第四十九話「当て馬の終わり」
朝。畑に出た。
大根に水をやった。大根は黙っていた。
フィオナが隣にいた。一緒に水をやっていた。
「ランベルトさん」
「何だ」
「昨日、手紙来ましたよね」
「……ああ」
「リリア様から?」
「ああ」
「教えてくれるって約束しましたよね」
「……した」
「じゃあ、教えてください」
大根に水をやりながら、話した。
麻衣の分析。ゲームの中でデータが削除されることと、この世界で存在が消えることは、同じ現象であること。ランベルトの台詞が3行だけ残っていたのは、縁糸が完全削除を止めたからだということ。糸が太くなることは、消失のリスクと防御の両方を高めるということ。
全部話した。約束通り。
ゲームという言葉は使わなかった。フィオナにはまだ言えない。「別の世界の記録」という曖昧な表現にした。
フィオナは黙って聞いていた。
全部聞き終わって、水桶を置いた。
「……つまり、こういうことですか」
「何だ」
「あなたは元々、もっと大きな存在だった。でも強すぎたから消された。消されたけど、完全には消えなかった。糸が残っていたから」
「……ああ。リリアはそう分析している」
「で、今また糸が太くなっていて、消えるかもしれないけど、糸が太いから消えにくくもなっている」
「……ああ」
「両刃の剣ですね」
「……ああ」
フィオナは少し考えた。
「じゃあ、簡単じゃないですか」
「何がだ」
「刃の片方だけ使えばいいんです。消えにくくなるほうだけ」
「……そんなに簡単じゃない」
「そんなに難しくもないですよ。糸が太くなるのを止めることはできないんでしょう。だったら、太くなるのを受け入れて、その分、覚えてくれる人を増やせばいい」
(覚えてくれる人を増やす)
(フィオナの論理は常に単純だ。しかし、本質を外していない)
「……営業みたいなことを言うな」
「営業って何ですか」
「……前にクロードが面白がっていた言葉だ」
「あの人の言葉は使いたくないですけど。……でも、間違ってないですよね?」
「……間違ってはいない」
*
昼飯を作った。
今日は少しだけ手間をかけた。根菜の煮込みに加えて、干し果実の甘煮と、葉野菜の和え物。3品。
フィオナが味見をした。
「……今日、品数多いですね」
「ああ」
「何かの記念日ですか」
「記念日ではない」
「じゃあ何ですか」
「……区切りだ」
「区切り」
「ああ。長い間、ずっと調べていたことに、一つの答えが出た」
「記録のこと?」
「ああ。俺が何者なのか。なぜここにいるのか。なぜこの家に生まれたのか。全部、繋がった」
フィオナは箸を止めた。
「繋がった?」
「ああ。俺は当て馬ではなかった」
声に出して言った。初めてだった。
(当て馬ではなかった)
「リリアは前にも言ってくれた。しかし、あのときはまだ可能性だった。今は、記録がある。先祖の証言がある。世界の法則がある。全部が同じことを指している」
「ランベルト・ヴェルツは、最初から端役ではなかった。物語の中心にいるべき存在だった。しかし強すぎたから、消された」
フィオナは俺を見ていた。
「……怒ってないんですか」
「何にだ」
「消した相手に。あなたを消した世界に」
「……怒りはない。事実だから」
「事実だから怒らないんですか」
「営業マンは、過ぎたことに怒っても契約は取れない。次にどう動くかだけを考える」
「また営業マンですか」
「……口癖だ。気にするな」
フィオナは少し笑った。
「じゃあ、次にどう動くんですか。営業マンとして」
「……まず、消えないこと。それが最優先だ」
「当たり前です」
「次に、リリアの身辺が少し不安定らしい。手紙で確認する」
「リリア様に何かあったんですか」
「……詳しくはわからない。しかし、学園の周辺で妙な動きがあるらしい」
フィオナの目が少しだけ変わった。
「妙な動き」
「ルーシェ家の令嬢を狙っているような、とリリアは書いていた。まだ未確認だ」
「……ルーシェ家。ファイン先輩の家ですよね」
「ああ。リリアの義兄だ」
「リリア様は大丈夫なんですか」
「本人は大丈夫だと書いている」
「本人が大丈夫って言うのが一番危ないんですよ」
(……フィオナと俺は、同じことを考えている)
「……ああ。その通りだ」
「手紙で足りますか? 直接会いに行ったほうがいいんじゃないですか」
「……王都に行くということか」
「そうです。リリア様が危ないかもしれないなら」
(王都に行く。物語の舞台に。逃げてきた場所に、戻る)
「……今すぐではない。まずリリアに確認する。状況を把握してから判断する」
「わかりました。でも、判断は早めにしてくださいね」
「……ああ」
*
午後。丘でフィオナの修行を見た。
光は安定していた。前よりも持続時間が長い。
(フィオナの光が強くなっている。修行量を増やした結果だ。目標があると言っていた。秘密の目標)
修行が終わった。丘を下りた。
いつもの道を歩いた。フィオナが横にいた。距離は30センチ。自然にそうなる。
「ランベルトさん」
「何だ」
「さっき、『当て馬ではなかった』って言いましたよね」
「ああ」
「私、最初からそう思ってましたよ」
「……最初から」
「あなたが当て馬だなんて、一度も思ったことないです」
「……なぜだ」
「だって、当て馬って、物語のおまけでしょう。あなたは、おまけじゃないですよ。最初から」
(最初から)
(フィオナは、設定を知らない。記録を読んでいない。ゲームの文脈を知らない。それでも、「最初から当て馬じゃなかった」と言う)
(直感なのか。それとも、一緒にいる時間の中で積み重なった確信なのか)
「……ありがとう」
「9回目です」
「9回目か」
「はい。でも今日のは特別にカウントしますね」
「特別」
「だって、大事なことを言ったあとの『ありがとう』ですから」
フィオナは笑って、先に歩き出した。
俺はその背中を見た。
(当て馬の終わり)
(俺は当て馬ではなかった。最初から。消されただけだった。しかし今は、ここにいる)
(ここにいて、大根を育てて、飯を作って、光を見ている)
(そしてこれからは、消えないことを考えなければならない。麻衣の安全を確認しなければならない。王都に行くかもしれない)
(逃げたはずの場所に、戻るかもしれない)
(しかし、それはまた別の話だ)
*
夜、書斎で天井を見た。
記録は全て読んだ。麻衣の分析も受け取った。
整理する。
(一、ランベルト・ヴェルツは当て馬ではなかった。物語の中心にいるべき存在だった)
(二、しかし強すぎたから消された。ゲームのデータからも。世界の記憶からも)
(三、完全には消えなかった。縁糸が残っていた。台詞3行として残った)
(四、今、糸が太くなっている。消失のリスクと、消失を止める力が、同時に上がっている)
(五、麻衣の周辺に不穏な動きがある。王都に行く必要が出てくるかもしれない)
窓の外に、離れの明かり。
(調査は終わった。問いに答えは出た)
(「俺は何者か」。答え。消されたが、消えなかった人間だ)
(次の問いに進む)
(「俺はこれからどうするか」)
明かりが消えた。
目を閉じた。
一つの問いが終わった。
しかし、次の問いが、もう始まっている。




