。
堂々と。背筋を伸ばして。営業スマイルを作った。
人生で最も完璧な営業スマイルだった。
「おい。お前たちは何をしている」
声を張った。前世で培った、会議室の端まで届く声量。
男たちが振り返った。
「……何だ、お前は」
「ランベルト・ヴェルツだ。その女の、保護者だ」
(保護者。嘘ではない。麻衣は俺の妹だ。保護者で正しい)
男のリーダー格が俺を見た。値踏みする目だった。
「ヴェルツだと。聞いたことがないな」
「聞いたことがなくて当然だ。辺境の没落貴族だ。しかし、その女はルーシェ家の令嬢だ。お前たちが何をしているかは知らないが、ルーシェ家に手を出す意味はわかっているだろう」
(ルーシェ家の名前を出した。この世界で、ルーシェ家は王都の有力貴族だ。名前だけで牽制になる)
リーダー格が少しだけ目を細めた。
「ルーシェ家がどうした。俺たちは依頼を受けてこの女を確保している。お前には関係ない」
「依頼。誰からの依頼だ」
「言う義理はない」
「では、言わないまま、ルーシェ家の追手が来るのを待つか。3騎の騎馬が、お前たちの後を追っている。半日遅れだ。もうすぐ追いつく」
(嘘ではない。ファインの追手が南に向かっているのは事実だ。到着時間は不明だが、嘘をつく必要はない。事実を都合よく並べる。営業の技術だ)
リーダー格の目が動いた。左右の仲間を見た。
「……追手だと」
「ルーシェ家の騎士だ。この街道沿いで情報を集めている。お前たちの特徴も伝わっているだろう。『商人風の男3人。目つきが悪い』と、宿の主人が覚えていた」
リーダー格の顔が変わった。情報が漏れていることを知らなかった。
「一つだけ提案がある」
「何だ」
「その女を放して、今すぐ消えろ。そうすれば、お前たちの特徴をルーシェ家に伝えないと約束する」
「……信用できるか」
「できるだろう。俺は没落貴族だ。ルーシェ家と争う理由がない。お前たちを追う理由もない。女さえ返してもらえれば、それでいい」
沈黙が流れた。
リーダー格が判断を迷っていた。短剣の柄に手をかけていた。
(この男は迷っている。撤退するか、始末するか。判断が揺れている)
(揺れている間に、押す)
「もう一つ。俺は一人ではない」
林の奥を指した。
「フィオナ」
木の陰から、光が溢れた。
フィオナが手のひらに光を灯した。最大出力。白い光が林の空き地を照らした。男たちの影が長く伸びた。
光が、ありえないほど明るかった。太陽の光とは質が違う。魔力の光だ。
男たちの顔が歪んだ。目を細めた。
「何だ、これは」
「光の魔法だ。王立学園の術式だ。フィオナ・エルストの光だ」
名前を出した。フィオナ・エルストは王立学園の特待生だ。名前を聞いて、男たちの顔がさらに変わった。
「ルーシェ家の令嬢と、王立学園の特待生。この2人に手を出して、無事で済むと思うか」
リーダー格が舌打ちした。
「……クソが。割に合わねえ」
「合わない。今すぐ消えたほうが、お前たちのためだ」
リーダー格が仲間に顎で合図した。
麻衣の手が放された。
男たちが林の奥に消えていった。足音が遠ざかる。
フィオナの光が消えた。
10秒より少し長く持った。
*
走った。
麻衣のところに走った。
麻衣は立っていた。手首が赤くなっていた。フードは破れていた。しかし、怪我はないように見えた。
「大丈夫か」
声が震えた。営業スマイルは消えていた。兄の声だった。
麻衣が俺を見た。
令嬢の仮面が、一瞬だけ剥がれた。
「……遅い」
麻衣の声も震えていた。
「来るなって言ったのに」
「嘘だと自分で書いただろう」
「……消し方が甘いって言ったの、ブーメランだよ」
(ブーメラン。前世の日本語が出た。この世界にブーメランはない。しかし、今は誰も気にしなかった)
フィオナが追いついた。息を切らしていた。
「リリア様。ご無事ですか」
「……フィオナ様。なぜここに」
