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俺、当て馬なんで逃げます。――なんでついてくるんですか、ヒロインさん  作者: よるの 余白
II「縁糸と秘密」

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第四十四話「大根の品質について」


 クロードが来た。5回目。


 しかし、今回は何かが違った。


 馬車に荷物が積まれていた。木箱が3つ。従者が2人。明らかに商売モードだ。


「ランベルト殿。お約束通り、大根の話をしに来ました」


「……本当に大根の話か」


「本当に大根の話です。帳簿も持ってきましたが、あなたのデータは入っていません」


 (……わざわざ言うということは、前回のことを気にしているのか)


「冗談ですよ」


 クロードが笑った。営業スマイルではなかった。商人の笑顔だった。


 (営業スマイルと商人の笑顔は違う。前者は防御。後者は商談の入口だ)



 *



 居間で木箱を開けた。


 中身は調味料だった。塩。香辛料。乾燥ハーブ。南方の果実の粉末。


「これは」


「中継街で仕入れたものです。ランベルト殿の大根の品質を活かすなら、調味料の選択肢を増やすべきだと思いまして」


「……営業か」


「営業です。あなたの言い方を借りるなら」


 (「営業」を覚えている。前回帳簿に書いた単語を、もう使っている)


「ヴァンサン商会が仲介に入れば、ヴェルツ家の大根を中継街の市場で直接取引できます。現在の出荷量を維持したまま、単価を3割上げられる試算です」


「3割」


「品質に見合った価格です。現在の卸値は安すぎる」


 クロードは帳簿を開いた。本当に大根の流通データだけが書かれていた。


 (この男は、前回の対決を終えて、本業に切り替えた)


 (商人として、純粋に大根に興味がある)


「……悪い話ではない。しかし、条件による」


「条件はこちらに。ご確認ください」


 書面を出された。契約条件が整理されていた。


 読んだ。


 (……条件は妥当だ。むしろ、農家寄りだ。中間マージンが低い)


「マージンが低くないか」


「最初は薄利でいい。品質が証明されれば、取扱量を増やせますから」


 (長期的な関係を前提にした提案。営業の教科書通りだ)


「検討する」


「ありがとうございます」


 フィオナが台所から顔を出した。


「何の話ですか」


「大根の商売の話だ」


「大根を売るんですか」


「売っている。少量だが」


「……知らなかったです」


「言ってなかったからな」


「言ってくださいよ。私も手伝ってるのに」


 (フィオナが怒っている。大根の出荷を知らされていなかったことに)


クロードが少し笑った。


「フィオナ。良い大根が育つのは、君のおかげでもあるよ」


「おかげって何ですか」


「畑を手伝っているだろう。水やりと草取り」


「それは普通のことです」


「普通のことが、品質を支えている。商人として保証するよ」


 フィオナは少し黙った。


「……じゃあ、もっと高く売ってくださいね。あの大根、手間かかってるんですから」


 (フィオナが大根の値上げを要求している)


 (……なぜだろう。胸の奥が少しだけ温かい。代わりに事実だけ記述する。フィオナが大根に愛着を持っている。それは事実だ)



 *



 昼飯を作った。


 クロードが持ってきた調味料を試した。南方の香辛料を少しだけ根菜の煮物に入れた。


 フィオナが味見をした。


「……辛い」


「入れすぎた」


「入れすぎです。もうちょっと少なくて」


「ああ」


 分量を調整した。もう一度味見をさせた。


「……うん。こっちのほうがいい。でも前の味も残してくださいね。いきなり変えないで」


「変えない。新しい選択肢を増やすだけだ」


「……そうしてください」


 (前の味を残してほしい。フィオナは変化を受け入れるが、元のものを失いたくない)


 クロードが3人分の昼飯を食べた。


「この調味料との組み合わせは面白いですね。南方の商人に提案できるかもしれない」


「大根と南方の香辛料の組み合わせか」


「ええ。『辺境の大根を南方の味付けで』。キャッチコピーとしては悪くない」


「キャッチコピー」


「商品を売るための短い言葉です」


 (知っている。知りすぎている。しかし、もう隠す必要はない。クロードは俺の知識が異常であることを知っている。知った上で、商売の話をしている)


「……悪くないな。しかし、まずは地元で安定供給できることが先だ」


「もちろん。段階を踏みましょう」


 (段階を踏む。営業と同じだ。最初に信頼。次に実績。最後に拡大)


 (この男と組むのは、悪くないかもしれない)



 *



 午後、クロードは畑を見た。今度は商人の目で見ていた。前は人間を分析する目だった。


「この畝の組み方は輪作に最適化されていますね。計画的だ」


「前にも言われた」


「前は観察でした。今日は商談です」


 (……この男は、自分の目的をはっきり区分している。前は観察。今日は商談。切り替えが明確だ)


「ランベルト殿」


「何だ」


「一つだけ。商売とは関係なく」


「何だ」


「前回、あなたが話してくれたこと。感謝しています」


「……何も話していない」


「部分的には話していただいた。それだけで十分です」


 クロードは穏やかに笑った。


「あなたが何者かは、いつかわかるでしょう。しかし、あなたが良い人間だということは、もうわかっています」


 (良い人間)


 (クロード・ヴァンサンに「良い人間」と評された)


 (……営業マンは、取引先にそう思わせることが仕事だ。しかし、今回は営業スマイルを使っていない。使っていないのに、そう思われた)


「……ありがとう」


「フィオナに言わなくていいのか。カウントが進むぞ」


 (知っていたのか。フィオナのカウントを)


「……6回目か」


「正確には覚えていませんが、かなり進んでいるでしょう」


 フィオナが畑の端から声をかけた。


「何の話してるんですか」


「大根の話だ」


「嘘ですね。あなたたち、大根の話のときと違う顔してましたよ」


 (フィオナは俺とクロードの会話の質を、顔で判別している)


「……大根に関連する話だ」


「関連。遠い関連ですね」


「遠くはない」


「遠いです。目が違いました」


 クロードが笑った。今度は完全に本物の笑いだった。


「フィオナは鋭いね」


「鋭くないですよ。この人が嘘つくと顔に出るんです。最近はっきりわかるようになりました」


 (俺の嘘が顔に出る。フィオナにだけ)


 クロードは帰り際、俺にだけ聞こえる声で言った。


「いい関係ですね。大事にしてください」


「……ああ」


 馬車が去った。


 フィオナが横に立った。


「帰りましたね」


「ああ」


「今日のクロード先輩、前と全然違いましたね。なんか……普通の人みたいでした」


「営業スマイルを外したからだろう」


「あなたも外しましたよね。2人とも」


「……ああ」


「なんか、いいですね。仮面外した人同士が話してるの」


 (仮面を外した人同士)


「あなたも、そのうち私の前で全部外してくださいね」


「……いつか」


「待ってます」



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