第四十三話「あなたは何者ですか」
クロードが来る前に、答えを用意しておく必要があった。
朝飯を作りながら考えた。
「あなたは何者ですか」への回答。
回答案1。「ただの没落貴族だ」。却下。クロードのデータと矛盾する。
回答案2。「王都にいたことがある。そのとき覚えた」。却下。ヴェルツ家の経歴は調べれば出る。王都にいた記録がなければ嘘が露呈する。
回答案3。沈黙。却下。クロードは沈黙を「隠している」と解釈する。疑念が深まるだけだ。
回答案4。部分的な真実を言う。
(部分的な真実。営業の基本だ。嘘をつくのではなく、真実の一部だけを見せる)
フィオナが台所に入ってきた。
「おはようございます。今日来るんですよね、あの人」
「たぶん来る」
「私、いますからね」
「……ああ」
フィオナは根菜を切り始めた。
「ランベルトさん」
「何だ」
「答え、決まりました?」
「……まだ考えている」
「考えすぎですよ。あなたはあなたでしょう。それ以外に何があるんですか」
(それ以外に何がある)
(転生者であること。前世の営業マンであること。削除されたキャラクターであること。金色の糸があること)
(全部ある。しかし、フィオナの「あなたはあなた」が、一番正しい気もする)
*
昼前に、クロードが来た。
今回は帳簿が1冊だけだった。従者もいない。馬車も簡素なものに変わっていた。
(軽装。仕事ではなく、個人的に来ている)
「ランベルト殿」
「どうぞ」
「お時間をいただけますか」
「ああ」
居間に通した。お茶を3人分入れた。
フィオナが横に座った。
クロードがフィオナを見た。
「フィオナ。今日は、少し立ち入った話になるかもしれない」
「知ってます。だからいるんです」
「……そうか」
クロードは少しだけ笑った。営業スマイルではなかった。困ったような、しかし本物の笑みだった。
「では、お二人の前で」
帳簿を開かなかった。膝の上に置いたまま。
「ランベルト殿。前回、一つ質問させていただくとお伝えしました」
「ああ。覚えている」
「聞いてもよろしいですか」
「……どうぞ」
クロードは俺を見た。穏やかな目だった。敵意はなかった。脅迫でもなかった。
純粋な疑問。知的好奇心。そして、少しの不安。
「ランベルト殿。あなたは何者ですか」
居間が静かになった。
フィオナが隣で息を止めた。
(来た)
「……何者か、とは」
「あなたの知識は、辺境の没落貴族のものではありません。料理。農業。市場の仕組み。対人技術。全て、別の世界で長年の訓練を積んだ人間のものです」
「……別の世界」
「比喩です。あなたの知識体系は、この辺境で育ったものではない。王都で育ったものとも違う。私が知るどの貴族とも、どの商人とも、構造が異なります」
クロードの声は穏やかだった。追い詰めているのではなく、理解しようとしていた。
「そして、もう一つ」
「もう一つ」
「あなたは最初から、人に警戒されることを前提に行動しています。笑顔を作り、距離を取り、情報を管理している。しかし、それは誰かに教わったものではなく、自分で身につけたものだ」
(……正確だ。恐ろしいほど正確だ)
「私が知りたいのは、あなたが何を隠しているか、ではありません。なぜそこまでの知識と技術を持ちながら、辺境に隠れているのか。それが知りたい」
(なぜ隠れているのか)
(当て馬だから。ゲームの主要イベントに巻き込まれたくないから。退場フラグを回避するために逃げたから)
(しかし、それは言えない)
沈黙が流れた。
フィオナが口を開いた。
「クロード先輩」
「何かな」
「質問、1つって言いましたよね」
「言ったよ」
「今、3つくらい聞いてます」
(……フィオナが、数を数えていた)
クロードが少し笑った。
「そうだね。すまない。本題は一つだけだ。ランベルト殿、あなたは何者ですか」
俺はお茶を一口飲んだ。
(部分的な真実。嘘はつかない。しかし全部は見せない)
「クロード」
「はい」
「俺は、ここにいるべきではなかった人間だ」
クロードの目が少しだけ大きくなった。
「いるべきではなかった」