「ランベルトさんが行くって言ったので」
「この人が行くって言ったら、止まらないですよね。知ってます」
「知ってるんですか」
「兄なので」
麻衣が俺を見た。令嬢の顔に戻っていた。しかし目だけが、29歳のフリーランスデザイナーの目だった。
「ランベルト様。話は後で。まず、ここを離れましょう。あの者たちは戻ってきます」
「わかっている。馬がある」
「馬? 一頭?」
「一頭だ」
「3人で一頭。……まあいいか。贅沢は言えない」
林を抜けた。街道に出た。馬のところに戻った。
3人で1頭。無理がある。しかし、選択肢はない。
俺が手綱を取った。麻衣を後ろに乗せた。フィオナは……。
「ランベルトさん。私、走れますよ」
「走るな。乗れ」
「3人は重すぎます」
「短距離なら持つ。次の宿場まで走る」
フィオナが麻衣の後ろに乗った。馬が少しよろめいた。
「……重いですね」
「お前たちが軽いから何とかなっている」
「軽いって言われても微妙です」
馬を走らせた。ゆっくりと。3人分の重さで全力疾走はできない。
しかし、動いている。前に進んでいる。
*
次の宿場に着いた。夕暮れだった。
馬を休ませた。部屋を取った。今度は2部屋。
麻衣と2人きりになった。フィオナは隣の部屋で休んでいる。
麻衣が令嬢の仮面を外した。
「お兄ちゃん」
「……ああ」
「ありがとう」
「……来るなと言っただろう」
「嘘だって書いたじゃん」
「……ああ」
沈黙が流れた。
麻衣が手首をさすった。赤い痕が残っていた。
「お兄ちゃん。あの男たち、ただの盗賊じゃないよ」
「わかっている。依頼を受けていると言っていた」
「たぶん、ルーシェ家の政敵。リリアを人質にして、ファイン様に圧力をかけるつもりだったんだと思う」
「……政治的な誘拐か」
「この世界は、乙女ゲームの世界だよ。貴族の陰謀は日常茶飯事だ」
(貴族の陰謀。ゲームのシナリオに組み込まれた要素だ)
「ゲームのリリアの家出イベントと、これは同じものか」
「……違う。ゲームの家出は、リリアが自分の意思で出て行くイベントだった。今回は、私がファインの追及から逃げた。トリガーが違う」
「しかし、結果は同じになっている」
「……うん。ゲームでも、家出の後に『貴族の陰謀に巻き込まれる』展開がある。トリガーは違うけど、展開が合流してる」
(トリガーが違っても、展開が合流する)
(シナリオの修正力だ。世界が、ゲームのシナリオに引き戻そうとしている)
「お兄ちゃん。怖いことを言うよ」
「聞く」
「ゲームのこのイベント、ファインルート以外では解決しないんだよ。リリアは助からないの」
「……知っている」
「でも、今回はファイン様が追手を出してる。ファインルートに近い状況にはなってる。でも、ファイン様本人が来るかどうかはわからない。使用人だけかもしれない」
「ファイン本人が来ないと、ダメなのか」
「ゲーム通りなら、ダメ。……でも、ゲーム通りじゃないから、わからない」
麻衣が俺を見た。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは、ゲームにいなかった存在だよ。削除されたキャラだよ。ゲームのシナリオに縛られない。お兄ちゃんがいることで、結末が変わるかもしれない」
「……変わるかもしれない」
「変えて。お兄ちゃん」
「……ああ。変える」
窓の外が暗くなった。
隣の部屋から、フィオナの声が聞こえた。
「2人とも、ご飯食べないんですか」
「……食べる」
弁当の残りを広げた。3人分。
冷たい握り飯を、3人で食べた。
(逃げなかった)
(今日、俺は逃げなかった。初めて、物語の中心に向かって走った)
(これがどういう結末を生むのか、まだわからない)
(しかし、逃げなかったことだけは、間違いではなかった)
BGMが止んでいた。
今は、静かだった。




