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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
II「縁糸と秘密」

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第四十八話「糸の重さ」


 手紙を出して3日が経った。


 日常は変わらなかった。朝、畑に出る。大根に水をやる。フィオナと昼飯を作る。丘で修行を見る。夕飯を作る。離れの明かりを確認して眠る。


 しかし、一つだけ変わったことがある。


 村の人間と話すとき、相手の目を見るようになった。


 以前は必要以上に目を合わせなかった。営業スマイルで距離を取っていた。しかし今は、目を見る。相手が俺の名前を覚えているか。顔を覚えているか。確認している。


 (消失の初期症状。周囲の者が名前を思い出しにくくなる。次に顔が曖昧になる)


 隣の農家のおじさんに会った。


「よう、ヴェルツさん。今日もいい天気だな」


「ああ。そうだな」


 覚えている。名前で呼ばれた。大丈夫だ。


 (大丈夫だ。まだ消えていない)



 *



 畑で大根の手入れをしていた。


 フィオナが横で草を取っていた。


「ランベルトさん」


「何だ」


「最近、村の人にやたら話しかけてますよね」


「……そうか」


「前はもっと無口でしたよ。村の人にも必要なことしか言わなかったのに」


「……挨拶は大事だ」


「嘘ですね」


 (バレた)


「確認してるんですよね。みんなが、あなたのことを覚えてるか」


 返す言葉がなかった。


「記録に書いてあったんでしょう。消失の最初の兆候は、周りの人が名前を忘れること。だから確認してる」


「……ああ」


「覚えてますよ。みんな。当たり前です」


「……ああ」


「あなたが消えかけてたら、私が一番先に気づきます。気づかないうちは大丈夫です。だから、確認しなくていいです」


 (フィオナが一番先に気づく)


 (なぜそう言い切れるのだ)


「根拠はあるのか」


「あります。私はあなたの顔を一番近くで見てるからです。毎日。朝と昼と夜と」


 (朝と昼と夜と。3回。確かに、フィオナは1日に3回、俺の顔を見ている。食事のたびに向かい合う)


「……わかった。確認はやめる」


「お願いします。村の人、びっくりしてましたよ。『ヴェルツさんが急に愛想よくなった』って」


 (愛想がよくなったのではない。消えていないか確認していただけだ)


 (しかし結果として、村の人との関係は少しだけ近くなった。怪我の功名だ)



 *



 昼飯を作った。


 クロードが前に持ってきた南方の香辛料を使った。根菜と干し肉の煮込みに少しだけ入れた。


「……やっぱり、この味がいいですね」


「合うからな。この土地の根菜と南方の香辛料は相性がいい」


「クロード先輩に感謝しないとですね」


「ああ。次来たときに言っておく」


「次いつ来るんですか」


「大根の出荷の話があるから、そのうち来るだろう」


「……大根の出荷。あなた、やること増えましたね」


「増えた」


「記録の調査。大根の出荷。畑の管理。料理。修行の付き添い。……忙しいですね」


「暇よりはいい」


「暇だったときのほうが平和でしたけどね」


 (確かに。何も知らずに大根だけ育てていた頃が一番平和だった。しかし、もう知ってしまった)


 フィオナが煮込みをおかわりした。


「もう一杯いいですか」


「ああ」


「おかわりするの、最近多いですね」


「お腹空くんです。修行量増えたので」


 (修行量が増えた。フィオナは光の持続時間を延ばそうとしている。蔵の地下で光を持ち続けたとき、もっと長く持たせたいと思ったのだろうか)


「修行、きつくないか」


「きつくないです。目標があるほうが頑張れるので」


「目標」


「秘密です」


 (また秘密が増えた。フィオナの秘密。俺の秘密。互いに秘密を持ちながら、同じ食卓で飯を食べている)



 *



 夕方。


 使用人が手紙を持ってきた。


 麻衣の筆跡だった。


 (早い。出して3日で返事が来た。麻衣が急いで書いたということだ)