「ああ。本来なら、この場所にはいなかったはずだ。俺の知識は、ここで育ったものではない。それは正しい。しかし、どこで覚えたかは説明できない」
「説明できない」
「今は、できない。いつか、説明できるときが来るかもしれない。しかし今は、説明すると、周りの人間を危険にさらす可能性がある」
(周りの人間。フィオナ。エマ。麻衣。全員だ)
クロードはしばらく黙っていた。
「……周りの人間を危険にさらす」
「ああ」
「あなたが隠れているのは、自分のためではなく」
「……自分のためでもある。しかし、それだけではない」
クロードは帳簿を見た。開かなかった。
「ランベルト殿。一つだけ確認させてください」
「何だ」
「あなたは、フィオナに害を与える存在ですか」
(フィオナに害を与えるか)
「……与えない」
「断言できますか」
「できる」
即答した。考える必要がなかった。
クロードが俺の目を見た。長い間、見ていた。
それから、小さく頷いた。
「……わかりました」
「信じるのか」
「信じます。あなたの目は、嘘を言う目ではなかった」
クロードの営業スマイルが戻った。しかし、質が変わっていた。前より少しだけ柔らかかった。
「全てを聞くのは、今日はやめます。しかし、いつか教えてくださいますか」
「……いつか」
「フィオナに話した後で構いません」
(フィオナに話した後で)
フィオナが隣で目を見開いた。
「……クロード先輩、それ、私が先ってことですよね」
「当然だろう。君のほうが先にここにいたのだから」
「……ありがとうございます」
「お礼を言われることではないよ」
クロードは立ち上がった。
「ランベルト殿。もう一つだけ」
「何だ」
「あなたの大根は、本当に美味い。商人として、あの品質は見逃せません」
「……商売の話か」
「商売の話です。あなたの秘密とは関係なく、大根の品質には興味があります」
「……ご自由に」
「では、次回は大根の話をしましょう」
クロードは穏やかに笑って、馬車に乗って帰った。
*
2人きりになった。
フィオナが座ったまま、俺を見ていた。
「……すごかったですね」
「何がだ」
「あなたの答え。『ここにいるべきではなかった人間だ』って」
「……部分的な真実だ。全部は言えなかった」
「いいですよ。全部は、私に先に言ってくれるんでしょう」
「……ああ」
「クロード先輩がそう言いましたからね。私が先」
フィオナは少し笑った。
「でも、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「『フィオナに害を与えるか』って聞かれたとき、即答しましたよね」
「……ああ」
「考えもしなかったですよね」
「考える必要がなかった」
「……そういうところですよ」
「何がだ」
「仕事用じゃない顔」
フィオナはそれだけ言って、離れに帰った。
*
夜、書斎で天井を見た。
(クロードに、部分的な真実を話した)
(「ここにいるべきではなかった人間」。それは嘘ではない。削除されたキャラクターは、確かに「いるべきではなかった」存在だ)
(しかし、クロードはその答えを受け入れた。「フィオナに害を与えない」という言葉を信じた)
(信じてもらえた。それだけで、少し楽になった)
(クロードは敵ではない。分析者であり、理解者になりうる存在だ)
窓の外で、離れの明かりが灯っていた。
フィオナが起きている。
(「私が先」とフィオナが言った。秘密を話す順番を、フィオナが確保した)
(俺はいつか、フィオナに全部話さなければならない。転生のこと。ゲームのこと。当て馬のこと。削除のこと)
(そのとき、フィオナは何と言うだろう)
(「あなたはあなたですよね」と、また言ってくれるだろうか)
明かりが消えた。フィオナが寝た。
俺も目を閉じた。
明日から、また日常が戻る。大根に水をやり、飯を作り、丘で光を見る。
クロードの帳簿に書かれた「訓練された笑顔」。
フィオナが言った「仕事用じゃない顔」。
どちらが本当の俺だろう。
答えはまだ出なかった。しかし、少なくとも、フィオナの前では営業スマイルが外れる瞬間があるらしい。
(それは、たぶん、悪いことではない)




