第五十一話「帰れない場所」
眠れなかった。
ファインの手紙を何度も読んだ。1行。「リリアがいなくなった。心当たりがあるなら教えろ」
(リリアがいなくなった)
(麻衣がいなくなった)
情報が足りない。いなくなった、とはどういう意味だ。家出か。失踪か。誘拐か。
ファインは1行しか書いていない。詳細を省いたのか。それとも、ファイン自身も詳細を知らないのか。
(ファインが俺に直接手紙を書いた。ファインは俺と麻衣の関係を知らないはずだ。しかし、麻衣が誰かに手紙を送っていたことは知っている。この前の麻衣の手紙に「ファインが手紙の相手を聞いてきた」と書いてあった。ファインは麻衣の手紙の宛先を調べて、俺にたどり着いたのだ)
天井を見た。
(ゲームの記憶を掘り起こせ)
ゲームの中で、リリア・ルーシェは何をするキャラクターだったか。
(……覚えていない。ほとんど覚えていない。攻略に関係ないキャラだった。妹は攻略対象の妹であって、ストーリーの中心にいなかった)
しかし、一つだけ。
(麻衣が言っていた。前世の会話の中で。「リリアってさ、途中で家出するんだよね。ファインルートだとすぐ帰ってくるんだけど、他のルートだと放置されてて可哀想」)
(家出。リリアには家出イベントがある)
(麻衣はそれを知っていた。だからゲームの中で回避していたはずだ。家出フラグが立たないように)
(しかし、麻衣は前の手紙で書いていた。「シナリオにない展開が増えすぎている」と。麻衣の知識が効かない領域が増えていると)
(つまり、麻衣が知っている家出フラグとは別のルートから、家出が発動した可能性がある)
(「知らないルート」からの家出)
背筋が冷えた。
*
朝。
畑に出なかった。書斎で返信を書いた。ファイン宛て。
「ファイン殿。ランベルト・ヴェルツです。リリア殿の件、承知しました。私の知る限りの情報をお伝えします」
「リリア殿は私の妹と親しく、手紙のやり取りがありました。直近の手紙で、学園周辺に妙な動きがあると報告を受けています。リリア殿自身は『大丈夫だ』と書いていました」
(嘘は書いていない。しかし全ての情報を書いてもいない)
「心当たりとして、一つだけ。リリア殿は時折、一人で行動することがあったはずです。何かを確認しに行った可能性はありませんか」
(ゲームの家出イベントは、リリアが「何かを確認しに」屋敷を出る形で始まる。麻衣がそのフラグを知っていたなら、回避していたはずだ。しかし、ここ最近のシナリオの変動で、麻衣が予想していなかったルートから発動した可能性がある)
「可能な限りの情報をお送りします。続報があればお知らせください」
封をした。急使に渡した。
廊下を歩いた。
フィオナが台所にいた。朝飯を作っていた。俺が来る前に火をつけていた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「顔色が悪いですよ。昨夜、何かあったんですか」
「……ああ」
「手紙ですか」
「ああ」
「リリア様から?」
「……リリアの兄からだ」
フィオナの手が止まった。
「ファイン先輩?」
「ああ」
「何て」
「麻衣が……リリアがいなくなったと」
フィオナの顔が変わった。
「いなくなった?」
「詳細はわからない。ファインも詳しくは書いていなかった」
「それ、いつの話ですか」
「昨夜、急使が来た。王都から馬で半日だから、少なくとも昨日の朝には起きていたはずだ」
「……1日以上経ってる」
「ああ」
フィオナは鍋の火を弱めた。
「どうするんですか」
「まずは情報を集める。ファインに返信は出した。リリア本人からの連絡を待つ」
「待つんですか」
「……今、動ける情報がない」
「でも、待ってる間に何かあったら」
「……ああ。わかっている」
(わかっている。待つべきではないかもしれない。しかし、情報なしに動いても効率が悪い。営業で学んだ。感情で動くと判断を誤る)
(しかし、これは営業ではない。妹のことだ)
フィオナが俺を見た。
「ランベルトさん。一つだけ聞いていいですか」
「何だ」
「あなたにとって、リリア様はどういう存在ですか」
(どういう存在か)
「……世界で一番大事な家族だ」
即答だった。考える必要がなかった。
フィオナは少しだけ頷いた。
「じゃあ、待ってる場合じゃないですよね」
「……」
「情報がなくても行くべきときってあるんじゃないですか。営業マンじゃなくて、兄として」
(兄として)
(営業マンとしてではなく。ランベルト・ヴェルツとしてでもなく。柴田健司として。麻衣の兄として)
*
昼前に、もう1通の手紙が届いた。
今度は麻衣の筆跡だった。しかし、いつもの丁寧な封書ではなかった。紙が乱暴に折られていた。封蝋もなかった。
開いた。
裏面だけだった。表の文面はない。貴族令嬢の礼儀を守る余裕がなかったということだ。
「兄よ。短く書く」
「私は無事だ。しかし、屋敷にはいられなくなった」
「ファイン様が、私の正体に気づき始めている。直接問い詰められた。はぐらかしたが、限界だった。逃げた」
「ゲームの家出フラグとは違う。これはゲームにないルートだ。私の判断で出た。しかし結果として、ゲームの家出イベントと同じ状況が発生してしまった」
「ゲームの家出ルートでは、リリアは王都の外で事件に巻き込まれる。ファインルート以外では救出されない。私は全ルートの知識を持っているが、今回のトリガーが違うため、ゲーム通りに事が運ぶか不明」
「王都の南門を出た。しばらく南の街道沿いに移動する。追手が来る可能性がある。ファイン様か、あるいはルーシェ家の使用人か」
「お兄ちゃん。来なくていい。私は自分で何とかする」
「追伸。嘘だ。来てほしい。でも、来たらお兄ちゃんのほうが危ない。だから来るな」
手紙を折りたたんだ。
(麻衣は無事だ。しかし、屋敷を出た)
(ファインに正体を問い詰められて、逃げた。それがゲームの家出イベントと同じ状況を作ってしまった)
(ゲームでは家出の後、リリアは事件に巻き込まれる。ファインルートでのみ救出。しかし今回のトリガーが違うから、ゲーム知識が使えるか不明)
(そして、麻衣は「来るな」と書いた)
(「来てほしい。でも来るな」と)
フィオナが横にいた。いつの間にか。
「読めました?」
「……ああ」
「リリア様は」
「無事だ。しかし、屋敷を出た」
「なぜ」
「……事情があった。詳しくは言えない」
「言えないことが多いですね、あなたは」
「……ああ」
「で、リリア様は今、一人で」
「……たぶん」
「王都の外に?」
「……南の街道だと」
「じゃあ、行きましょう」
「……お前は」
「私も行きます」
「危険だ」
「あなた一人で行くほうが危険です」
「俺は」
「あなたは世界で一番大事な家族が危ないんでしょう。なら行くべきです。私が行きたいかどうかは関係ないです。あなたが行くなら、私も行く。それだけです」
フィオナの目は、蔵の地下で「消させません」と言ったときと同じだった。
決意。
「……わかった」
「いつ出ますか」
「……明日の朝。準備が要る。エマに屋敷を任せる。クロードにも連絡を入れる」
「わかりました。荷物、まとめますね」
フィオナは離れに向かって歩き出した。
俺は書斎に戻った。
机の上に、書けなかった手紙が残っていた。
手紙を取った。破いた。
新しい紙を広げた。
「麻衣へ。行く。待っていろ」
1行だった。