 書斎に入った。封を切った。


 今回の手紙は長かった。表面だけで3枚。裏面もびっしり。


 表の文面から。


「ランベルト様。貴重な情報に感謝いたします。ルーシェ家の文献とも照合し、以下の分析をまとめました」


 裏に切り替えた。


「兄よ。これは大変なことだ」


「お兄ちゃんが送ってきた記録を読んで、震えた。3日間ほとんど寝ずに考えた。結論から書く」


「ゲームの中で『データが削除される』ことと、この世界で『存在が消失する』こと。お兄ちゃんの仮説は正しい。同じ現象の、別の側面だ」


 (正しい。麻衣が裏づけた)


「ゲーム開発の視点で説明する。ゲームでキャラクターのルートを削除すると、そのキャラのデータが減る。立ち絵が消え、イベントが消え、エンドロールから名前が消える」


「この世界の視点で言い直す。ヴェルツ家の者が『物語の中心に近づく』と、世界がバランスを取ろうとして、その人物を消す。名前が忘れられ、顔が曖昧になり、記録から消える」


「同じことだ。ゲームのデータ削除と、この世界の消失は、同じ現象を違う角度から見ているだけ」


「お兄ちゃん。つまりこういうことだ」


「ランベルト・ヴェルツのルートが削除されたのは、ゲームのバランス調整のためだった。しかし、この世界の側から見れば、ランベルトという存在が世界のバランスを崩すほど強い糸を持っていたから、消されたことになる」


「ゲームの都合と世界の法則が一致している。これが何を意味するかわかるか」


「この世界は、ゲームの設計通りに動いているのではない。ゲームが、この世界の法則を反映して設計されていたのだ」


 紙を置いた。


 (ゲームが世界を作ったのではない。世界がゲームに反映されていた)


 (……これは、想像以上に大きな話だ)


 続きを読んだ。


「父上の記録にあった『消失の条件』を、ゲームの文脈で翻訳する」


「一、糸が太い者 = ルートが強いキャラクター」


「二、物語の中心に近づいた者 = シナリオに深く関わるキャラクター」


「三、消失は段階的 = データ削除も段階的(まずイベントが減り、次に立ち絵が消え、最後に名前が消える)」


「四、強い糸が消失を遅らせる = 他キャラとの関係フラグが残っていれば、完全削除を免れる」


「お兄ちゃん。4番目が重要だ。お兄ちゃんのランベルトには、台詞が3行だけ残っていた。完全に削除されたのではない。何かが、完全削除を止めた」


「それが、縁糸だと私は考える」


 (縁糸が、完全削除を止めた)


「そして今、お兄ちゃんの糸は日に日に太くなっている。それはつまり、お兄ちゃんが再び『物語の中心に近づいている』ということでもある」


「お兄ちゃん。怖いことを書く」


「消失のリスクは上がっている。しかし同時に、消失を止める力も強くなっている。糸が太くなることは、両刃の剣だ」


 (両刃の剣。その通りだ)


「最後に、一つだけ別の話をする」


「最近、学園で妙なことが起きている。ファイン様が、私のことを調べている形跡がある。以前からあったが、最近はっきり変わった。『リリア、お前は最近どこかへ手紙を出しているだろう。相手は誰だ』と直接聞かれた」


「はぐらかした。しかし、ファイン様は頭が切れる。いつまでも誤魔化せるかわからない」


「それと、もう一つ」


「学園の周辺で、ルーシェ家の令嬢を狙っているような動きがあるという噂がある。まだ確認が取れていない。確認でき次第、報告する」


「兄よ。こっちは大丈夫だ。心配するな」


「追伸。糸が太くなっているなら、それは良いことだ。消えるな。絶対に消えるな。私の兄は世界で一人だけだ」


 手紙を折りたたんだ。


 (麻衣の分析。ゲームの削除と世界の消失は同じ現象。縁糸が完全削除を止めた。糸が太くなることは両刃の剣)


 (そして、麻衣の周辺で何かが起きている。ファインの追及。ルーシェ家を狙う動き)


 (麻衣は「大丈夫」と書いた。しかし、麻衣が「大丈夫」と書くとき、大丈夫ではないことが多い)


 窓の外を見た。離れの明かりが灯っていた。


 フィオナが起きている。


 (麻衣に報告しなければならないことが多い。しかし今は、ここにいる人間のことを考える)


 (フィオナは言った。「私が一番先に気づきます」と)


 (なら、俺が消え始めたとき、一番傷つくのもフィオナだ)


 (……それは、避けなければならない)


 明かりが消えた。


 俺も目を閉じた。



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