第五十二話「逃げた男の責任」
夜、眠れないまま天井を見ていた。
整理する。営業マンは情報を整理する。
(一、麻衣がルーシェ家を出た。ファインに正体を問い詰められ、逃げた)
(二、麻衣はゲームの家出フラグを知っていた。回避していた。しかし、ゲームにないトリガーから家出が発動した)
(三、ゲームでは家出の後、リリアは事件に巻き込まれる。救出条件はファインルートのみ)
(四、麻衣は「来るな」と書いた。嘘だと自分で書いた)
ここまでは情報の整理だ。次は分析だ。
(なぜ、ゲームにないトリガーが発動した)
(麻衣は前の手紙で書いていた。「シナリオにない展開が増えすぎている」と。シナリオの逸脱が進んでいると)
(シナリオが逸脱した原因は何だ)
(……俺だ)
目を閉じた。
(俺がこの農村に逃げた。ランベルト・ヴェルツが本来いるべき場所――王都の学園――にいなくなった。それがシナリオを歪めた)
(ランベルトがいないことで、他のキャラクターの行動パターンが変わった。フィオナがここに来た。攻略対象が農村を訪れた。麻衣の環境も変わった)
(俺が逃げたことで、麻衣が知っていたシナリオが崩れた。崩れた結果、麻衣が予測できないルートからフラグが立った)
(つまり)
(麻衣が危ないのは、俺が逃げたからだ)
体が冷えた。
(当て馬が逃げた。それだけのことだと思っていた。端役がいなくなっても、物語は回る。そう思っていた)
(回らなかった。端役がいなくなったことで、物語が歪んだ。歪んだ先に、妹がいた)
(俺が逃げた責任だ)
*
朝。
畑に出た。最後に水をやるために。
大根は黙っていた。
(お前のことは、エマに任せる。しばらく留守にする)
大根は何も言わなかった。
台所に行った。弁当を作った。2人分。干し肉と根菜の握り飯。漬物。保存が利くものだけ。
フィオナが離れから荷物を持って出てきた。小さな袋一つ。
「準備できました」
「早いな」
「荷物、少ないので」
(フィオナの荷物は少ない。最初にここに来たときも、ほとんど何も持っていなかった)
*
エマに話した。
「坊ちゃま。行かれるのですね」
「ああ。リリアが……麻衣が屋敷を出た。迎えに行く」
「存じ上げておりました。夜の急使の件は、使用人から聞いております」
「屋敷を頼む」
「お任せください。畑のことも、大根のことも」
「クロードに連絡を入れた。大根の出荷の件は延期してもらう」
「承知しました」
エマがニコニコしていた。しかし、いつもと少し違った。ニコニコの奥に、何かがあった。
「坊ちゃま」
「何だ」
「お父様も、同じでした」
「同じ」
「王都を離れて、この農村にいらっしゃいました。逃げたのだと仰っていました。しかし、あるとき、王都に戻る決断をされました」
「……父が王都に戻った」
「はい。奥様が――坊ちゃまのお母様が、王都にいらしたからです。守るべき人がいるとき、逃げたままではいられないと、仰っていました」
(父も、逃げて、戻った)
「結果として、お父様は王都で奥様と出会い、この農村に戻って、坊ちゃまをお迎えになりました」
「……そうか」
「行ってらっしゃいませ、坊ちゃま。畑は、お守りしております」
「……ありがとう、エマさん」
エマは深くお辞儀をした。ニコニコのまま。
しかし、お辞儀をした瞬間だけ、目が潤んでいたように見えた。
見間違いかもしれない。聞かなかった。
*
屋敷を出た。
馬車は使わなかった。目立つ。馬を1頭、村の農家から借りた。
フィオナが後ろに乗った。
「ランベルトさん」
「何だ」
「馬、乗れるんですか」
「……ランベルトの体が覚えている」
「便利ですね、その体」
「……ああ」
村の出口に着いた。
振り返った。
畑が見えた。大根の葉が風に揺れていた。屋敷の煙突からは煙が出ていた。エマが朝飯の片付けをしているのだろう。
(ここから逃げてきた。王都から。物語から。ここに辿り着いて、大根を植えて、飯を作って、光を見て。この場所が、俺の全てだった)
(しかし、逃げた先に妹の危険がある。逃げたことが原因で、妹が危ない)
(だから戻る。逃げるためではなく。守るために)
馬を進めた。
フィオナが後ろから言った。
「ランベルトさん」
「何だ」
「前にも言いましたけど、もう一回言いますね」
「何だ」
「なんでついてくるんですか、って思ってるでしょう」
(……思った)
「私がなんでついてくるかって聞かれたら、最初と同じ答えです」
「最初と同じ」
「料理が美味しいからです」
「……弁当しか持ってきてないぞ」
「弁当で十分です」
馬が南に向かって走り始めた。
(俺、当て馬なんで逃げます)
(そう思って逃げた。半年前に)
(今は違う)
(当て馬ではなかった。消されたが、消えなかった。糸がある。守るべき人がいる)
(逃げるのではなく、向かう)
風が強くなった。南の街道に向かって。




