第四十九話「当て馬の終わり」
朝、畑に出た。大根に水をやった。大根は何も言わない。いつも通りだ。
フィオナが隣で、一緒に水をやっていた。
「ランベルトさん。昨日、手紙来ましたよね。リリア様から。教えてくれるって約束しましたよね」
「……した」
水をやりながら、話した。約束通り、全部。
別の世界の記録の中で「データが削除される」ことと、この世界で「存在が消える」ことは同じだということ。ランベルトの台詞が三行だけ残っていたのは、縁糸が完全な消失を止めたからだということ。糸が太くなることは、消失のリスクと防御を同時に高めるということ。
ゲームという言葉は使わなかった。「別の世界の記録」という曖昧な言い方にした。フィオナにはまだ言えない。
フィオナは黙って聞き、水桶を置いた。
「……つまり、あなたは元々もっと大きな存在で、強すぎたから消された。でも完全には消えなかった。糸が残ってたから。で、今また糸が太くなってて、消えるかもしれないけど、消えにくくもなってる。両刃の剣ですね」
「……ああ」
「じゃあ、簡単じゃないですか。刃の片方だけ使えばいいんです。消えにくくなるほうだけ。太くなるのを止められないなら、受け入れて、その分、覚えてくれる人を増やせばいい」
フィオナの論理は単純だ。だが、本質を外していない。
「……営業みたいなことを言うな」
「営業って何ですか」
「……前にクロードが面白がっていた言葉だ」
「あの人の言葉は使いたくないですけど。でも、間違ってないですよね?」
「……間違ってはいない」
*
昼飯を作った。今日は三品。根菜の煮込み、干し果実の甘煮、葉野菜の和え物。
「今日、品数多いですね。何かの記念日ですか」
「記念日ではない。……区切りだ」
「区切り」
「長い間調べていたことに、答えが出た。俺が何者なのか。なぜここにいるのか。全部、繋がった」
フィオナが箸を止めた。
「俺は当て馬ではなかった」
声に出して言った。初めてだった。
「リリアは前にも言ってくれた。だが、あのときは可能性だった。今は記録がある。先祖の証言がある。世界の法則がある。全部が同じことを指している。ランベルト・ヴェルツは、最初から端役ではなかった。物語の中心にいるべき存在だった。しかし強すぎたから、消された」
「……怒ってないんですか。あなたを消した世界に」
「怒りはない。事実だからだ。営業マンは、過ぎたことに怒っても契約は取れない。次にどう動くかだけを考える」
「また営業マンですか」
「……口癖だ。気にするな」
フィオナは少し笑った。
「じゃあ、次にどう動くんですか。営業マンとして」
「まず、消えないこと。それが最優先だ。次に――リリアの身辺が、少し不安定らしい。手紙では足りないかもしれない」
「リリア様に何かあったんですか」
「学園の周辺で、妙な動きがあるらしい。ルーシェ家の令嬢を狙っているような、と。まだ未確認だ」
「ルーシェ家。ファイン先輩の家ですよね」
「ああ。ファイン先輩は、リリアの兄だ」
「リリア様は大丈夫なんですか」
「本人は大丈夫だと書いている」
「本人が大丈夫って言うのが、一番危ないんですよ」
フィオナと俺は、同じことを考えている。
「……その通りだ」
「直接会いに行ったほうがいいんじゃないですか。王都に」
王都。物語の舞台。逃げてきた場所に、戻る。
「……今すぐではない。まずリリアに確認する。状況を把握してから判断する」
「わかりました。でも、判断は早めにしてくださいね」
*
午後、丘で修行を見た。光は前より持続が長い。フィオナが修行量を増やした結果だ。「秘密の目標」があると言っていた。
修行を終え、いつもの道を下りた。距離は三十センチ。自然にそうなる。
「ランベルトさん。さっき、『当て馬ではなかった』って言いましたよね。私、最初からそう思ってましたよ。あなたが当て馬だなんて、一度も思ったことないです」
「……なぜだ」
「だって、当て馬って物語のおまけでしょう。あなたは、おまけじゃないですよ。最初から」
フィオナは設定を知らない。記録も読んでいない。それでも「最初から当て馬じゃない」と言う。直感か、積み重なった確信か。
「……ありがとう」
「九回目です。……でも、今日のは特別にカウントします」
「特別」
「大事なことを言ったあとの『ありがとう』ですから。特別枠です」
フィオナは笑って、先に歩き出した。俺はその背中を見た。
(カウントに特別枠が新設された。……この制度は、どんどん俺に甘くなっていく)
*
夜、書斎で記録を片付けた。問いは終わった。「俺は何者か」。答えは出た。消されたが、消えなかった人間だ。
だが、答えが出た瞬間に、足元の地形が変わっていた。当て馬として逃げ続けるための問いは、もう用済みだ。代わりに、別の場所が地図の中心に浮かび上がっている。
王都。レオンがいて、ファインがいて、リリアがいて、ゲームの本筋が回っている場所。俺が退場フラグから逃げ出した、あの場所だ。
リリアが「大丈夫」と書いた。だから、近いうちに確認の手紙を出す。返事の中身次第では――逃げてきた王都に、自分の足で戻ることになる。
当て馬の俺なら、絶対に近づかなかった場所だ。だが、もう当て馬ではない。逃げる理由も、逃げられる立場も、昨日で終わっている。次の手紙を、明日いちばんに書く。




